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骨髄バンク ドナーの輪

ドナー体験記
トップ松本さん
「可能性」応援したい(4年前にドナー登録 3時間で手術終える)

  「大きく息を吸い込んでください」
  遠くなる医師の声を最後に深い眠りに落ちた。
  「聞こえますか?無事終了しましたよ」
  次に聞こえたのも、やはり医師の声だった。

  麻酔から覚めたぼんやりとした頭で考えていたのは、「もう終わったのか、あっと言う間だったな」ということだった。麻酔で意識を失ってから、手術を終えて病室で目が覚めるまでに約3時間。初めての昏睡体験は、ちょっとしたお昼寝という感じであった。まだ頭がボーとしているのでよく周りの状況がつかめなかったが、寝返りを打とうとして腰に痛みを感じた。

  ベッドに横になり病室の窓から眺めた東京の空は、思ったより澄んだやさしいブルーだった。さわやかな初夏の訪れをぼんやりと連想していた。

  私がドナー(骨髄液の提供者)登録をしたのは、かれこれ今から約4年前、平成8年の夏にさかのぼる。当時、私は骨髄移植やそのドナー登録に特に興味があったわけではなかった。

  その頃、私が持っている骨髄移植に関する知識といえば、重い病気で困っている人がいること、その病気は骨髄移植によって治る可能性があること、ドナーは骨髄液を提供してもしばらくすればまた元の生活にもどることができることくらいだった。

  ただ何となく街で見つけたポスターを読んで、軽い気持ちでドナー登録を決めた。不謹慎な話だが「待ち合わせのついでに」程度の軽い気持ちだったのだが、ドナーとして登録するには骨髄提供に関するさまざまな説明を受けなくてはならなかった。「骨髄移植に関して十分に理解してからご提供を」というのが骨髄バンクの方針らしかった。

  私たちの体中に流れているあの赤い血は、実は腰や胸の骨の内部で作られている、ということをその時に知った。骨髄と呼ばれるその部分は、ゼリー状の骨髄液で満たされ、常に新しい健康な血液を身体に供給しているらしい。ところが、そこで健康な血が作れないとなれば当然病気になってしまう。

  それが白血病や再生不良性貧血、先天性免疫不全症などのいわゆる血液難病と呼ばれる病気なのである。そこで、血液のもとになる骨髄液をその患者さんに移植するという治療法が考え出された。ドナーから採取された骨髄液が移植を受けた患者さんの身体の中で健康な血液を作り始めることで、患者は再び健康を取り戻す、というわけである。そもそも血液を作り出す素(もと)みたいな骨髄液を入れ替えるのだから、患者は移植手術の前と後では血液型さえ変わってしまう。ところが、そう話は簡単に行かない。他人の骨髄液を移植するためには、白血球の型(HLAという)が患者とドナーとで一致しなければならない。しかも、このHLAが一致するのは兄弟間でも4分の1の確率、非血縁者と呼ばれる他人同士だと数百〜数万分の1の確率なのである。兄弟以外にこのHLAの適合者を探し出すのは、絶望的な数字なのである。いや、だったのである。

  ドナーと患者とが同じ白血球のHLA型の持ち主でなければ、骨髄移植は成立しない。ところが、非血縁者間で、つまり、赤の他人同志でHLA型が一致する確率は、数万分の1。

  この気の遠くなるような低い確率の中から、いっちょ移植の相手を探し出してやろうじゃないか、と真っ正面から取り組んでいる組織がある。それが骨髄バンクなのである。骨髄バンク事業の仕組みはこうである。骨髄提供についてご理解頂いた方のHLAをコンピュータに登録しておき、骨髄移植を希望する患者さんが現れたら、そのデータベースから探し出すのである。

  つまり、一人でも多くの方を登録しておくことが、希望する全ての患者さんと一致する相手を見つける可能性を高くするのである。ドナーとして登録すること自体は約10ccの血を採られるだけなのでさほど難しい話ではないが、ドナーになるには条件があって、年齢が20歳から50歳までの健康な方で骨髄提供について十分理解し家族の同意を得ている方となっている。

  ドナー登録が済むと、あとはただひたすら自分の型と一致する相手が出てくるのを待つだけである。また、同じ趣旨で骨髄のドナー登録や移植を行っているのは日本だけではない。

  そこで、国内の骨髄バンクで適合するドナーが見つからない患者さんを救うために、世界中の骨髄バンクと相互に協力し合って、データの交換や骨髄液の提供が行われている。


採取は4月に決定(親類から「危険」と反対が・・・・・)

  ドナー登録して以降、私はHLAが一致する相手が見つかり骨髄の提供ができる日を心待ちにしていた。骨髄移植財団からの郵便物が配達されてくるたびに、ワクワクしながら開封したのをよく覚えている。そして、そのたびに相手が見つかった事を告げる通知書ではなく、ニュースレターなどの定期郵便物であったことにちょっぴり落胆するのだった。

  そんな事をくり返しながら、いつしか私は自分が骨髄バンクへのドナー登録者であることさえ忘れかけていた昨年の11月、一本の電話が骨髄移植推進財団から直接我が家にかかってきた。何気なくドナー登録したあの日からまる4年が経過していた。電話は骨髄移植コーディネーターと呼ばれる女性の方からであった。彼女は、私のHLAがある患者さんと一致しておりドナー候補者の一人になっていること、私と相手のHLAが遺伝子レベルでより一致しているかどうかを調べるためにDNAタイピングと呼ばれる更に精密な適合検査が必要であること、私の骨髄を必要としている相手が外国の方なので今後の検査や手術は東京か大阪か福岡になるだろうということを分かりやすく説明した。

  その後で、今後の骨髄提供へ向けたプロセスに進む意志があるかどうかを訊ねた。

  こういうものは不思議なもので、待っても待っても音沙汰のなかった骨髄提供の話が、やっと来たと思ったら今度は私のすごく忙しい時期と一緒にやってくるのである。

  そもそも移植の相手が現れることを待ち望んでいたのだから、最終的な骨髄提供の意志を確認するどころか、どんどん話を進めましょうという気分であった私なのだが、2次検査から実際の骨髄摘出手術が行われる予定の半年間は、私にとって多忙を極める時期と重なった。

  まず、2次検査の始まりが12月、次女の出産がその翌年1月の末、それから決算期の3月に、介護保険制度の施行が4月。鳴り物入りで始まる介護保険制度のスタートは、私のように高齢者の介護関係の仕事をしている者にとって、寝る間も無い程の超忙しい時期だった。片づけておかなければならない仕事が山積みの中を、東京へ何度も上京し、病院スタッフとの面談や検査、健康診断を昨年の暮れから、春にかけて行った。

  結局、骨髄液採取は4月と決定された。まさに介護保険制度が施行されるその月であった。しかし、相手はいつ何時体調が急変するか分からない。相手にとっては命がかかった話なのだ。しかし同時に、職場の仲間たちが倒れそうになりながら介護保険制度への準備をすすめているこの時期に、休みを取って迷惑をかけることも、やはり憚られた。せめて4月の後半にしてもらうことだけをコーディネーターの方にお願いした。

  ところが、実際に最終適合検査によって一致が確認され、あとは同意を経て骨髄提供という段階まで来ると、予想もしていなかった事態となった。親戚から反対の意見が出始めたのである。

  骨髄移植推進財団の方からはじめて連絡を受けたのが昨年の11月だったため、私の骨髄移植話は、お正月の家族や親戚が集った際の話題のひとつになっていた。その中で多くの親族たちは私の骨髄提供に関して断固反対であった。その理由は何と言っても、骨髄を提供するのは危険だと思われているためである。

  事実、骨髄を提供するためにはドナーは全身麻酔が必要である。過去に骨髄採取にともないイタリアで1件、日本でも1件のドナーの死亡事例が報告されている(骨髄バンクを介した事例では死亡事例はない)。これは提供を目的とした骨髄採取のためというよりも、全身麻酔をかけた場合数万分の一の確率で発生する可能性がある死と言えなくもない。しかし、万が一の確率だとしても過去に骨髄採取にともない死亡した人が存在していることは事実であるし、骨髄液を提供しなければ骨髄採取のために命を落とす可能性は0%なのも事実である。

  私の身を案じてくれている真剣さに感謝したし、重苦しい親戚会議の空気から彼らの心配が痛いほどリアリティを持って伝わってきた。特に「もう一人じゃないんだぞ。家庭も子供たちのことも考えろ」という忠告は、これまで無茶もかなりやってきただけに身に染みた。それからの約1ヵ月、私はずっと逡巡を繰り返した。


厳粛な祈りに共感(愛する人の命 救うために)

  ある晩、ふと私は自分の娘の寝顔を横で見ながら「もしもこの娘が白血病だったら」と考えた。誰にでもかけがえの無い大切な人がいる。

  私にとってそれは、妻であり、子供達であり、両親や兄弟、そして、親友たちだ。もし私にとってのかけがえのない人が白血病になり骨髄移植しか命を救う事ができないとしたら、私はどうするか。もし私の娘が血液難病に侵され、移植以外に生きるすべが無いと知ったら、娘のHLAと一致するドナーを探し出し骨髄を提供してもらう以外に命を救うすべが無いとなったら、私はどんな行動をとるのか。

  すやすやと安らかに眠る娘を見ながら、私は静かに思いを馳せた。私はありとあらゆる知人に電話をしてドナー登録をお願いするだろう。例え、気の遠くなるような確率であろうと、知人の一人一人全てにドナー登録をお願いする手紙を書くだろう。

  知人、友人かまわず、古い卒業アルバムをひっくり返しながら、片っ端から電話をかけまくるだろう。親戚中を回り、会社でも、街中でさえも、道行く人一人ひとりにドナー登録を呼びかけ、要求されれば土下座することさえ厭わないだろうと。

  そんなことを考えてみると、もし自分の愛する娘だったらここまで出来るのに、他人だったら気にせずに生きていける、人間とはなんて不思議なものなのだろうと思った。

  しかし、これは単なる想像の世界の話ではなく、現実にそんな人はたくさんいるはずだ。まるで砂時計のように少なくなっていく命を見つめながら、祈るような想いで骨髄の移植を待っている人が少なくともこの日本だけでも毎年千人以上もいる。

  愛する人の命を守るために、土下座さえ厭わぬ親たちがこの平和で豊かな日本にも大勢いる。世界中にはもっといる。移植を待つ人の数だけ尊い願いがあり、彼らを愛する人の数だけ厳粛な祈りがある。そう考えた夜、私は骨髄の提供を決心した。

  仕事で忙しい私の都合に合わせて骨髄提供に関する最終同意は琉球大学医学部附属病院で行なわれた。精密な適合検査の結果、ドナーとして選ばれた私は、第三者の立会いのもと、同席した家族の同意を含めた最終的な意思の確認が行われた。第三者が同席するのは、骨髄の提供に関して十分な説明がなされたのか、ドナーとその家族がきちんと理解し納得した上での承諾であるのかどうかを確認するためである。

  この最終同意が非常に大切な手続きであるのは、何も私自身のためだけではない。なぜなら、ドナー候補者が現れたことや最終的な適合検査の結果については、この段階ではまだ患者側には伝えられていない。そのため、この最終同意の時点で提供を拒否しても相手は候補者の存在すらわからないのである。

  しかし、この最終同意という手続きを終えると、骨髄液の提供を受ける患者側へ連絡が入り、移植の準備が始まるのである。しかも、それは移植へ向けた心理的な準備だけでなく、骨髄移植のための前処置が始まるのである。それは化学療法や放射線療法によって骨髄を空にし、血液をつくる機能を意図的に壊滅させるものであり、この段階で骨髄の提供を拒否することは、その患者の死を意味するのである。そして、家族や第三者が見守る中、私は骨髄提供の最終同意書に署名をした。
  

外国の男性へ「命の液」空輸(神秘的な縁に感謝)

  入院する前夜、遅くまで仕事の整理をして、寝不足のまま空港から東京に向かった。骨髄液提供のために発生する費用、交通費や宿泊費、検査料、入院費などは全て骨髄バンクが負担するので、提供するドナー側は金銭的な負担を心配する必要はない。入院する際には付添いとして家族やパートナーの方お一人分の交通費も骨髄バンク側が負担してくれる。私はもうすぐ3歳になる娘は実家に預け、妻と、そして、まだ3ヵ月の次女を連れての「骨髄液提供3泊4日東京の旅」へと飛び立った。入院するといっても、採取当日まではこれといってやることはない。 

  私の方は骨髄液を提供する側なので、別にどこかが悪い訳ではないからだ。入院手続きが済み、荷物も片付けた後、病院内をうろうろと歩き回っていた。

  ドナーは骨髄提供を受ける患者について知ることはできない。当然、骨髄液の採取と移植は別々の病院で行われる。骨髄移植後のトラブルを回避するため、ドナーと患者は互いに名前も住所も知らないし、会うことも連絡を取ることもできない。

  ただし、名前を明かさない形でなら、一度だけ骨髄移植推進財団を通して手紙を届けることができるらしい。私が骨髄液採取を受けるこの病院は誰もがその名を知っている、都内の有名な大学付属病院である。現在は地方でも骨髄液の採取は可能になっているが、私の場合は相手が海外にいることから国際便を使って採取した骨髄液を空輸するため、東京の病院でということになった。

  私の相手は「外国にすむ男性で、年齢が30代」ということだった。ちょうど私と同じ世代である。

  結婚はしているのだろうか、子供はいるのだろうか、仕事は何をしているのだろうか。海の向こう生まれも育ちもまったく関係なく生きている、数万分の一の確率でHLAが一致している相手のことをあれこれと考えながら、神秘的な縁を感じていた。

  入院してから翌日に採取は行われた。前の晩から食事を断ち、採取日の朝に手術室に向かった。ストレッチャーの上に横になって廊下を通りながら手術室へと向かった。初めての手術なのにとても落ち着いていられたのは、精神安定剤のせいというよりも、リラックスできる雰囲気を作ってくれた病院スタッフのおかげだろう。

  私は「行ってきまーす」と明るく手術室のメンバーに声をかけて麻酔ガスを大きく吸い込み、深い眠りに落ちていった。骨髄液の採取は、原則として全身麻酔のもとで行われるので、痛みを感じることはない。

  手術台の上でうつ伏せの状態で眠り、ベルトのやや下側、腰の部分の骨(腸骨)から骨髄液は採取される。メスを使って切り取るのではなく、専用の太い針を左右数箇所に刺して、腰の骨の内部にある骨髄液を吸引して取り出すのである。

  採取される骨髄液の量は通常500〜1000mlで、時間は1〜2時間程度である。呼吸器や循環器、消化器などの胸やお腹を切り開かれるタイプの手術とは違い、この手術は比較的患者の肉体的な負担の軽い手術である。

  採取後の傷跡も針の跡が数箇所残るだけで指で示さなくてはほとんどどこにあるのかさえわからない程度である。麻酔から目が覚めると腰に鈍痛を感じたが、その痛みよりも、提供したその日の夜から発熱があり、その熱のほうがきつかった。

  提供から二日後、歩いて退院し、沖縄まで飛行機で飛んで、その翌日には仕事にも復帰した。腰の鈍痛はしばらく続いたが、座っている分には問題なく、提供後の回復はすこぶる順調だったといえるだろう。

  そもそも私は産まれてこのかた、病気らしい病気をしたことがない。手術を始め、入院も無ければ、骨折さえ経験したことが無い。

  そんな健康過ぎるほどの私がまがりなりにも医療関係者の端くれとして医療法人で働いていることに、正直な事を言えば、ちょっぴり後ろめたささえ感じていた。

  こんな私がどうやって病と戦っている人の気持ちがわかるのだろうかと。だから、今回の手術や入院は私にとって素晴らしい体験となった。健康のありがたさ、家族の思い、病院スタッフの言葉の重み、命の意味やそれを巡る人間たちの営みなど、いろいろ考えさせられた。

  腰の痛みに耐えながら熱にうなされた夜、巡回してくる看護婦さんがまさに天使に見えたという話も決して大袈裟ではなかった。今でも心から感謝している。そして、いつでも私を信じて支えてくれる妻の存在をこれほどありがたく感じたことはない。この場を借りて感謝を申し上げたい。

  私は現在、ジョギングを再開し、ダイビングを楽しむいつもの生活に戻っている。健康であることに感謝し、少しは人のお役に立てたかもしれない幸福感に浸っている。私は彼に骨髄液を提供することで、代わりにより多くの大切なことを提供してもらったような気がしている。燦燦と降り注ぐ太陽の光を浴びながら今僕が眺めているこの青空を、きっと海の向こうの彼も見上げているにちがいない。僕らは、今、確実に繋がっている。
  
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