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骨髄バンク ドナーの輪

ドナー体験記
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1. きっかけ

1998年の秋ごろ、友達と観光地へドライブに行った帰りでした。
道沿いの看板に「ラーメン ¥180」という飲食店の看板に
魅かれて、その飲食店に入った・・・(汗)そこで料理を注文して待っている時のこと。
テーブルの上に骨髄バンクのパンフレット「チャンス」が置いてあるのに気づき、僕は何気なくその「チャンス!」を手に取り、しばらく読んでいました。
僕の心の中に眠っていた『人の役に立ちたい!』というボランティア精神に火がつき、即「ドナー登録」をしようと決意したのです。


2. ドナー登録

当時は現在のようにドナー登録の手続きが簡単ではなく、結構面倒だったのを覚えています。
また、ドナー登録は平日の昼間しかやっていなく、会社をお休みしてドナー登録に行ったのでした。
僕は隣町の保健所でドナー登録を行ないましたが、平日にもかかわらず、僕の他に数人のドナー登録希望者がいたのでちょっとビックリ!?
登録のほうは現在と同じく、ドナー登録の説明を受けた後、ビデオを見て申込書に記入。そして採血を行なって終了という感じです。
その日、僕はボランティア精神に目覚めたのか、このドナー登録の後に献血ルームに行って献血もやってきたのでした(爆)


3. ドナー候補者の一人に決定

ドナー登録を行なって5年の月日が経った2003年の10月、ドナー登録をしたことでさえ忘れてかけていた時、財団から一通の大きな封筒が届いた。さすがに初めは驚いたが『もしかしたら人の役に立てるチャンスなんだ!! そして、もし選ばれたなら是非とも提供したい!!』と思い、今後のドナーコーディネートを進めることにしたのです。
しかし、このことを家内に話すと万一の医療事故のことをとても気にかけており、反対されてしまった。
でも僕の意思は固く、半ば強引に話を進めたのです。
その後、財団の地区事務局より調整医師の先生と担当コーディネーターさんが決まりました。


4. 確認検査

11月始めのある日、確認検査のため隣町の調整医師のいる病院に向かいました。
この日、初めて調整医師のF先生とコーディネーターのMさんにお会いしました。
調整医師のF先生とコーディネーターのMさんはとても感じのいい方でよかったです。院内の応接室でMさんよりこれからのドナーコーディネートにあたっての説明があり、F先生からは骨髄採取にあたっての医学的な説明を受けました。
F先生には骨髄採取に伴う危険性などを聞かされたのですが、僕の意思はこんなことで揺らぐものではなかったので今後の話を進めていただくようにしました。
そして、Mさんからはしきりに家族の反応について聞かれたので、家内がこのことについてかなり難色を示していることを伝えると、Mさんは「奥さんとじっくり話されてから話を進めたら!?」とまで言われましたが、僕は「家内のほうはなんとか説得します」と言って今後のコーディネートを進めていただくようにお願いしました。

この後、F先生の問診があったのですが、ここで予期せぬ事態が起きてしまった。
調整医師の先生が僕の身体検診を行っている時のこと。先生が僕のおなかの辺りを触っている時にしきりに「触れるねぇ」と言っているのです。僕は先生に何が触れるのかと聞くと「触肝」があると言うのです。
そこでその後の検査及び、採血は中止となりバンク側の判断を仰ぐことになった。バンクの判断は…「コーディネート保留」・・・。
僕はあまりのショックに落胆してしまった。落胆した僕を見た先生は「まだ終わったわけではないよ。より詳しい再検査を行って異常がなければコーディネートが再開できるから!!」と言ってくれました。
先生の言葉どおりに後日、再検査を受けたところ異常は見つからず、
再び、コーディネートが継続されました。その後、日を改めて採血を行いまして、やっと確認検査が終了した。
結局、この確認検査のために3回も病院に足を運ぶことになってしまったのです。


5. 最終的なドナー候補者に決定

いろいろとあった確認検査ですが、なんとか無事に終わった。
数日後、血液検査の結果がでまして「異常はありません」と言うことでしたので、まずは第一関門をクリア!! あとは最終的なドナー候補者に選ばれることを待つのみ♪ しかし、これがなかなか来ない・・・。
早ければ一ヶ月ぐらいで結果が来るそうですが、一ヶ月過ぎてもまだ来ない。ちょうどこの頃、年の瀬であったことからコーディネーターさんから電話があり、「結果が届くのは年が明けてからになるようです」との事。結局、このすっきりしない気持ちのまま年を越すことになった。
年明け早々、自分の仕事が忙しくなってきて、このことがあまり気にならなくなっていた1月の下旬に地区事務局より1通の封書が届いた。
おそるおそるその封書を開けて書面を見ると・・・
「先日の検査の結果、最終的なドナー候補者に選ばれました」との事。
僕は嬉しい気持ちを抑えられない感じだったのに対し、家内は考え深い気持ちだったようです。


6. 最終同意

最終的なドナー候補者の決定から数日後、以前、確認検査を行った調整医師のF先生のいる病院で最終同意面談を行ないました。
僕たちドナー側は自分と家内と自分の姉が同行してくれた。
そして財団側は調整医師のF先生、コーディネーターのMさん。そして、立会人となってくれたコーディネーターのKさんの計6人で最終同意面談を行ないました。
内容は以前の確認検査の時に僕が聞いた説明を家内と姉に対して説明をして本人と家族が骨髄提供に同意していただけるのであれば同意書に署名・捺印するということ。
僕は確認検査の時にF先生から厳しい言葉を聞いていたので家内がそれに怯えて拒否しなければいいけど・・・と思いながら先生の話を聞いていたのですが、家内は気丈にも最後までちゃんと聞いてくれました。
そして全ての説明が終わって提供の意思を伝えるところにきた。
もちろん僕は「同意します!!」と答えた。
ただ家内はここでの決断に踏み切れずに「少し家族と話をさせてください」ということでした。
僕は家内の発言にちょっと戸惑いを隠しきれなかったのですが、財団側の方達に席を外していただいて3人で話をしました。
家内は先生の説明を聞いて、すこし恐怖心を抱いていた・・・。
僕は「絶対、大丈夫だから!!」の一点張り。
すると姉は・・・「この子(僕)はこれだと決めたら絶対に引かない子だからね〜」「でも、この子だったら必ず元気な姿で戻ってくるから大丈夫だよ!!」って言った。
家内はその姉の言葉で救われたのか「私、同意するよ」と言ってくれた。

再び、財団の方達に入室していただき、改めて意思確認をすることに。
僕・・・「もちろん同意します!!」
家内・・・「不安はあるけど主人が決めたことだから私も同意します」
姉・・・「同意します」
と三人の意思を確認した後、Mさんは2通の同意書を出して内容を読み上げて同意書に署名し、続いてF先生も署名してこちらに渡してくれました。
僕と家内はそれぞれに署名・捺印をして最後に立会人のKさんが署名・捺印をして1部は財団提出用。そして、もう1部は骨髄提供者である僕が頂いて最終同意面談が終了しました。
最終同意終了後、僕はこれでドナーになれる喜びともうこれで後戻りはできないという気持ちが入り組んでいました。そして、家内と姉には本当はしてほしくないと思う気持ちを抑えて僕の意思を尊重して同意してくれたことに心からの感謝の気持ちでいっぱいでした。


7. 術前健康診断

最終同意から一週間後、コーディネーターさんから電話を頂き、採取日と採取病院が決定しました。採取日は3月○○日、採取病院はKS病院と決まりました。採取病院は僕の希望通りになってよかったです。
採取日が3月なので術前健康診断は2月下旬に採取病院で行ないました。
ちなみに僕の居住する県では県内に採取病院は5箇所ありますが、僕の居住する県東部には採取病院がなく、県中部のKS病院までは電車とバスを使って自宅から1時間半もかかるのです・・・。
この日は9:00にコーディネーターのMさんと待ち合わせ。その後、受診する為の諸手続きを済ませて、待合場所で受診待ちをしている時に僕の骨髄液を提供する患者さんの情報を教えていただき、その患者さんは
10歳未満の女の子、小児科病棟の患者』ということ。
僕はそれを聞いたとき、とてもいたたまれない気持ちになった。
確かに僕の体重からすると女性か子供の患者さんだと思っていたが、
ここまで小さな患者さんだと思わなかったのでとてもショックだった。
『何故、こんな小さな子が大変な病気にかからなければならないのか!?』『人の運命って、なんでこんなに不公平なのか!!』って感じて、僕は『この女の子を助けたい!!』と強く思った。

さて健康診断のほうですが、僕の担当主治医になるY先生の説明の後、身長・体重測定→尿検査→採血→胸部レントゲン→心電図→肺活量測定。そして午後には麻酔科の検診といろいろとやることに・・・。
でも、この検査で引っかかると最終同意後でも提供中止になるということなので、何がなんでもこの健康診断で異常がないことを願っていたが、幸いにも“すべて異常なし”ということだったのでホッとした。
ちなみに今回、提供する患者さんが小さな患者さんなので骨髄採取量が300ccと少なかった為、自己血の採血はなしということになった。
ただ僕としては『せめて一回だけでも自己血の採血をやりたかった』というのが本音でした・・・。


8. 最終同意後から採取日までの日々

最終同意から採取日までは特に健康管理には気を使いました。
この時期、ちょうど風邪やインフルエンザが流行っている時でありましたし、自分の不注意で体調を崩して提供が中止になってしまうと患者さんの生命を危うくしかねないので絶対に体調を崩せません!!
外出する時は常にマスクを着用していましたし、一日に数回はうがい薬でうがいをするという徹底振りだったような・・・!?
そんな努力の甲斐があってか風邪などで体調を崩すことがなく無事に採取日を迎えることができました。


9. 採取日前日(入院当日)

この日、朝10:00までに入院手続きをするために朝8:30の電車で採取病院までに向かわなければならなかったので朝からドタバタだった。でも、なんとか身支度を済ませて無事に予定の電車に乗り、採取病院に向かった。
実はこの日は僕の家内と僕の両親が同行してくれたのですが、親とこのように電車に乗るのは実に13年ぶりだったのでとても懐かしく思いました。

その後は順調で9:30には病院に到着。
早速、入院手続きをして、病室のある4階に向かいました。

10:00
病棟ナースステーションに行き、身長・体重測定。
いよいよ、僕のお世話になる病室に行った。
病室は個室ではなく、4人部屋の通路側の一角。僕は別に具合が悪くて入院するわけではないので、この場所にいることがとても不思議な感じだった。
この病室には僕の他に二人の入院患者さんがいましたので、軽く挨拶をしまして、その後の指示待ちをしていました。

10:30
僕の担当看護師さんであるHさんが来ていただきまして、入院生活と手術の経過についての説明。
その際にHさんが「明日の手術の際に使うので、T字帯と圧迫ストッキングを買っておいてね♪」と言い、買うものを書いたメモをくれました。
その後、他の看護師さんが来て、採血と抗生剤の皮下テストなどをやった。午後は手術室看護師さんの説明と麻酔科医の診察があるのですが、それ以外は特にやることがなくて、とにかく暇でした・・・。

12:00
初めての病院食。
病院食って、あまり美味しくないと思っていたので期待はしていなかったのですが・・・これが思ったよりも美味しかった!!
家内と両親は地下の食堂へ昼食を摂りに行きました。

14:00
入浴タイム。
この次に入浴できるのが退院の翌々日からなので、頭から足の先までしっかりと洗いました〜(笑)
そしてお風呂に使っている時、「いよいよ明日、骨髄採取なんだな〜」とふと、思っていたのでした。

16:00
麻酔科医の診察と手術室看護師の説明がありました。
その手術室看護師のOさんが可愛らしい女性(ひと)だったのでちょっと嬉しかった・・・。

17:00
家内と両親が帰宅。
病院の玄関まで見送りに行った。
両親にはせっかく来てもらったのに一日中、待合場所で待っているだけだったので、なんか申し訳なかったです。

その後、メモに書いてもらったT字帯と圧迫ストッキングを買いに売店へ行きました。ところが、圧迫ストッキングはサイズがあるので、看護師さんにサイズを測ってもらってから来てくださいとの事。
一度、病室に戻ってから看護師さんにサイズを測ってもらって、再び売店へ・・・。
T字帯と圧迫ストッキングを購入して病室に戻ると、今度はHさんが、「今、買ってきたT字帯と圧迫ストッキングの代金は患者さんのほうから出るから、返金してもらって!」って!?
訳がわからないままHさんと売店に行き、返金していただきました。
ただ、返金されたのは嬉しいけど『患者さんに申し訳ない』と思う気持ちでした。

18:00
夕食の時間。昼食同様に美味しくいただいた〜♪
でも21:00以降は絶食。翌朝6:00以降は絶飲食と思うと何故か食べ物が恋しくなり、夕食後に売店に行ってパンを買ってきて食べていたのであった・・・(爆)

21:00
消灯時間とはいっても日頃、こんなに早く寝ることはないので、
はたして眠れるのかと思っていた。『これが個室だったら消灯後でも起きていられるのに・・・』と思いつつも部屋の明かりが消えたらいつの間にか夢の中だった。


10. 採取日当日(入院2日目)

6:00
起床時間は6:00なんだけど昨夜、あんなに早く寝たためか5:00ぐらいには目が覚めてしまった。再び目をつぶっていても眠れないので布団の中で今日の骨髄採取のことを考えていた。
本当は7:00から朝食なんだけど、絶飲食中なので朝食はないと思うと、とてもおなかが空いたような感じだった。

8:00
家内と僕の母親が来た。
今まで、あんなに不安がっていた家内が今日はなんか気持ちが吹っ切れたような感じで落ち着いていた。
その後、看護師さんが来て「○○さん、そろそろ手術着に着替えましよう」言ったので手術着に着替えて、足には昨日買ってきた圧迫ストッキングを履いた。すると看護師さんが「トイレは済ましましたか?」と聞いてきたので、「いや、まだです」と答えると「出ないならしょうがないけど一応、△△をしておきますか?」と・・・。
僕としてはしたくなかったのですが、一応やっておきまして無事にトイレを済ましてきた。やっぱり△△はやりたくはないものです・・・(>_<)

8:50
家内と母親に見送られながら、いよいよ骨髄採取を行なう中央手術室へ看護師さんと歩いて向かった。
中央手術室に着き、二重扉の向こうにあった光景に驚いた。
僕の思っていた手術室のイメージって二重扉の向こうにはすぐに手術台があるものだと思っていたのに、目にした光景はカウンターがあり、その向こうには事務室になっていた。
ここで病棟看護師さんとは別れて、今度は手術室看護師さんのOさんと
僕が骨髄採取を行なう手術室へ向かった。
渡り廊下を歩きコーナーを二つ曲がると幾つもの手術室があってまたまたビックリ!!
ふと、Oさんに「ここの手術室は全部で何室あるのですか?」と尋ねると「全部で8室ありますよ」って。それを聞いてさらにビックリ!?
そんなどうでもいいような会話をしていたら、僕が骨髄採取を受ける4番の手術室に着いた。

手術室の中はとても明るく、いろんな機器が並んでいた。そしてBGMとしてミスチルの曲がかかっていた。「この曲ってY先生の好みなのかな!?」と思いつつ、中央にある手術台の上に上がった。
そして手術台の上に仰向けに寝ると両手足を手術台に固定されて、左腕には点滴ラインがつながれ、身体のあちらこちらに心電図のセンサーが付けられた。 さらにはふとともの付け根より採血を取ったのですが、これが結構痛かった・・・(泣)
すべての準備が整い、たぶんY先生が「緊張している!?」と聞いてきた。
僕は「ちょっと緊張しているけど、大丈夫です!!」と答えた。
でも先生にはそう言いつつも、とても緊張していた・・・(汗)
『無事に手術が終わってほしい!!』と心の中でつぶやいていた。
すると口に酸素マスクをつけられ、先生が「眠くなる薬が入るからね〜」と言ったのを聞いてすぐに眠りについていた・・・・・

・・・・・「○○さん、終わりましたよ!!」という声で意識が戻ると、僕はまだ手術台の上にいた。採取部はわずかながら痛みを感じたが、それほど痛くはなかった。喉は管が入ってるためかちょっと痛い。でもその管はすぐに外してくれた。そして尿導カテーテルが挿入されているからなのか、とても尿意を催していた。
そのことを先生に言うと「管がつながっているから出してくれてもいいんだよ」とは言うけど、出そうとしても出るはずがない。
『このカテーテルを早く抜いてほしい!!』と思ったのですが、安静解除後までは外せないとのこと・・・トホホ(泣)
そして、隣の回復室にてしばらくいた後に病室へと移された。

16:00
安静解除の時間となり、やっとあの不快な尿導カテーテルを外してもらえると安心していた。なんか絶対安静のときにコーディネーターのMさんが来たらしいのですがあまり覚えていなかった。
やがて、担当看護師のHさんが来てくれて、上半身だけ起こしてもらうような感じにして頂いた。
その状態で10分ぐらいいたのかな!? やっと尿導カテーテルを外してもらおうとした時、急に気分が悪くなった。
気持ち悪いし、全身から脂汗が出る始末で自分ではどうする事もできない状態・・・。
Hさんは「身体を拭くタオルとお湯を持ってくる」と言って駆けていった。
そして、Hさんに身体を拭くタオルとお湯を持ってきて頂くと、家内がそれで僕の身体を拭いてくれた。この時ほど家内のやさしさを感じることができたのは言うまでもないです。
その時に主治医のY先生が来て僕のこの状態を見た時、「普通だったらすぐに歩けるのだけどね〜」と・・・『先生、そんなこと言ったって・・・』。
結局、その30分後にカテーテルを抜いていただいたのですが、あの時の痛みは想像をはるかに越えて、とても痛かった!!!(泣泣)

その後、歩行訓練を兼ねてトイレまでHさんに肩を貸していただき歩いた。トイレに着き、用を足そうとしたのですが出ないどころか陰部に激痛を感じた瞬間、再び気分が悪くなってしまった。
この予期せぬ状況にHさんも驚いたらしく、慌てて「車椅子を持ってくる」と言って走っていった。僕は手すりにつかまりながらかろうじて立っていた。その後、Hさんが車椅子を持って戻ってきた時にはだいぶ気分も良くなっていたので、歩いて病室まで戻った。でも、せっかくHさんが車椅子を持ってきてくれたのに申し訳なかったです。

17:30
家内と母親が帰宅。
さすがに今日だけは動けないので病室で見送った。

18:00
夕食の時間。この時は術後とあってか全粥食だったが、さすがに調子が悪くて休み休みでなんとか食べた。やっぱり、この時だけは食事が美味しく感じなかったです。
その後は、消灯時間までベットに横になりながらTVを観ていた。
すると、隣りのベットのおじさんが僕に「術後は何があるかわからないから、何かあったら隣りにいるからすぐに呼びなよ!!」って声をかけてくれた。『お互いにまったく知らない他人同士なのに、こんな優しい言葉をかけてくれるなんて!!』僕はとても嬉しく思った。
やがて9:00の消灯時間になり僕はすぐに寝てしまった。

25:00
夜中にどうしてもトイレに行きたくて行こうと思ったのですが、看護師さんに「今夜はトイレに行く時には呼んでくださいね」と言われていたので申し訳ないと思いながらもナースコールをした。
するとすぐに当直の看護師さんが来てくれて、看護師さんに手助けて頂きながらトイレに行った。仕事とはいえ文句も言わずに優しく手助けしてくれる看護師さんの姿を見て『看護師(婦)さんって本当に“白衣の天使”なんだ』と思ったのでした。


11. 採取日翌日(入院3日目)

6:00
昨日の手術で身体が疲れていたのか朝までぐっすりと寝ていた。
朝、起きてみると体調はたいぶ良かった。それでも採取部位は触れると痛いので仰向けになることができずに横向きのままテレビを見ていた。
6:30ごろに巡回の看護師さんが来て採血と最後の抗生剤の点滴を行った。
10:00
コーディネーターのMさんが来てくれた。
Mさん「○○さん、身体の具合はいかがですか?」
僕  「昨日に比べるとだいぶいいです。」
Mさん「ちょっと早いですが48時間後のアンケートをとります。」
・・・その後、アンケートに答える。
・・・アンケート終了後、
Mさん「昨夜、奥さんからお電話を頂いて、もう1日入院させてほしいと言われたのですが?」
僕  「一度、先生に聞いてみます。」
Mさん「わかりました。それでは私はこれで失礼します。」

12:30
家内が来てくれた。
その後、Y先生が来たので先生に「もう1日、入院させてほしい」と訊ねてみた。
Y先生は「気持ちはわかるけど、これ以上、治療を施すことはないし、今朝の血液検査でも問題はなかったです。それに、この入院費は患者さんの負担になるからどうかな?って思うのだけど・・・」
僕もしばらく考えたのち『これ以上、患者さんに負担を負わせたくない』と思い、退院することを決めた。

14:00
帰り支度をして、同室の患者さんにあいさつをしました。
昨夜、僕に声をかけてくれた方から「がんばってね!!」と励ましの言葉をもらった。僕も「昨日は心配してくれてありがとうございました!!」と答えた。
その後、ナースステーションに向かい、お世話になった看護師さん達に「お世話になりました。」とあいさつをして退院しました。
本当に貴重な体験をさせて頂いた2泊3日の入院生活でした。


12. 術後検診
退院後、3日ほど続いた排尿時の痛みには悩まされましたが、採取部位の痛みは一週間ほどでほぼなくなりました。

退院から2週間後のある日、採取をおこなったKS病院に行き術後検診を受けてきました。
この日はコーディネーターのMさんは同行せずに後ほど僕から電話連絡をするということになっています。
まずは採血を行い、その結果が出てきてから先生の検診となりました。
とりあえず血液検査の結果は問題なし。その後、Y先生から「採取部位の痛みはどうですか?」と尋ねられたので僕は「一週間ほど痛みはあったのですが、今は大丈夫です。」と答えた。
そして診察ベッドにうつ伏せに寝て採取部位の診察。先生は「傷口はきれいだね」と答えて診察は終了となった。
最後にお世話になったY先生に「今までありがとうございました。」と言って病院を後にしたのでした。
その日、Mさんに電話連絡をするのを忘れてしまい、翌日にMさんから電話がかかってきた。
Mさん「○○さん、こんにちは。」
   「この度は骨髄提供をしていただきまして誠にありがとうございました。」
僕  「こちらこそ、貴重な体験をさせて頂きましてありがとうございました。」
Mさん「お身体の具合はどうですか?」
僕  「退院後、3日ほど続いた排尿痛には悩まされましたが、採取部位の痛みの一週間ほどでなくなり、今では全く、大丈夫です!!」
Mさん「来週も電話を差し上げましょうか?」
僕  「もう大丈夫なんで、いいですよ。」
Mさん「それでは、これでコーディネートは終了となります。」
   「今後、何かありましたら何時でも連絡してください。」
僕  「Mさん、今までありがとうございました。」
Mさん「こちらこそ、ありがとうございました。」

ちなみに腰の辺りにある左右2ヶ所の採取痕は今でも骨髄ドナーとなった証として残っています。


13. 骨髄ドナーとなったその後・・・

今回のコーディネートが終了して一ヶ月ほど経ったある日、地区事務局より1通の封書が届いたのです。
その封書の中には一枚の案内文と白い封書が入っていたのでした。
その案内文には『さて、本日 患者さんよりお手紙が届きました。同封しましたのでご査収ください。』と・・・。
僕は嬉しさのあまりに早速、その封書を開封しました。
まずは女の子のご両親からの手紙。そこにはたくさんの僕への感謝の気持ちが綴られていました。どの言葉をとっても胸が熱くなる言葉ばかりです。そして何よりも嬉しかったのは女の子本人が描いてくれた僕の似顔絵。お互いに一度も逢ったことがないのにとても僕に似ていました。
またその似顔絵に本人の字で『ありがとう どなーさん』と書かれているのを見たとき、感動のあまりに感極まりそうでした。
今でもその手紙を見るたびに胸が熱くなります。
本当にこの手紙は僕にとっての一番の宝物になりました。

そして今、僕は地元のボランティア団体に所属して骨髄バンクの普及・啓発活動を行なっています。
また、こちらでドナー登録説明員の資格も取らせていただきました。
この前、初めて説明員としての説明を行ないましたが、説明がぎこちなく、先輩説明員の方のフォローを受けながらどうにか説明を行ないました・・・(汗)
まだまだ未熟者ですが、積極的にドナー登録会に参加して自信をもって説明ができるようにがんばります。
今後、なお一層の普及・啓発活動を行い、近い将来にはドナー登録者数、全国30万人を目指して日々、活動をしてゆきます。

それから採取後、一年間はドナー登録は保留となっていますが一年後、再びドナー登録を継続します。
もし次回、ドナー候補者に選ばれたとしても、もちろん引き受けることでしょう!!
そして、またいつか出逢うかもしれない『もう一人の私』への出逢いを期待しつつ・・・。




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