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(バンク登録のきっかけ)

骨髄バンクに登録したのは今から10年ほど前です。結婚前にした献血で、軽い気持ちでそのついでに登録したんです。確か献血していたときに骨髄移植のビデオを見て、それが「命のプレゼント」みたいな題名で、そんなことができたらいいなあと思ったんです。

「まぁ、まさか自分が適合するようなことはあるまい」みたいな気持ちだったんですが数ヶ月後に「二次検査の案内」なるハガキが届き、仰天しました。その時は「大変だ大変だ」と家族に言って回ったのですが、その後、連絡はありませんでした。 以前はこの二次検査の案内はわりとたくさんの登録者に届いていたようです。

その後、私は結婚しました。結婚してすぐ、夫に骨髄バンクに登録していることを話すといたく感動し、自分も入ってくれました。それから10年、子どもも3人生まれ、仕事(小学校教員)も充実し、忙しい日々を送っていました。時々実家に届く「骨髄バンクニュース」を読んで、自分が登録していたことを思い出すくらいでした。


(骨髄ドナーコーディネートのお知らせ)

ある日実家に骨髄移植推進財団から封書が届きました。「明らかにいつもの骨髄バンクニュースじゃないな」とすぐ思いました。「もしかして…」と期待して開けてみると、『骨髄バンクの登録患者さんのHLAが一致し、ドナー候補者のお一人に選ばれました。』とのこと!

私はこの時、不謹慎にも「やった!」と思ったんです。まだこの時は骨髄提供の意味をよく考えていなかったんですね。もし提供することになったら、学校で子どもたちにどう知らせようかなとか思っていました。自分が選ばれたんだというか、すごく誇らしいような気分だったように思います。みんなに自慢してまわりたいような。骨髄提供を終えた今から考えると、その時はなんかずれてたなと思います。
すぐにドナーコーディネートを希望するという返信を送りました。結婚して名前が変わったことも知らせていなかったので、それも一緒に書きました。

その後、コーディネートのSさんから初めてのTELがありました。落ち着いた、穏やかな話しぶりでとても好感の持てる方でした。自宅から一時間くらいの病院で、確認検査などに関する説明と採血があるということです。日にちの調整で何度かTELで話しました。


(確認検査)

最初の封書が届いてから一ヶ月くらいたったある日、確認検査(いわゆる3次検査)に行きました。
平日じゃないといけなかったので、仕事は午後からドナー特休を取りました。こういう点は、教員は恵まれていますよね。管理職も快く送り出してくれました。

この時初めてSさんとお会いしましたが、声の感じよりも随分若くてきれいな方でした。歳は50代ですが、おしゃれで清潔感のある方で、私も遠慮なくいろんなことを聞けました。

そこで、一人の患者さんに私のようなドナー候補者が複数いるということや今回の確認検査で一番近い人が最終的に選ばれるということを聞きました。また、私のような小柄な女性が候補になるということは、相手の患者さんは小さい子どもさんじゃないだろうかとも言っていました。
その日はSさんから骨髄移植や財団について詳しい話を聞きました。骨髄移植は必ずしも成功するとは限らないこと、骨髄提供によるドナーのリスク、マイナス面の情報もいろいろ教えてくれました。

その後約40mlの採血がありました。私は血管が細いので一回目は失敗、しばらく腕が青く内出血していました。 確認検査から何日かして血液検査の結果が届きました。いたって健康な私の血、厳しい財団の基準もクリアしました。 ただ他の候補者がより健康で、より近い白血球の型であればそちらが選ばれるわけです。「自分が選ばれますように…」と祈る日々でした。通常、他の候補者が再検査であったりするのでここから数ヶ月かかる場合もあるそうです。


(ドナー選定結果通知)

「しばらく時間がかかるんだろうな…」と思っていたら、確認検査の二週間後、SさんからTELがありました。「最終的なドナー候補者に選ばれました」と。

この時はさすがに緊張しました。嬉しい気持ちも確かにありました。でも、もう相手の患者さんがどういう状態で待つことになるのか、自分の家庭のこと、仕事のこと いろいろなことを考えるようになっていました。
骨髄移植に関するホームページもたくさん見ていました。
「これからいろんなことをクリアしていかないと…」と覚悟を決めました。

最初、患者さんは9月中旬を移植希望時期としていたのですが、9月は運動会の練習の真っ最中、運動会が終わってからの方が私にとっては都合がいいのです。ということで私は10月を希望していました。早まることはないので10月になるだとう、と聞いていたのですが、最終的なドナー候補になった段階で患者さんはなんと8月下旬を希望してきました。私にとっては夏休み中で仕事で迷惑をかけることがなくなるので、もちろんよかったです。

ただ財団にとっては未だかつてないスピードコーディネートとなりました。最初にドナーコーディネートのお知らせが届いたのが6月ですから二ヶ月あまりで移植になったわけです。今財団では早く移植が行われるように「100日コーディネート」なるものを目指しているそうですが、そんなの目じゃないくらいの早さです。


(最終同意、健康診断)

普通なら最終同意と健康診断はもちろん別の日に行われます。しかしいかんせん私の場合は日にちがない。同意は提供日から最低ひと月前でないといけないそうです。苦肉の策で最終同意と健康診断を同じ日に行うことになりました。最終同意が得られれば、その日すぐに健康診断をする、ということです。

最終同意には家族の同意が不可欠です。自分自身も登録している夫ですから、すぐに同意してくれるだろうと思いきや、最初はあまり乗り気ではありませんでした。その気持ちは分からないでもありませんでした。なにしろ私は今や三児の母、もし私の身に何かあったら、と考えるのも不自然ではないでしょう。
私の母は夫が同意するのなら応援する、と言ってくれました。

夫を最終的に動かしたのは、「もし我が子が骨髄移植が必要な病気にかかったら…」ということです。きっと死にものぐるいでドナーを探すことでしょう。
相手の患者さんは多分子どもです。その親御さんの気持ちは容易に想像できます。
骨髄移植はいわば最終手段です。一番近い私が断る理由はもはやありません。『私にしかできないことだから』それが最終同意した明確な理由です。

その日は夫と二人で出かけました。立会人は財団に任せましたので、別のコーディネーターさん(男性)が来ていまし た。
医師とSさんと立会人と私と夫で最終同意が行われました。医師からは専門的な説明がありました。署名、捺印し、「もう引き返せない」と決意を新たにしました。もちろん引き返す気は毛頭ありませんでしたが。

Sさんは私に繰り返し感謝の言葉をかけてくれました。Sさんこそ、自分には何の関係もない人たちのためにこんなに動いてくれてすごいなあと思います。コーディネーターさんもドナーと同じくらい価値ある仕事をしていると私は思います。

その後の健康診断でまたまた採血です。

この日、相手の患者さんのより詳しい情報が入りました。中部地方の体重26キロの男の子、ということです。ちょうど3年生の息子と同じくらいです。患者さんが小さいので骨髄の採取量も少なくてすむそうです。200mlくらいで済みそうです。
だから手術当日の輸血用の自己血もないならないでいいそうですが、一応念のために採っておくことになりました。


(自己血採取)

手術から20日前くらいになる日に自己血の採取がありました。もう夏休みに入っていますから、堂々とドナー特休取りまくりです。こんなに血を採るのはドナー登録以来です。200mlしか取らなかったので採取時間は5分くらいでした。しばらく病院で休んで帰りました。
後は手術当日まで何事もなく過ごすだけです。鉄剤を飲まなくてはならなかったのですが、鉄剤は飲むと多少気持ち悪くなるので苦手でした。


(骨髄採取まで)

最初の通知を受けてから、私の心には微妙な変化が起きていました。このことを話すと人は私に「偉いねえ」と言ってくれます。それを喜んでいた私はきっと自己満足に浸っていたのでしょう。最初の通知をもらって喜んでいたのもしかりです。患者さんのためにする骨髄提供が、自分の為になっていたことに気付いてきました。

もし誰にもこのことを話せなくても、骨髄提供ができるのか?私は自分に問いかけました。答えは…YESです。私は必要最低限の人にしか話さないと決めました。私が誰かの命を救ってやっているのではなく、誰かの命を救うために私はいるのです。
人は生かされているのだなと感じます。人生には意味があり、存在には意義があるのだと。
長男を産んだ日にも同じような気持ちになったことを思い出しました。

夏休み中、私は仕事で大きな発表をすることになりました。その準備などで少なからずストレスを抱えていたのですが、何とか無事に乗り切りました。
二週間前、相手の患者さんが一番つらい前処置に入る頃です。小さな男の子がつらい治療と向き合っている、そのことを考えると胸が締め付けられそうでした。「もう少し、頑張れ。元気な骨髄液をきっと届けるからね。」心の中で祈っていました。


(入院、骨髄採取)

いよいよ入院の日がやってきました。
夫は一日仕事を休みました。私がいない間は夫と母が家を回してくれます。普段から夫は家事を苦にしない方でしたから、助かりました。
子どもたちにも分かる範囲で説明しました。特に長男は、「お母さん、相手の男の子助かるといいね」などとちょっと分かっているようです。

入院初日はむろんピンピンしてるわけですから、結構暇です。折しもオリンピック真っ最中、テレビでゆっくり観ることができました。

執刀する先生、麻酔科の先生、看護士さんたちが入れ替わり立ち替わり説明に来ます。
採血は入院中毎日しました。3日前くらいから生理が始まり、それだけが少し不安でした。
手術そのものに対する不安はほとんどありませんでした。前日の夜はまあまあ眠れました。

当日は朝早くに採血、その後病院の寝間着に着替えます。
手術室に行く前に病室で、睡眠導入剤を注射します。肩からの筋肉注射で、すごく痛かったです。打った後、看護士さんが打った場所をぐいぐい揉んでくれます。

その時にコーディネーターのSさんが来てくれました。「いよいよですね。…」と一言二言話したところで私の記憶は途切れています。Sさんが「話しているとまぶたがす〜っと閉じていきましたよ」と後で話してくれました。
手術室に行くまでや、手術室の様子をしっかりできるだけ覚えていようと思っていたのに、その前段階で眠ってしまうとは…不覚。悔しいです。

現代医療の麻酔技術はスゴイです。手術中のことは全く覚えていません。ぼんやり覚えているのは病室に戻ってきてからです。
酸素マスクをして、自己血を輸血しています。
さすがに腰は痛いです。刺したところというよりは、腰全体が鈍く痛みます。
喉はほとんど痛くありません。
導尿カテーテルはしたの?というくらい何ともありません。

Sさんや看護士さんと少し話したのを、ところどころ覚えていますが、なにしろ眠かった。
はっきり目を覚ましたのは午後になって、家族と母がお見舞いに来てくれてからです。無事に終わってよかった、と思いました。
Sさんは夫に何度もお礼を言っていたそうです。手術中もずっといてくれたそうです。

手術した日の夜が、一番腰が痛かったです。翌日の朝飲んだ痛み止めを早く飲めばよかったと思いました。でも我慢できないほどの痛みではありません。
特に陣痛を経験した女の人なら、絶対耐えられます。比べものになりません。痛みは日一日と軽くなっていきます。ま、痛みの感じ方は人それぞれですからもちろん強制はできませんが、このくらいの痛みなら大丈夫、たくさんの人にドナー登録してほしいと思いました。

執刀した先生に相手の患者さんの様子を聞くと、今のところ安定しているとのこと。新しく健康な血液を作り出すまでには数週間かかるそうです。

一日も早く健康になって、元気に学校に通えるようになりますように。
今回のことを通して私はいろんな人に感謝できるようになりました。
私に生きる意味を与えてくれた小さな男の子に、感謝したいです。「ありがとうございました」と。
このことをSさんに話すと、Sさんは泣いてしまいました。コーディネーターのSさんと知り合えたのも、大きな幸せでした。Sさんがチョコレートが好きな私に、高価な外国のチョコレートを買ってきてくれました。おいしかった。Sさんの気持ちがとても嬉しかったです。


(退院して)

退院の日、家族全員で迎えに来てくれました。4才の末娘は私にしがみついて、何度も「お母しゃん、退院できてよかったね。」と言っていました。私が入院している間、私を思い出して何度か泣いたそうで、そのことを聞くとまたまた泣き出してしまいました。家族のありがたさ、温かさを改めて感じることができたのも、今回のことがあったからです。

今回、このことを忘れないうちに書き留めておいた方がいいと夫から言われ、こうして体験記に残しました。
今、骨髄提供に当たって不安を抱えている方に何らかの力になれればと思います。
骨髄提供のドナーになったことは、私の人生で間違いなくプラスになりました。もちろん様々な考え方があるでしょう。誰かの命を救うお手伝いができたこと、これはおごりではなく、文句なしに良いことをしたと思っていいと私は考えます。そしてそのことによって、私自身もたくさんのことを考えることができました。こういう機会に、本当にたまたま恵まれた私は、すごく幸せだと思います。
もう少し落ち着いたら、患者さんに手紙を書いてみようかなと思います。




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