ドナー体験記
Papa like Chineseの骨髄提供
〜世の役に立てばと日記を書きました〜日本語は弱いのでご勘弁願います・・。
1.自己紹介
妻子あり3人家族です。本人は我が道を行くタイプであり、人助けを好む、超楽観的主義者です
2.バンク登録のキッカケ
当人は献血常習犯であります。毎月、2回程度成分献血を日課にしてたんですね。
5月の献血帰りに廊下で電話している時に、偶然に据置きの「骨髄バンクに登録してください。・チャンス」の冊子を見たのです。
自宅に持ち帰り、何となく読み、献血の延長として登録しても良いかな?と思った。
その後、登録の機会が幾度もあったが、延び延びなってしまった。
結局、冊子を見てから2ヵ月後の7月に登録を決意。
妻にも当選する確率は低いと説明し、登録へ進む。
人助けをすれば、死後の地獄行きが無くなくなるかもと思い・・・
3.ドナー登録
ドナー登録平日に実施されるそうですので、休暇をとり、近くの献血センターへ行く。骨髄説明用の部屋へ行き、色々説明やビデオを鑑賞して、書類にサインして終わり。
僕は深刻に考えることも無くサインしました。
そうそう、採血のこと忘れてたよ。
サインした後に10ccの採血を行います。
採血した血液は、HLA検査に使用されるらしい。
HLAとは白血球の型のことらしいです。
HLAが類似していれば、「ドナー」と「患者」の遠い昔に祖先がつながっていたかも知れないそうです。
4.HLA一致
登録後、2ヶ月した頃に、一通の通知書が参る。内容は「HLAが一致した為、候補者の1人に選定されました」と・・・ビックリです。
自分と祖先がつながっていた可能性が高いヤツが居たなんて。
でも、候補者は数人居るらしいので、最終候補まで残らないだろうと思い、書類にサインし送付する。
後日は、お城に隣接した病院で担当医・コディネータから説明を受けて終わり。
5.最終同意
HLA一致から数日が過ぎ、何故だか最終候補者になってしまった僕・・・。運が良いのだか悪いのだか分からないですね。
ここまで来たなら仕方ないと思い、最終同意することに決めたよ。
でも、難関が2つ待ち受けていたのですね。
「愛妻の反対」
妻がYESとなかなか言わないので、条件付きで許可を得る。1)何時でもお金に余裕があれば旅行へ行くことを許可すること。
2)バンクから受け取る諸経費の一部を譲与すること。
「僕の両親の反対」
両親は何故他人のために体を犠牲にし、危険な行為をする必要があるのかと反対。ちなみに、両親はお金のボランティアはしているが献血は一切してない。
僕は両親と反対の行為をしている。
それに、両親とは普段からケンカしていたので、説得する気持ちにもなれずにいた。
両親的には親が反対すれば、言うことを聞くだろうと思っていたはず。
しか〜し、本人は聞く耳持たず。
何故なら、最終同意には妻さえ承諾すれば、両親の反対は影響しないですね。
そのまま、強行突破しました。
数日が経過し、健康診断を終え、骨髄採取のみになる。
この時点では、採取時期は1月頃の予定でした。
6.予期せぬ事態
ある日、コディネータから連絡があり。患者容態が悪化したため11月に採取は可能ですか?
仕方ないと思い承諾したよ。
これも人助けですしね・・・。
7.骨髄採取前の準備
採取日の数週間前に術後用の自己血を2回に分けて採取する。自己血は、術後の輸血に使用します。
骨髄と血液は同じです。
この日に、献血は当分出来なくなるな〜と寂しくなりました。
献血常習犯にはチト辛いですね。
一応、この時点で遺書を作成する(不慮の事態のために)
自己血採取後、体調管理万全で日々、数ヶ月先の骨髄採取を待つのみとなる。
8.ハプニング
採取日直前に、原因不明で40℃の熱を発症する。熱は数日で下がったが、担当医に相談した結果、早期入院になる(反省)。
周囲の方々にご迷惑をかけ申し訳ない。
9.骨髄採取及びその後
骨髄採取は2005年11月に行いました。採取当日は早めの起床。
9時前に、術着に着替えて、軽い麻酔を打たれて、術室へ移動する。
術室の無影灯を見た後に記憶なし。
昼前に目覚め、数時間後に妻子と再会する。
僕は麻酔醒めが早かったみたいです。
術部は全く痛まず、導尿管を入れた部分のみ痛む。
当日夕方に、導尿管抜いて、術部も痛まないので、院内を徘徊する。
僕って鈍感なのかな〜と実感する。
退院後も、体調万全で何事も無く本当に楽なものでしたが、妻子は心配した模様です。
後遺症が出ないかと・・・。
数ヶ月が過ぎた頃、両親から連絡がある。
両親「やっぱり骨髄提供は諦めたか」
僕「もう提供したよ」
両親「・・・・・」
また、提供依頼がくればトライするので、早く来ないかな・・・。
早く来い来い、2度目のトライ
10.骨髄提供で得たもの
- 人命を救え得る手助けが出来た
(現時点で、患者が完全復活をしたことが不明ですので、手助けと表現しております) - 僕の身体の危険性を真剣に考える機会を得た
(この様な機会は、長い人生で滅多に無いはず) - 遺書を作成する機会を得た
(別に遺書を書く必要はなかったのですが、他界後のために、財産分与や葬儀のことを書きました)
でもこれが、かなり深刻に考えたのね。 - 人生の価値観が変った
人生って気紛れだな〜と感じ、超楽観的主義へと変貌しました。
| ※掲載されている文章・写真・図表などは、原作者の許諾を得て掲載しております。 無断での転載を禁じます。 |


