アクセス解析CGI

ドナー体験記

1.骨髄バンクとは

「骨髄バンク」
一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
そして誰しもがだいたいの知識はもたれているかと思います。

「骨髄バンク」とは、骨髄移植を必要とする患者さんに対して、
骨髄を提供出来る人を登録するための機関です。

骨髄移植は、骨髄性白血病や重症再生不良性貧血、免疫不全症、先天性代謝異常症
など、病気に冒された骨髄を、健康なものに置き換える治療法です。
骨髄は、家族などの血縁者から移植されることが多いのですが、
日本では、血縁者の中から提供出来る確率は30%くらいと言われています。
残りの70%の患者さんは・・・
赤の他人から、骨髄提供者を探し出さないといけないのです。

移植を希望する患者さんすべてに提供するためには、
骨髄バンク登録者は30万人必要と言われています。
でも現在はまだまだ足りない状況です。
知名度はあるのに、登録する人は少ない。
なぜなのか・・・。

私は今まで、登録してることをあまり人に話しませんでした。
話すと、「え〜。あれって登録するとき痛いんじゃないの?
痛い思いまでして登録するなんて嫌だ〜」
そう言われることが多かったからです。

登録の段階では、いきなり骨髄を採取したりしません。
腕から、ほんの10ccの血液を採取するだけです。
登録そのものは、年齢や健康状態等の条件さえ合えば、誰でも簡単に出来ます。
ただ、実際に提供となって、骨髄を採取する時は、入院・手術が必要になります。
ボランティアにしては、とてもリスクの大きなものです。
だから大勢の人は二の足を踏むのでしょう。

私は今から5年ほど前に骨髄バンクに登録しました。
きっかけは・・・ただ単に新聞広告を見たからです。
小学校3,4年生くらいの女の子の写真が、1面全部使って載っていました。
「骨髄を提供してもらったおかげで、元気になりました」
そういうコピーが載っていたように記憶しています。
それ以前にも存在そのものは知っていました。
ちょうど、「臓器提供カード」が出始めた頃です。
脳死したときに、臓器を提供する意思があることを示すカード。
あれは死んでからのことだから、わりと気楽な気持ちで、大勢の人が持っていると思います。
もちろん私も夫も持っており、お互いがサインをしていました。
そのこともあって、ちょうどボランティア精神が高ぶっていたのでしょう。
ほんとに気楽な気持ちで問い合わせ、資料を送付してもらい、
最寄の血液センターに予約して、
骨髄バンクの仕組みや、骨髄提供の流れなどを、確かビデオか何かで見て、
登録する意味を十分理解した上で、登録しました。

理解はしたつもりだったし、提供の話が来たら出来るだけしたいとは思っていたけど、
実際に提供する確率は少ないとも聞き、
まさか自分には来ないだろう、という気持ちもありました。
何かしら善意の形を表すことで、自己満足にひたっていたのかもしれません。
ほんとに、その程度の気持ちだったから、人にあまり言えなかったのかも・・・。


詳しい内容を知りたい方は、HPがありますので御覧になってみてください。
登録の仕方や、骨髄バンクに関する様々なことがわかります。

財団法人骨髄移植推進財団
日本骨髄バンクのHPです。

donorsnet.net
ドナー登録のキャンペーンサイトです。

2.骨髄性白血病

治療に骨髄提供を必要とする病気は白血病に限ったことではありませんが、
やはり一番患者数が多いのではないかと思います。

数年前、私の知人が「急性骨髄性白血病」にかかりました。
私の親友の親類でした。
彼女は私より2歳ほど上。30代半ばという若さでこの世を去りました。

彼女は、実の弟さんから骨髄の提供を受けたけど、うまくいきませんでした。
一度は完治したように見えたけど再発。
提供。そしてまた再発。
その繰り返しで、数年間の闘病生活を強いられました。

彼女には、結婚を約束した彼がいたようです。
だけど、病気を理由に決別してしまった。
どんなにつらかっただろう、と・・・。
女として、一番輝ける時期なのに。
結婚して、出産して、子育てして・・・。
それらが何一つかなわなかった。
自分の体を呪って、精神的にも随分参っていたようです。

もし、彼女に適合するドナーがいたら・・・
実の弟さんより、もっと適合する人が現れていたら・・・
彼女は、助かったかもしれません。
女として、母として、生きられたかもしれません。

骨髄提供を必要としている患者さんの中には、子供もたくさんいるようです。
ほおっておいたら死が近づいてくる。
だけど、適合する骨髄さえあれば、もしかしたら助かるかもしれない。
これから数十年残っている長い人生を、まっとう出来るかもしれないのです。

もし、自分の子供がその病気になったら、
親としては全てを捨ててでも、子供を助けたい、と思うでしょう。
日本全国、一人残らず呼びかけて、骨髄の提供を求めたい気持ちに
なるのではないでしょうか。

若くして去った知人のお通夜に出席しました。
どこか素直に冥福を祈れない気持ちがありました。
もしかしたら・・・なんとか出来たのでは・・・

彼女のことを知ったときには、私はすでに骨髄バンクに登録していましたが、
彼女の死をムダにしたくない、と感じました。

3.HLA適合(1回目)

HLAとは、簡単に言うと白血球の型のことです。
普段よく使う、A・B・AB・O型は、赤血球の型です。
HLA型には実に様々な型があり、その組み合わせは数万通りあります。
登録の際は、HLA型の一部だけが登録されます。
そこで患者と一致すれば、その後さらに詳しい血液検査を行い、
もっと深いHLA型を調べます。

最初の登録の際のHLA型では、わりと多くの適合者が見つかるようです。
一人の患者さんに対して、5人まで提供の候補者をつけられるそうです。
その候補者が、実際に提供出来るかどうかは別にして。


私は、登録して約1年後に、骨髄バンクから大きな封筒が届きました。
「HLA型が一致した患者さんがおられます」
中を開くと、そういう文章が目に飛び込んできました。

やっぱり慌てました。
登録そのものは簡単だったから抵抗なかったけど、
いざ提供となると、入院して手術しなければいけなくなる。
まだ当時子供が小さく、夫は仕事で忙しく、
私が入院するとなると、遠くの実家に預けなければいけない。
しかも私は失業中で、次の仕事が決まったばかりだったから、
そんなときにいきなり「入院します」なんて言えない・・・。
まさかこんなに早く一致する患者さんが現れると思ってなかったから、
すごくとまどいました。
夫に話すと、「出来る限り提供したら?」と。
だけどいろんな事情を考えると、今の時期では払う犠牲が大きすぎる。
数日後、移植コーディネーターの方から電話があり、そういう事情を伝えて、
「まだ迷っています」と言いました。
すると、コーディネーターの方はあっさりと、
「じゃあ今回は無理されなくていいですよ。またの機会にしてください」

え??って感じだった。そんなにあっさりしてていいの?
私の骨髄が必要な患者さんじゃないの?

後でなんとなくわかったことですが、私はあくまでもドナー候補者の一人にすぎない。
HLAの詳しい検査をしたら、患者さんに合わないかもしれない。
そして何より、骨髄バンクは患者さんの都合より、
ドナーの都合を優先させます。
ドナーが体に受ける負担もそれなりに大きく、
検査・入院等で仕事を休んでも、その保障は出ない。
本当にリスクの大きなボランティアなのです。
街角で募金するような、そんな簡単にはいかない、
数々の犠牲を払うボランティアです。
骨髄バンクは、ドナーの善意で成り立っています。
だからこそ、ドナーを大切にし、ドナー第一で考えてくれるのです。


私は結局提供を断りました。
最初の段階で断ることが、患者さんにとっては一番楽だからです。
段階が進んでから断られることの方が、患者さんにとってはきつい。
ましてや、最終同意書にサインをした後は、絶対に断ることは出来ません。
患者さんは、その最終同意後に、全身の骨髄を抜いて、準備をするのです。
そこで何らかの事情で骨髄が提供されないと、
それはイコール「死」ということになるそうです・・・。

断ってしまったけど、そのことがずっと、私の心の中でひっかかることになりました。

ほんとにこれでよかったのか。
もしかしたら、助けられる人を一人、殺してしまったのではないか・・・。

4.HLA適合(2回目)

提供を断って約3年後。また骨髄バンクから大きな封筒が届きました。
もう封をあけることなく、察知できました。
また、HLA型が適合した患者さんが現れました。

前回断ったことがずっとひっかかっていたこともあり、
多少の不安はあったものの、今回はそれを読んだ瞬間、提供の意思を固めました。
不幸中の幸いか、夫が失業して家にいることになったため、
子供の面倒を見る、という問題は解決できました。
職場も、話せば理解してくれそうな職場だったため、そちらの問題も解決。
移植コーディネーターの方からの電話にも、「提供に前向きに考えています」
と伝えることが出来ました。

その数週間後、指定された病院に検査と説明を受けに行きました。
骨髄移植は、もちろん指定された病院でしか出来ません。
そこで初めて、移植コーディネーターの方とお会いしました。
あきらかに私より年下の女性でした。
提供に関しては、この移植コーディネーターさんが進めてくださるので、
ドナーはコーディネーターさんを通して、いろんなことを聞き、
それに従い行動していきます。
1時間ほどの提供に関するいろいろな説明がありました。
HLA型のこと、提供に向けての流れ、提供する方法、体に受ける影響、
その後のこと、そして家族の同意、患者やドナーのプライバシーに関すること、
いろいろな説明を受けた後、担当医師との対面。
この医師が骨髄採取の指揮を執ることになります。
コーディネーター、医師との話が終わったのち、仮の同意書にサインをします。
もちろん、この段階で「やっぱり提供はやめます」と言ってもかまいません。
だけど、私は辞めることは全く考えていませんでした。
サインをした後、HLA型をさらに深く調べ、病気・感染症などの有無も調べるため、
少量の血液採取をします。
その日はそれで終わりました。

血液検査の結果はその10日ほど後に出ました。
これは、普通に献血したときにもらえる検査結果と同じようなものです。
HLAの詳しい型は、本人には知らされません。ほんとは知りたかったのですが・・・。
その結果を踏まえて、患者さん側の医師等が検討し、提供かどうかの判断をします。
もし、私以外にもHLA型の一致したドナーがいたとしたら、そのドナーの結果とも照らし合わせ、
患者さんにとって最適なドナーを選びます。

最初の検査・面談から1ヵ月後、骨髄バンクから通知が来ました。
「あなたが、最終候補のドナーに決定いたしました」

その通知を読んだ瞬間、体が震えているのがわかりました。
不安な気持ちと、そして、「これから大変だけど、頑張らなくちゃ」という気持ち。
いろいろ複雑ではあったけど、望んでいたことなので、どこかほっとしていました。

提供に動き始めたとき、数人の親しい友人にそのことを話しました。
「すごいねー。頑張ってねー」と言う人、「大変だねー」と言う人。
友人の中には、骨髄バンクに登録はしていないけど、
しようと思っていたとか、その内容をある程度理解してくれていた人もいました。
知り合いが提供を受け、元気になった話をしてくれた人もいました。
その患者さんと家族は、提供者にどんなに感謝しているかしれない、と。
それを聞いたとき、私は涙が出ました。
家族や仕事、金銭面、そして自分の体に多少のリスクを負ってしまう。
なのにそこまでしてすることだろうか、という考えもわずかながらあった時期で、
でもその言葉により、私のやろうとしてることは間違ってない、と自信もつきました。

しかし中には、返事につまる人もいました。
しばらくして、「大丈夫なの?よく考えたら?」・・・という言葉が返ってきました。
私の体や、生活に対するリスクを心配してくれての言葉でした。
一瞬とまどったけど、その言葉もとてもうれしかった。
だけど、私の意志は変わりませんでした。
骨髄バンクから配られた説明書を何度も読み、
手術に関しての安全性も確かめ、さほど心配はいらないことがわかってきました。
心配してくれる人たちには、出来る限りそのことを伝えました。

私と夫の双方の親には、最終候補に決定してから、「報告」という形で伝えました。
それ以前に伝えたら、きっと反対される、と思っていたから。
思ったほど反対はされなかったけど、
やっぱり、実の父が一番不安がり、心配していました。
「大丈夫なのか?」その言葉を一番繰り返したのも父でした。
「大丈夫!そんな大げさなことじゃないから」私は笑顔で何度も答えました。
自分でも持ってるかすかな不安を、絶対悟られないようにしようと思いました・・・。

「人の為にすることは無駄にはならない」
「『徳積み』だよ。いいこと重ねてたら、絶対自分もよくなる」
そう言ってくれる人たちもいました。
この提供の話と平行して、私はいろんな問題を抱えていたので、
それを心配し、励まそうとしてくれた友人たちの言葉でした。
それらの言葉はすごくうれしかった。
だけど私は、「いいことをしよう」と思ってしてるのとはちょっと違う。
ただ、自分がそうしたいからしてるだけ。
自分に出来ることがあるから、出来る限りのことをしようと思うだけ。
もちろん、患者さんを助けるためではあるけど、
それ以上に、自分が後悔しないように行動していこう。
結果がどうなろうと、今はそんなこと考えない。
ただ、ただ、自分にできることをやっていこう。
そう思っていました。

5.最終同意

ドナー決定通知の数日後、最終同意書にサインをするため、
家族同席のもとで、病院に出向きました。
ドナー本人、その家族、担当医師、そして移植コーディネーター。
あとは第三者の立会人をたてることもあるそうです。
弁護士や、医師、または同居家族以外の親類等。
だけど、私は立会人はたてませんでした。
夫と息子が納得してくれていれば十分だと思ったから。

話は2時間近くに及びました。
骨髄移植について、移植の詳しい方法、移植手術するにあたっての注意、
体に対する影響、入院・手術に関すること、
いろいろな話を聞き、それに納得した上で、最終同意書にサインをしました。
私と夫と二人のサイン。

手術の詳しい内容を聞くと、やはり不安が増しました。
骨盤のあたりの皮膚に数ヶ所穴をあけ、そこから骨に針を突き刺して骨髄液を採取します。
皮膚には4ヶ所ほどの穴をあけるけど、その中の骨の方には100ヶ所ほどあけるそうです。
骨髄提供時に過去に起きた事故についても詳しい話がありました。
バンクを通してではないけど、やはり過去に死亡例はいくつかあります。
そして医療事故、予期せぬ体調変化、そういう事実を明らかにした上で、
より注意深く手術を行うこと。ベテランの医師が担当して、
ドナーの危険性がより少なくなるように最善の注意を払うこと。
それらの説明を受け、いくらかの不安はぬぐえないものの、
あまり迷わず同意書にサインをしました。

最終同意の時に、手術の日程と入院の予定もはっきり決まりました。
私の健康状態、そして患者さんの容態。
それらに問題がなければ、その日程で行われます。
手術の日は・・・私の大切な友人の誕生日でもありました。
友人は、私の体のことを心配してくれています。
だけど、私がやろうとしていることを応援してくれています。
冗談交じりで、「お見舞いに行く」とも言ってくれました。
そういう気持ちだけで、すごくうれしかった。
どこか、不思議な因縁のようなものを感じています・・・。


これでもう逃げられない。いや、もともと逃げるつもりはありませんでした。
私の骨髄を必要としてる人がいるのだから。
その人はきっと、死と隣り合わせで苦しんでいるのだから、
私が受ける苦しみなんて、全然比較になりません。
最終同意の時に聞いた話では、私と患者さんは、HLA型がかなり合っているようです。
それはものすごい低い確率です。
そして、コーディネーターさん1人に対して、月に5,6人くらいは
最初のHLA型確認検査を行っているとのこと。
だけど、実際に提供までいく人は、最初の確認検査をしたうちの
15人に1人くらいの割合だそうです。
それはあくまでもそのコーディネーターさんのみの数値です。
他にもたくさんコーディネーターさんはいらっしゃいます。
私はもしかしたら、宝くじに近い確率で当たった?のかもしれません。
だからこそ、提供したいと思いました。
どこに住んでいるのかも、何歳の人かも、男か女かもまだわかりません。
だけど、ものすごい縁を感じました。
そう、運命共同体のような・・・。

最終同意書にサインをしてからは、毎日のように骨髄バンクから
いろんな書類が届いています。
やはり、骨髄提供は大変なことなんだ。
気軽に「やるよ〜」と言ってするようなことではないんだ、と
それらの書類の束を見て思いました。
そしてだんだんと実感もわいてきました。

頑張ろう。今は、私1人の体じゃない。
私を必要としてくれている人がいる。
それはどんな形にしろ、幸せなことだと思いました。

6.患者さんのこと

最終同意の話し合いのすぐ後、
私が骨髄を提供する患者さんの情報が入ってきました。
知らされる情報は、どこの地域に住んでいるか。
たとえば、関東地方とか関西地方とかの地域情報。
都道府県までは教えてもらえません。
そして、年齢。何十代かまで。あとは性別。
それ以外の詳しい情報は知らされません。
もちろん、相手に会ったり、直接話したりすることも出来ません。
手紙のやりとりは、バンクを通して2回まで出来るようです。
私個人の意見としては、知ってもいいのではないかとも思うのですが・・・。
私が提供者される方だったら、きっと知りたい、会いたいと思う。
だけど、そうしたらいろいろ複雑な問題が発生するのでしょう。
骨髄バンクの決まりとして、患者やドナーのプライバシーを守るため、
それ以上の関わりは持てないことになっています。

私が提供する患者さんは、私と同じ地域に住む、20代の男性だということでした。
同じ地域というのは珍しいらしく、コーディネーターさんもびっくりしておられました。
私とHLA型が同じ人が、そんな近くにいるんだ・・・。
そんな若いのに、病気で苦しんでいる。
そして、私の骨髄を必要としている。
私は思わずその患者さんのことを、自分の弟のように感じてしまいました。

実は、その患者さんの血液型も偶然知ることが出来ました。
驚いたのは、私と血液型が違っていたことです。
私はAB型。患者さんは違う血液型でした。
血液型が同じじゃないと移植できない、と当然のように思っていた私は、
コーディネーターさんに聞いてみました。
「一般に言われているABO式の血液型は赤血球の型ですが、
それは移植の際には関係ありません。
血液を新しく作り出す骨髄を移植するのですから、
移植したら、患者さんはドナーさんと同じ血液型になります」

ということは・・・患者さんの体の中に、私の血液が流れるということ。
その患者さんは、移植を受けたらAB型に変わってしまうんだ・・・。

コーディネーターさんはさらにこうも言われていました。
「血液型は、男女で遺伝子的に少し違いがあります。
同じAB型でも、男性の血液型と女性の血液型は違うんです。
だから患者さんは男性だけど女性の血液型になってしまうんですね」
私は問い返しました。
「じゃあ患者さんの性格まで変わったりしちゃうんですか?
女っぽくなっちゃうとか、AB型の性格になってしまうとか・・・」
コーディネーターさんは笑いながら、
「それはないでしょう〜」
・・・当たり前か。


私は、是非ともその患者さんに提供したい。
そして、生き続けて欲しい。
心からそう思いました。
それには、いかなる努力も惜しまない、と・・・。

7.再検査

手術の3週間前までに、ドナーは健康診断を受けなくてはいけません。
血液検査、胸部レントゲン、心電図、肺機能検査、内科検診・・・。
そしてその正常値の基準は、普通の健康診断よりも厳しくなります。

私は、健康診断の数日前に風邪をひいてしまいました。
仕事やプライベートで忙しい日々が続き、体力的にすごく参っていた頃で、
当日も気分がすぐれないまま病院に向かいました。
案の定、ひっかかりました。

「貧血」
値が規定値にわずかに足りず、再検査となってしまいました。
骨髄を提供するのだから、貧血となるとそれをさらに悪化させることになり、
提供は難しくなります。

とりあえず数日後に再検査をして、その結果で手術するかどうか、
延期するのか、あるいは中止するのか、患者さん側の医師とも相談して
決めなければいけなくなりました。

愕然としました。
当然提供できると意気込んでいただけに、それが不可能になるかもしれない。
そうなった時の患者さん側の落胆は、どれほどのものだろう・・・。
それを考えると、思わず涙ぐんでしまいました。
そんな私の様子に感づいた担当の医師が話してくださいました。

「やはり一番大事なのはドナーの体の安全です。
無理に強行して、ドナーの身に何かあるのは本末転倒。
骨髄バンクがなりたたない恐れもあるのです。
確かに提供できないとなると、患者側は落胆します。
ですが、ドナーの健康を考えるとそういうこともありうる、
と十分に説明して納得した上で、患者さん側も登録しているのです。
提供したい、という気持ちだけでも患者さんはすごく感謝してるはずです」

私は泣きたくなる気持ちを必死で抑えていました。
とにかく、今私に出来ることは、再検査のときまでに貧血を治すこと。
処方していただいた鉄剤をきちんと服用して、
食事にも留意して、生活も無理をせず、休めるときは休んで、
自分が健康でいること。
私が健康でいないと、患者さんも健康になれないんだ・・・。

その日から再検査までの4日間、鉄剤を限界量まで服用し、
鉄分が多いと言われている食品を食べ、鉄分の吸収をよくするために
ビタミンCを摂り、大好きなコーヒーとビールを控え、
そして何より睡眠を十分に取りました。
なんと夜9時前に布団に入る生活。
夫や子供の協力も随分得ました。ほんとに二人には「感謝」の一言です。
子供より早く寝ていたのですから。
家事もほとんど手伝ってもらって、私は暇さえあると休んでいました。
とにかく、自分に出来ることはやろう、と思ったのです。
患者さんの苦しみに比べれば、こんなこと努力のうちに入らないから・・・。

そんなこんなで再検査の日を迎えました。
当日は朝から吐き気がするほどの緊張感。
仕事にも身が入らず、定時きっかりに仕事を終えて、
予定時刻より早く病院に向かいました。

そして再検査の結果は・・・
診察室に入るなり、医師が私に向かってピースサインをしました。
「よかった・・・」
心からほっとしました。
医師も、コーディネーターさんも、ほっと胸をなでおろしました。
やっぱり、医師が一番気が気じゃなかったのかもしれません。
そして何よりも、患者さん側の医師が一番心配していたのかもしれません。
自分の無理が、自分の体への過信が、たくさんの人に迷惑をかけてしまった、
と反省させられました。

とにかく、提供に向けてはっきりと「GO」サインが出ました。
これであとは前に進むだけです。
私は不安よりも、喜びでいっぱいになりました。

これで、彼に提供してあげられる。
彼の命を、救うことが出来るかもしれない。
今までは、ただただ自分に出来ることをしよう、と思ってきたけど、
私の中に、はっきりとした目的意識が生まれました。
これからは、彼のために頑張ろう、と。
決して会うことのないであろう、彼のために・・・。

8.自己血採血

手術の遅くても1週間前までに、自己血採血をしなくてはいけません。
自分の血を採っておいて、手術の際、骨髄液を抜いた後に、
自分の体に血を戻します。
やはり抜きっぱなしでは体に負担がかかるし、免疫力も落ちるので、
それを防ぐために、あらかじめ自分の血液を採っておくのです。
それは自分の血液でないとだめです。
他人の血を輸血するのは、やはり100%安全とは言えません。
輸血の経験があると、ドナーになれなくなる場合もあるのです。

私は手術のちょうど2週間前に自己血採血をしました。
実は私は、ほとんど献血すらしたことがありませんでした。
昔から血管が細いと言われ、ちょっとした検査での採血や静脈注射の時に、
うまく血管に針が刺さらず、まさぐられて痛い思いをすることが多かったからです。
献血なんて怖い・・・と思っていた私が、骨髄提供しようとするのだから、
人間なんてどう気持ちが動くのかわからないものです。

過去に1度だけ、献血しました。
それは、骨髄バンクに登録をしに行ったとき、一緒に献血もお願いします、と
血液センターの方から頼まれて仕方なくでした。
そのときは400ccの献血をしようとしたのですが、200ccにも満たないくらいで、
私は脳貧血を起こして倒れそうになったのです。
顔面から血の気がうせ、今にも吐きそうになって、そこでストップ。
それからしばらく横になっていたら治ったけど、
やっぱりそれ以来怖くて、献血はしていなかったのです。

それなのに・・・今回400ccの採血をしなければいけなくなりました。
医師や看護師さんに、「途中で倒れたらどうしよう・・・」
「終わったあと歩けなくなるくらいフラフラになったりしませんか?」
と何度も何度もたずねてしまい、その度に苦笑いされて、
「そんなことないです。ちゃんと寝た状態で採血するし、
その後に抜いた血と同じ分量の点滴を打ちますから。
普通の献血ではそんなことしませんが、
ドナーさんの体のことを考えて、万全を期しますから」

私のしょうもない不安をよそに、さっさと熱を計られ、血圧を測定され、
そして検査用の血を少量採った後に、ぶっとい針を血管に刺されました。
案の定、血管が細いせいか、採血するのに時間がかかったようだったけど、
でも気分が悪くなることはなく、無事に採血は終わりました。

その後の点滴も終わり、そのときに入院の際の注意事項や説明が
看護師さんからありました。
「骨髄移植の手術の際に必要なので準備してください」
と言われて小さな紙を差し出されました。
その紙には、こう書いてありました。

○紙おむつ  1枚
○ふんどし  1枚
○バスタオル 1枚

・・・・・・は?
紙おむつ???ふんどし???
「これって、私がつけるんですか?」思わず聞き返してしまいました。
「手術直後は必要なんですよ。病院の売店で売ってますから、当日でもいいですよ」

なんだか・・・手術の後って自分が自分じゃなくなるみたい。
今までは、自分のことは自分で出来ていてそれが当たり前だったのに、
手術直後は何も出来ないのかな・・・。
出産直後も、自分で身動きできないとき、何も出来ない自分が情けなくなって、
早く動き回りたい、そう思って焦ってしまいました。
数時間後には動けるようになったけど、そのたった数時間がちょっとつらかった。
またああいう気持ちを味わうことになるんだ。
普通に歩いて、普通に用を足せて、普通に食べられて・・・
普段は当たり前と思って気にしてなかったけど、
それらのことは病院では当たり前のことではないんだ、と改めて思いました。
病気で寝たきりの人の気持ちが、少しだけ実感としてわかってきました。
私が提供しようとしている彼は、毎日こんな思いをしているのかな・・・。


いよいよ2週間後には手術です・・・。
不安と、好奇心。それらがからまって複雑ではあるけど、
不思議と楽しみにしている自分もいました。

9.入院

とある土曜日の午後、私はいよいよ入院することになりました。
予定では4泊5日の入院。
月曜日に手術が行われるため、土日は病院で何をすることもなく過ごす、
と聞いていたので、暇つぶしグッズ(本・手芸用品・音楽CD)を
山のように抱えて行きました。

病院は家から車で1時間弱のところにある、かなり大きな病院。
骨髄バンクから「移植認定施設」として認定されている病院で行われます。
私はその病院の「血液内科専門病棟」に入院しました。
そこは偶然にも、数年前に急性骨髄性白血病で亡くなった知り合いが
闘病生活を送っていた病棟でした。(2.骨髄性白血病 参照)

病院に着いたらまず、入院する病室に通されました。
部屋に着いてちょっとびっくりしました。
そこは個室で、ベッドとテーブルセットが置いてあり、
ユニットだけどバス・トイレ付。TVも普通はカードを買って、
時間制で見るようになっているのだけど、その部屋は見放題。
ちょっとしたビジネスホテルのようでした。
一緒に来ていた息子がはしゃいで、
「ここホテルみたーい。僕も泊まりたーい」とすっかり観光気分。
やはり、ドナーは病院ではVIP待遇のようです。
健康なドナーと、病気で苦しんでいる患者さんを同じ部屋にするのは
お互いに気を使わせるから・・・という理由でもあるようですが・・・。

その日の夜の面会時間ギリギリまで、夫と息子は一緒にいました。
息子がなかなか帰りたがらず、「ママと一緒にご飯食べる」
と言い張って聞かなかったからです。
「ママがいないから寂しい?」と聞くと、黙ってうなずく息子。
何せ、私がここまで家を留守にすることは、息子が産まれてから
一度もなかったことです。
私は言いました。「じゃあ手術受けるのやめようかなー」
すると息子はつぶやくようにこう言いました。
「でもママが手術やめたら、骨髄もらえん人がおるっちゃろ?
骨髄もらえんかったらその人死ぬっちゃろ?だからそれはだめ・・・」
私は思わず息子を抱きしめました。

家に帰る夫と息子を病院の出口まで見送りました。
振り返り、振り返り帰って行く息子を見て、
私は涙が出そうになりました・・・。

その日の夜は、TVを見たり、一人でお風呂に入ったり、
ほんとはいけないんだけど、持ってきていた携帯電話で友達と
メール交わしたり・・・久しぶりにのんびりと過ごしました。
出張してきてるビジネスマンってこんな感じなんだろうなーと。
ただ、看護師さんや医師、そして他の病院職員がたまに出入りすることをのぞけば・・・。

だけどやっぱり物足りない。
体はのんびりは出来ているけど、
精神的にゆったりとは出来ていないなーと感じました。
早くも、少しホームシックにかかったようでした・・・。

10.手術前日

手術前日は日曜日。
看護師さんがたまに検温と血圧・脈を測りにくるくらいで、
私は狭い病室の中ですることもなく、ほとんどぼーっと過ごしていました。
持ってきていた本や小物もたくさんあったけど、
なぜかそれらに手をつける気にならず、
ベッドに横たわって、TVをつけて、それらもあまり頭に入らず
ぼーっと眺めていただけでした。

なんとなく落ち着かないので、病院内を歩いてみることにしました。
ちょっとしたコンビニ程度の売店もあって、
そこで食べ物や飲み物を調達。新聞の自販機もありました。
日曜日ということで、普段は人であふれかえっている外来病棟も
人気がなく閑散としていました。

出会う人といえば、看護師さんや、
よろよろふらふらしながら、寝巻き姿で歩いている人。
点滴の台をゴロゴロ転がしながら歩いている人。
ちょっとした休憩所で、患者さん同士数人がおしゃべりしていました。
見舞い客もちらほら。
おじいちゃんを見舞いに来た孫らしい小学生の男の子が、
そのおじいちゃんの点滴台をひっぱって、手助けをしている姿もありました。

私のように、ラフな格好で病院内をスタスタうろつきまわり、
患者とも言えず、見舞い客でもない、そんな人は当然見かけず、
すごく違和感を感じました。
なので、あまりうろつくこともなく、あとはずっと病室にこもっていました。
途中、夫と息子が面会に来たけど、短時間で帰っていきました。

夜になると、いろんなことを考えました。
「よく眠れるように」と、病院からお薬をいただきました。
たぶん、軽い睡眠薬のようなものでしょう。
だけど、私はなかなか寝付けませんでした。
どうしようもない孤独感と、不安でいっぱいになってきました。
いよいよ手術なんだ・・・。
明日の朝には全身麻酔をして、自分の腰に針を刺して、骨髄液を採取する。
手術ってどんな感じだろう。手術後の痛みとか苦しさはどれほどのものだろう。
もしも、もしも、万が一のことがあったらどうなるんだろう。
麻酔から覚めなかったりして・・・。
そして今、提供を受ける患者さんはどんな状態だろう。どんな気持ちだろう。
無菌室で、自分の骨髄を抜いてしまって待機してる、と聞いたけど・・・。
私の骨髄を採取したらその日のうちに患者さんの体に入れられるように、
手術当日は患者側の医師だかコーディネータだかわからないけど、
こちらの病院に待機してるそうです。
いろんな、たくさんの人が、この手術に携わっている。
普通の病気や怪我での手術なら、自分ひとりの問題だけど、
この手術はそうじゃないんだ・・・。
そう考えると、妙なプレッシャーも感じてきました。
そして、自然と涙が出てきてしまいました・・・。

11.手術

とうとうその日が来てしまいました。
手術前日の夜から絶食。当日の朝食もなし。
なのに、お腹はすいていませんでした。
朝一番に睡眠薬のようなものを飲み、下着を取って手術着に着替え、
それからしばらくして点滴をつけられました。

あーもう逃げられないんだなー。
ベッドの上で、薬のせいもあってか、ひたすらぼーっとしていました。
朝8時過ぎには、骨髄バンクのコーディネーターさんが来られました。
手術が終わって落ち着くまで、当日はずっと病院で付き添ってくださることになっていました。
9時前に、看護師さんが病室に車椅子を持ってこられました。
「これに乗ってください。手術室に行きますから」

車椅子に乗るのは初めてではありませんでした。
私はホームヘルパーの資格を一応持っているので、
その研修の時に乗ったことがありました。
だけど、自分が患者として乗せられることは初めて。
車椅子で押されながら、別病棟の手術室に向かいました。
途中、何人もの患者さんとすれ違いました。
なんとなく目を合わせたくなくて、うつむいたまま乗っていました。

その病院は、手術室が集まっているような場所があり、
他にも手術を受けようとしている患者さんがおられました。
そこは普通の病棟と雰囲気がガラッと違いました。
よくドラマで見るような、丸い電灯が天井に何個もついていて、
いろんな医療器具が置いてあって、そして扉の上には「手術中」のランプ。
医者や看護師の服も、緑だか青だかそういう手術用の服になっていて、
全員手術用のマスクを着用していました。
その場にいるだけで、ものすごい緊張感が漂いました。
「思ってたより本格的な手術なのかも・・・」
今更ながらそう感じてしまいました。

手術室でベッドに乗せられ、心電図モニターを取り付けられました。
その後すぐに麻酔医が大きな機械を私の横に持ってきて、
点滴の管になにやら差し込んでいました。
手術は全身麻酔で行われます。
麻酔医が慣れた口調で言いました。
「しばらくしたら眠くなりますからね」
私は懸命に眠るのを我慢していました。
どこまで我慢できるのだろう、と試してみたくなっただけです。
でも、ほんの1分もたたないうちに、まぶたが異様に重くなりました。
そして、どんなに頑張っても開けていられない状態になって、
それからのことはもう何も覚えていません・・・。

気がついたら、手術は終わっていました。
私はまだ手術室にいました。
手術室に入って、2時間弱くらい時間が経っていたと思います。
移動用のベッドに移されていて、今から手術室を出ようとしているところでした。
「大丈夫ですか?」
看護師さんか誰かから声をかけられました。
主治医が、「無事に終わりましたよ」と言ってくださったような記憶もあります。
私はまだ意識がもうろうとしていました。
声を出そうと思ったけど、のどが痛くてガラガラ声で、あまりしゃべれませんでした。
麻酔するときに、のどにチューブを通すのだそうです。
そのチューブがのどを少しばかり傷つけて、痛める人がいるそうです。
私も多分そういう状態でした。
酸素マスクをつけられて、ベッドに乗せられたまま病室に戻りました。
体もまだ全身しびれているような感じで、うまく動かすことが出来ませんでした。

病室に着いて、看護師さん数人が私を抱きかかえて、元のベッドに移されました。
病室には、夫とコーディネーターさんが待ってくれていました。
腕には点滴。下半身には導尿の管。口には酸素マスク。
そして、紙おむつとふんどしのような布を当てられていました。
もうろうとしていたのであまりはっきり覚えてないけど、
夫が「おかえり」か「ご苦労さま」と言って、頭をなでてくれたような気がしました。
私は、涙があふれてきました。
手術が無事終わった安堵感からか、気遣ってくれている人たちのやさしさからか・・・。
しばらく涙を止めることが出来ませんでした。

12.手術の後

もうろうとしていた意識が少しずつ回復してくると、
今度は吐き気に襲われました。
全身麻酔の後は吐くことがあるとは聞いていたけど、
急激に襲ってきた吐き気に、我ながらびっくりしました。
はめられていた酸素マスクをひっぺがし、「吐きそう・・・」と訴えると
夫があわててナースコールし、看護師さんが容器を持ってきてくれ、
胃がからっぽなのに吐き気が止まらない私の背中をずっとさすってくれていました。

しばらくすると吐き気は治まってきました。
だけど次にきたのは、導尿の管の不快感です。
腎機能を調べるために、手術中からつけられていたらしいのですが、
意識がもどってくると、もう無性にトイレに行きたくてたまらなくなりました。
ずっと、おしっこがしたくてたまらない感触なんです。
もう気持ち悪くてどうしようもなくて、看護師さんに「早く管を取ってください」
とお願いしてしまいました。

予定より早く取ってもらってからも残尿感がしばらく消えず、
何度もトイレに行くけどあまり出ない。
で、管を通してた影響からか、排尿時にすごく痛みを感じるのです。
手術跡よりも、そちらの方が痛かったくらい。
でもその痛みは1日で治まりました。

点滴がその日の夜まで外されず、ベッドから起きて歩くことは出来ても、
点滴台を転がしながらだったので面倒でした。
腰の痛みもだいぶありました。
なので、トイレ以外はずっとベッドの上にいました。
食事はその日の夕飯から普通に出されたけど、
夕方から38度前後の熱が出てきてきつかったせいか、
ほとんど食べることが出来ませんでした。

でもそういうつらさも手術当日だけで、翌日は点滴も朝晩の短時間のみとなり、
熱も下がって、腰の痛みも少し薄らいでいました。
朝ごはんも普通に平らげ、やっと自分を取り戻したような気がしました。

手術当日の夕方、コーディネーターさんからアンケートされました。
主に、「痛みはどうか」という類の内容でした。
その時に、私は提供を受ける患者さんのことが気になって、
今どういう状態なのか尋ねました。
当然今日のうちに骨髄移植を受けているだろうし、同じ地域内なので、
移植ももう終わっているかもしれない、とのこと。
私が手術室を出るよりも先に、骨髄液は搬送されていくそうです。
病名も何も知らされていないのではっきりしたことはわからないけど、
普通は骨髄提供を受けて2週間が山場とのこと。
やはり他人の骨髄を移植するのだから、どうしても拒絶反応が現れる。
その拒絶反応に耐えられなくて亡くなっていく人もいるそうです。
でも拒絶反応は出ないより出た方が、後の経過もいいそう。
今から2週間、彼は必死で戦っていくんだろうな、と考えたら、
私のこのつらさなんて、蚊に刺される程度のものだ、と思いました。

アンケートの最初にコーディネーターさんにこう聞かれました。
「もし、また骨髄提供の話が来たら、提供されますか?」
私は迷わずに答えました。
「はい!」

13.退院

術後の経過も順調で、手術の翌々日の水曜日の朝、退院することになりました。
病院の中での生活。外に全く出られない生活に苦しさすら感じていたので、
退院は素直にうれしかった。
家に帰れる。息子にも会える。猫たちにも会える。

だけど、病院には大勢の患者さんがいます。
一体どのくらいの期間入院しているのかわからないけど、
ずっとずっと病院の中の生活で、それだけでストレスが溜まるだろうな、と思います。
病気になった、それだけでたまらない苦痛でしょうに・・・。
短期間で元気に退院していくことが、すごく申し訳ない気持ちになりました。

退院の時は、コーディネーターさんも来て下さって、また痛みなどに関する
アンケートが行われました。
手術跡の痛みがまだ少し残っていたけど、触ったりすると痛い程度で、
たいした痛みではありませんでした。

夫が迎えに来てくれて、家に帰りました。
そこまで散らかっていなかったことにびっくりしました。
朝は二人とも私から起こされないと起きなかったのに、
6時に一緒に起きて用意していたようです。
夕食も外食ではなく、すごく簡単なものだけど作ってくれていたようでした。
入院中も、何かわからないことがあったら連絡して、と言っておいたけど、
そういう連絡はほとんどありませんでした。
夫も息子も、私がいない間、頑張ってくれてたんだなーと感じました。

退院したその日は、息子の授業参観でした。
私は昼食後に、学校に行きました。
どうしても、顔を出したかった。息子に、早く元気な顔を見せたかった。
そして心配して、気遣ってくださった息子の担任の先生にも
顔を見せたかったから・・・。

教室について、私を発見した息子は、ニコリとはせずに、
わざとふくれっ面のような、変な顔をしました。
でもその口元はゆがんでいました。
夫もそれまでは平日は仕事だったから、
今回初めて授業参観を見に行ったので、それも驚いたようでした。
何度も何度も振り返って、私たちがいることを確認する息子。
でも10分ほど立っていたら、軽いめまいとだるさを感じました。
血の気が少し失せていく気がして、立っていられずに廊下に座り込んでしまいました。
夫が、「無理せんで帰ろうか?」と何度も何度も聞いてくれたけど、
私は帰りませんでした。
息子がこっちを見たときは、さっと立って、元気なふりをしていました。
知り合いのお母さんと会ったときも、普通に話をしました。

数日間ベッドの上でばかり過ごしていたし、骨髄液を大量に抜いた状態では、
やはり普通の健康体、とはいかなかったようです。
その日と、次の日は、動けないほどではないけど体のだるさが取れなくて、
動きすぎるときつかったので、だいたい布団の上で寝ていました。
息子はそんな私を見て、心配していると言うよりは、
帰ってきた安堵感の方が強かったようです。
「ママが帰ってきてうれしい」
しきりにそう言ってました。

だけど退院したその週末は、電車に乗って移動して、
繁華街をうろつきまわることが出来ていたので、
やっぱりあまりたいしたことはなかったのかも。
中には、退院してすぐ旅行に行ってしまったり、
草野球の試合に出てしまう人もいるそうですから・・・。

手術からちょうど一週間後、私は仕事復帰しました。
もうだるさも取れていて、痛みも触るとかすかに感じるくらいにまで減っていました。
退院したその日の夜からシャワーの許可があり、
手術の一週間後からは普通に入浴も出来ました。

一つ気になるのが手術跡です。
歳食っても一応女なので、大きな傷でも残ったら嫌だな、と気にかかっていて、
そのことも手術前に何度か医師に尋ねたりしていました。
でも心配は無用でした。手術前の説明よりも少ない傷跡でした。
虫さされのような、直径3ミリ程度の小さな赤い跡が、
腰のあたりに右に1箇所、左に2箇所ありました。
当初は4箇所開ける、と言われていたけど、少なくて済んだようです。
赤い跡としてしばらくは残るけど、そのうちどこにあったか
言われて見ないとわからないくらいに目立たなくなるそうです。
出血も手術したその日で止まっていました。
ただ、数日経つとかさぶたのようになって
少しばかりかゆみがあるのが多少気にはなったけど・・・。
まあゆっくりとだけど、手術した形跡は、体から薄れていくのでしょう。
なんとなく、全く消えてしまうのもちょっと寂しい気がしました。

とにかく、私は手術から約一週間で、また元の日常を
完全に取り戻すことが出来たのです。

14.術後健診

退院してちょうど2週間後に、術後の健診のため、
入院していた病院に足を運びました。
診察室に入って、いろいろな質問を受けました。
「痛みはどうか」 「ふらつき、めまいなどはあるか」
などの項目の中に、「睡眠はきちんと取れているか」という項目がありました。

実は、術後健診の数日前から睡眠障害に悩まされていました。
骨髄バンクのこととは関係なく、私生活でいろんな心配事があり、
精神的にも落ち込んでいたためでしょう。
夜寝るときは普通に寝付けるのだけど、どんなに夜遅く寝ても朝早く目覚めていました。
ひどいときは朝の3時半とか・・・。
それから二度寝しようと思っても、眠れないのです。
そのため、健診前の何日かは、平均睡眠4時間前後という日々が続いていました。

その項目について私は、「最近あんまり眠れていません」と答えました。
すると、「どうしてですか?」と聞かれたので、答えに詰まりました。
しばらく固まった後、私は頭をかきながらこう答えました。
「悩み多き年頃なんです〜」
・・・その場に居た医師とコーディネーターさんは大笑いされていました・・・。
でもほんとなんだもん・・・。

他の項目は特に問題なく、痛みも全くと言っていいほど治まっていました。
ただ、女性の場合は術後最初にきた生理の時に、苦痛を感じる人が多々おられるようです。
やはり血液が元の状態に戻っていないことと、
骨盤に多数の穴を開けたこととかが関係しているのかもしれません。
私も、たぶんにもれず術後の生理はきつかったです。
普段は生理痛などあまり感じない体質なのですが、
貧血状態も重なってか、気分が悪く、吐き気をともない、腹痛と軽い腰痛もありました。
でも、それは生理の初日で収まりました。

診察の後、血液検査と尿検査がありました。
退院時にも同じ検査がありましたが、そのときに私はまた貧血だったようです。
そしてその日の検査結果も、やはり貧血という診断でした。
「貧血体質なのかもしれませんね〜」
医師から言われました。
「でも治療するほどでもないので、一応鉄剤出しておきますから、
一週間に一度くらい、なくなるまで気長に飲んでおいてください」
と、大量の鉄剤をいただきました。

診察前の待ち時間にコーディネーターさんから伺ったのですが、
やはり骨髄を抜いてから、完全に骨髄液が元の状態に戻るのに約2週間。
そして血液が元の状態に戻るのに、約1ヶ月かかるそうです。
表面的には体調が戻ったかに見えても、体の中の血液が戻るのには
1ヶ月かかります。
そのため、献血も術後3ヶ月間はしないように、ということになっています。

それで術後健診は終わりました。
もう、何か特に体調の変化がない限りは、病院に行くこともこれで最後です。
「ほんとに終わったんだなー」
安堵感と、ちょっとした寂しさとで、複雑な気持ちでした。
担当医師とも、コーディネーターさんとももう会うことはありません。
コーディネーターさんからは、術後1年間はたまに電話でアンケートがあるようです。
体調の変化はないか、そして術後1年間は骨髄バンクの登録が「保留」という形になり、
たとえその間またHLA型の合う患者さんが現れても、提供できないことになっています。
だから1年後にまた提供する意思を尋ね、登録を継続するのかどうか確認するそうです。
コーディネーターさんとは、歳が近く、そしてお互い歳の近い一人息子がいるという
共通点もあってか、だんだんとバンクとは関係のない、
プライベートな話を交わすようになっていました。
その最後の健診の日にメールアドレスを教えあって、
「今度食事に行きましょう♪」と約束もしました。
こういうのもすごく大切にしたい縁です。

後は、提供した患者さんが回復することをひたすら願うのみです。
そして出来ればその結果を、早く知りたい、知ることが出来たら、と思っています。

15.問題点

今まで、骨髄提供についてのいい面を多く書いてきた気がしますが、
やはり何の問題点もない、というわけにはいきませんでした。

ドナー体験をして、いくつかの問題点・疑問点を感じたので、
これらを挙げておきます。

まずは、やはりドナー側の負担はかなりのものだということ。
大きかったのは、時間的な負担と経済的な負担。
仕事を持っている人は特にそうです。
私も仕事を持っており、病院に行く時間にはすごく制限があります。
だけど、病院に行く時間はドナーの都合だけでは決められません。
もちろん考慮はされるけど、病院側、主に担当医師の都合に左右されました。
骨髄バンクに認定されている医師は、やはりそれなりの経験と地位を持った方が多く、
診察はもちろん、会議や学会などで飛び回り、なかなか時間の融通が利きませんでした。
そして4,5日の入院。
これはもちろん仕事を休まなくてはなりません。
家族をも犠牲にします。
そして、休業補償などは何もありません。
入院準備金、として¥5,000を頂けるだけです。
もちろんそれだけでは足りず、入院に際してはそれなりの経済的負担を負いました。
私は有給がなかったので、その間の給料もなく、夫が失業中の我が家にとっては
ちょっと大変でした。
あとは病院までの往復の交通費が頂けるくらい。
この、「時間」と「経済」の負担は、それなりに覚悟しなければいけません。

身体的な負担も見過ごすわけにはいきません。
特に手術のあとはやはりきつい。
すぐに回復はするけど、それなりの痛みや苦痛は伴います。

でもそれらの負担は、私にとっては微々たるものでした。
患者さんの負担は、もう全然比較にならないものですから・・・。
患者さんは、身体的な負担はもちろんだけど、
経済的な負担がものすごいのです。
ドナーに関する一切の費用は、患者さんの負担です。
それらは医療保険が適用されるのでまだいいのですが、
一番大きな負担は、患者さんが骨髄バンクに登録する際、
バンクへ「仲介費用」として、70万〜100万ほど支払わなければならないのです。
これには、現時点では医療保険は適用されていません。
今、医療保険に適用されるよう、署名活動が行われています。

ただ、私が一番「問題点」に挙げたいのは、
「情報の公開がなされない」という点です。
これだけの負担を負って提供する相手のことがほとんどわからない。
性別・年代・住んでいる地域。それだけです。
名前などは知らなくてもいいけど、せめて病名や、病状、
そして提供後の経過は知りたいのです・・・。

「もし、提供した相手がそれでも助からなかったらどう思う?
提供しなければよかったって思う?」
ある友達からこう聞かれました。
私は答えました。
「もちろん助かって欲しいから提供するんだけど、
でもそうなっても提供しなければよかったとは思わない。
それで一瞬の希望が見出せたのなら、それだけでもいい・・・」

患者さんの経過は、現時点(術後約1ヵ月半)ではわかっていません。
もしわかることがあるのだとすれば、
患者さん本人か、その家族が、わざわざ私に向けて手紙を書いてくださること。
それも骨髄バンクを介して。
手紙の中身はもちろんチェックされます。
だけど、それでしか知ることが出来ないんです。
もし助からなかったら・・・私がショックを受けると思って、
手紙を書いてくださらないかもしれません。
もしかしたら、手紙のことすら頭にないかもしれません。
もし何も手紙がなければ、もう少し待って私の方から書きたいと思います。
どう書いていいのか、すごく悩むだろうけど・・・。

でも私は知りたい。その後の経過が。
そして患者さんに会いたい。
出来ることなら、手を取って、励ましたい。
患者さん側もきっと、提供してくれた人に会いたい、って思うのじゃないでしょうか・・・。

プライバシーの問題とかいろいろあるのかもしれないけど、
どうしてそこまでかたくなに情報公開を拒むのか、その明確な理由がわかりません。
私はもう少し患者とドナーの情報公開も必要なのでは・・・という気がしました。
何も分からないのは、ほんとうに寂しいです・・・。

ドナーは、ほんとに善意だけで提供を行うのです。
ほとんど見返りなんてないんです。
ただ、ただ、「患者さんを助けたい」それだけなんです・・・。
だからその患者さんのことを知る権利を、もう少し与えて欲しいと願っています。

16.患者側の声

コーディネーターさんからこういうお話を聞きました。
私の手術の時、病棟の待合室というか休憩所みたいなところで待っていたら、
そこに入院している患者さんの家族らしき人が話をしていた、と。
その話の内容は・・・
「骨髄移植が必要だから、ドナーを探さなくちゃいけない。
身内で見つからなかったら、バンクに登録しなくては。
無事に見つかるんだろうか・・・」
ということだったらしいです。
それを聞いて、コーディネーターさんはとても複雑な思いをした、とおっしゃってました。
私もなんだか悲しいような、申し訳ないような気持ちになりました。

私が入院・手術を受けた病院は、骨髄移植の必要な患者さんも
たくさん入院しておられます。
私が提供できるのは、たった一人・・・。
誰もが、わらをもつかむ気持ちで骨髄提供者を待っているのでしょう。

でも、骨髄バンクに登録するのにも、莫大な費用がかかります。
「15.問題点」でも少し触れましたが、
70万以上のお金がかかり、それは全額患者さん側の自己負担になります。
それだけの費用を払って移植できたとしても、治る確率は100%ではないのです。
そしてもちろんバンク以外にも、普通に治療費としてかかるお金も莫大なものです。
「白血病にかかったら、お金持ちしか治療を受けられない」
とまで言ってしまう人もいるくらいです。
白血病に限らず、ガンなどの病気もお金がかかるそうだから、
それらと同じなのでしょう。
だから、経済的なリスクを考えて移植に踏み切れない人もたくさんいるようです。
移植しても治らないかもしれないなら、化学療法でやっていこう・・・と。
せめて、バンクへの登録費用が保険適用になれば、患者さんの負担も軽くなります。
そのための署名活動も行われていますが、
一説によると、近い将来保険適用になりそうだ、とのことです。

運良くバンクに登録でき、HLAが適合したドナーも見つかった。
だけどそれでも両手離しでは喜べません。
提供できるほど適合していなかったり、あるいはドナーの都合で断られたり・・・。
とある掲示板で、適合ドナーを待っている患者さんの声を聞くことが出来ました。
「適合したら、絶対に提供を断らないで! 
どんなに私たちが落胆するか、わかりますか?」とありました。
私は一度適合したのに断った身・・・。すごくショックを受けました。
言い訳だけど、ドナーの方にも様々な葛藤があるのです。
登録するときも、提供するときも。
自分の生活を守るために、断らざるを得ないこともある。
でも、患者さん側から見たら命がかかっているのだから、
そう言いたくなるのも当然のことでしょう。

私は後悔していました。一度断ったことを。
だから、よけいにその言葉はショックでした・・・。

だけどやっぱり、提供を受けて元気になられた患者さんは、
提供してくれたドナーに対して、すごい感謝の気持ちを表してくれているようです。

本当は提供する前に考えなければならなかった患者さん側の気持ち。
提供してから、いろんなHPをのぞいたり話を聞いたりして、
患者さん側の事情や気持ちを考えるようになりました。
100%理解することは出来ないでしょうが、
少しでも、患者さんの身になって考えていきたいと思っています。

それにはお金のことももちろんだけど、
やっぱり、ドナー登録者数を増やすこと。
そして、提供を待っている患者さんすべてに適合するドナーが見つかる
状態にまで持っていくこと。
それが運良く健康で過ごせている私たちに出来る、一番のことだと思っています。

17.登録のお願い

これまで、私自身が体験してきたことや感じてきたことをいろいろ書いてきました。
これはほんの一例に過ぎません。
骨髄バンクが発足してから約10年半。
バンクを通じての骨髄提供は2003年8月1日で5000例を超えました。
私は、その5000分の1です。
だから、ほんとに偉そうなことは言えないし、
提供したからと言って大きな顔をするつもりもないし、
「いいことしたねー」とほめてもらおうとも思っていません。

人間誰しも、「困ってる人がいると助けたい」という気持ちを
多少なりとも持つものだと思っています。
今回の提供も、私にとってはその一つです。
ただ、その内容がちょっと大げさだっただけです。

現在(2003年8月)の骨髄バンクのドナー登録者数は約17万3000人。
だけど、提供を待つ患者さんすべてに適合させるためには、
約30万人必要だと言われています。
あと12万7000人も必要なのです。
10年で17万人なのだから、今のペースではとても不可能な数字です。

自分が経験して大丈夫だったから、周りのいろんな人にも登録を勧めたい。
これは本音です。
だけどいろんな条件もあります。
まず、ある程度健康でなければいけない。
提供するにあたって差し支えのある持病を抱えていてはいけません。
過去に輸血を受けた方も、見合わせる場合が多いようです。
そして年齢。20歳から54歳までと決められています。
体重制限もあります。過度のやせや肥満の方は無理なようです。

そしてやはりリスクも生じます。
身体的リスク。
これは何度も書いてきたように、ほんとに終わってしまえば
たいしたことはないんです。
一週間もたてば、ほとんど元の状態に戻れるんです。

経済的リスク。
一週間も仕事を休むことが出来ない、っていう人は多いでしょう。
だけど、長い人生の中の、たった一週間なんです。
患者さんからしてみれば、その一週間がなければ、
人生がそこで終わってしまうかもしれないのです・・・。
骨髄提供で一週間休んでしまったことによってなくなってしまうような
仕事って、ほんとに存在するんでしょうか?
そんなことでクビにするような会社ってあるんでしょうか?
もしあるとすれば、そんな会社に勤める意味ってあるんですか?
私も一度断ったからこの点に関してはあまり言えないけど、
でも終わってしまった今は、断ったことをものすごく後悔しています。
絶対、何とかなったはずなのに・・・と。

あと、一番大事なのは、家族の同意を得られるか、ということ。
家族の反対を受けたために登録していない、という声もたくさん聞きます。
身体的リスクを一番重要視しているのでしょう。
私も、全く不安じゃなかったと言えばうそになるし、家族にも心配かけました。

もちろん、「絶対大丈夫!」とは言えません。
だけど、心配するよりまず、登録したいと言っている人の気持ちを
家族が汲み取って欲しいと思います。
家族なら・・・やっぱり応援して欲しい。
「困っている人を助けたい」その気持ちを汲み取って欲しい・・・。

手を差し伸べた本人から、感謝の言葉が返って来ないことも多いボランティア。
直接相手に接触することが許されてないから、
「いいことしたなあ〜」という実感は持てないかもしれません。
実際、私もそういう感覚はありません。
そういう面ではむなしさも若干は感じるかもしれません・・・。

簡単なボランティアではないことは、実際に体験した私自身が百も承知です。
だから、絶対登録して!とか、そういう強いお願いはしません。
ただ、少しでも興味がある方は、登録を考えて欲しい。
それがマイナスになることは決してないと思うから・・・。
「困ってる人がいる。だからちょっと手を差し伸べてみよう」
そんな風に登録していただけたら・・・。

もちろん、いざ適合して提供ということになれば、じっくり考えて欲しい。
私は何もかも元通りになったけど、そうではない人もまれにはいると思うから。
だけど、そんなわずかな悪い方への可能性を考えるより、
いい方に転ぶ可能性の方が絶対に絶対に大きいのだから・・・。

私も術後一年経ったらまた再登録します。
そして、提供の話が来たら、喜んで受けるつもりです。

「骨髄バンク」のページにリンクしてあるHPをのぞいてみてください。
そこに登録の仕方も詳しく説明されています。
このHPを読んで、一人でも多くの方が登録してくださったら、
こんなにうれしいことはありません。

私の体験が無駄になってない・・・そう実感も出来るから・・・。

18.感謝状

手術が終わって約3ヶ月近く経った頃、骨髄バンクからなにやら小さな荷物が届きました。
それは、よく卒業証書などが入れられている筒でした。
その中には、厚生労働大臣からの「感謝状」が入っていました。



(名前の部分はもちろん私の名前入りです)


かなりりっぱな賞状でした。
「その崇高なお心は社会の模範となるものであります」と。
私はそれを読んで、「ふーーーん」と思いました。

もちろん、感謝状をいただけることはうれしかったと言えばうれしかったけど、
別にこんなものが欲しくて提供したわけじゃないし、
「崇高な・・・」なんて言われても、私は自分に出来る範囲のことしかしていません。
私が欲しいのは、提供した患者さんの健康。
その安否を知る権利。
そして、一人でも多くの人が登録して、助かる人が一人でも増えること。
儀礼的な感謝状ではないんです・・・。

こんなことまでして欲しくなかった、というのが正直な気持ちです。
そんな余分なお金があるなら、
一人でも多くの登録者を増やすため、
そして提供してくださる方にかかる費用などに使って欲しいと思います。

部屋に飾る気にもなれず、いまだに筒に入ったままです。
ただ、こういうのももらえるんだよ、と参考まで・・・。

19.登録出来ない理由

とある掲示板で骨髄バンクのことを話していたのですが、
そこですごく考えさせられたことがありました。

たぶん、内心では登録したいと考えていらっしゃる方だと思います。
だけど、身体的なリスクを考えて、自分は登録しないし、
家族が登録することも反対する・・・と。

この「身体的なリスク」
骨髄バンクに登録することを迷っている人が一番に理由に挙げることでもあります。

確かに、健康な体に全身麻酔をかけ、針を何箇所も突き刺します。
痛みが全くない、と言うのはうそになります。
そして後遺症が残る危険性も、0%ではないのです。
もし万が一、後々の生活に支障が出るほどの後遺症が残ったら、
残された家族は、周りの人たちはどうすればいいのか。

バンクの方からは、身体的なケアはもちろん行われます。
完全に良くなるまで無料で通院は出来ます。
だけど、通院するために仕事などを休まないといけないとしたら、
その休業補償は出ません。
万が一後遺症が出たら、保険金もおります。
その金額は、普通の人が掛ける金額よりも高く設定はされています。
だけど、身体的な後遺症が長年続いた場合、その世話は誰がするのか。
まあ今までバンクを介しての提供では、そこまでの後遺症は出ていないし、
だから当然、バンクが一生涯保障してくれた、という前例はありません。

私もそのことは提供するときに考えました。
もし、私が元通りの体になれなかったらどうなるのか・・・。
私自身も後悔するかもしれないし、家族はもっとつらいだろう。
だけど、私は提供しました。
それは、やはり人一人の命がかかっていたから・・・。

バンクは、そういう後遺症を何よりも恐れています。
登録者が激減することに直接つながるからです。
何か起こったら、バンクの存続すら危ぶまれることになります。
だから身体的には十分気を使ってくれるけれど、
そのあとのフォローは、どこまでバンクがしてくれるのか、
私もよくわかっていません。

バンクは、もっと多岐にわたってその辺のところを明確にし、
公開することが必要だと思います。
登録してくれる人、提供してくれる人を一人でも増やすためには、
そのリスクを明確にすること、そして
リスクフォローを徹底して、それを公開し、実践していくことです。

私もやはり登録してくれる人が一人でも増えるとうれしい。
そのために自分が出来ることは、精一杯やっていくつもりです。
だから今まで事実をありのままに伝えてきたつもりです。

私は元来気楽に考えてしまう性格なので、
バンクの登録や骨髄提供に関しても気楽に考えていたかもしれません。
「登録したいけど、出来ない。迷ってる」
そういう人の意見を聞くことで、
深く考えることも必要だな、という気がしました。

20.出せない手紙

骨髄提供の手術を受けて5ヶ月近くが経とうとしています。
いまだに、患者さん側からは何の打診もありません。
私も一時期は手紙を書こうかと考えていたけど、
やっぱり出せないでいます。
なんとなく、親切の押し売りになるような気がして・・・。

患者さんが、提供してくれた人に手紙を出すのはもちろん義務ではありません。
出さない人、出せない人の方がはるかに多いと思います。
別に見返りを求めて、感謝されたいから提供したわけじゃない。
ただ、助けたいと思ったから・・・。
だから、手紙が来ないなら来ないで仕方ないとは思っています。

だけどやっぱり、提供を受けた患者さんがその後どうされているのか知りたい。
まだ20代の若い男性だったらしいので、
元気にされているのかどうか気になります。
容態が落ち着くまで3ヶ月はかかる、と聞きました。
その3ヶ月はとうに過ぎています。
まだ容態は安定してないのかな・・・
もしかして、最悪の結果になったりしてないかな・・・
心配です。

でも私からは手紙は出しません。
私は、ただひたすら願っていこうと思います。
彼が無事に回復していることを。
私と同じ血が流れている体が、元気に動いていることを。


私の腰の辺りには、いまだに手術痕が残っています。
だんだん薄くはなってきてるけど、小さな点が3つ・・・。
たぶん一生かかっても完全に消えることはないかもしれません。
私の歳も歳だし・・・。

私は、あえてその痕を消したくありません。
だって、それは私の勲章だから。
確かに、提供したんだっていう、証だから。
感謝状とかよりも、はるかに意味のある勲章です。


なかなか出来ない、いい経験が出来ました。
そしてその経験が出来たことを、誇りに思います。
こんな私でも、誰かに希望の光を与えることが出来たのだと・・・。
私も今回の経験で、いろんなことを考え、いろんな人の話を聞き、
いろんな人の心を感じ取れた。
大きく成長できたと思っています。


骨髄提供できて、本当に本当に良かったです!!

21.命をありがとう

「半落ち」という映画を見に行きました。
この映画の原作者の横山秀夫さんの息子さんが骨髄性白血病に侵され、
骨髄バンクのドナーからの骨髄提供により回復されたということもあって、
この映画のテーマの一つとして、「骨髄バンク」が関わっています。

寺尾聰扮する主人公は、中学生の息子を骨髄性白血病で亡くしました。
主人公は映画の中で、「ドナーさえ見つかれば確実に助かっていた」と述べました。
息子が白血病に侵されたとき、主人公とその妻、
つまり母親も骨髄バンクにドナー登録しました。
そして主人公の方は一致する患者が見つかり、ドナーとして骨髄提供をしました。
そして偶然、提供した患者らしき少年が見つかるのです。
少年が、とある新聞に投稿していた記事を読んで・・・。

その記事が映画の中で読まれるのですが、
その内容を聞いたとき、私は涙が出て止まりませんでした。

「命をありがとう」
という題名で始まる記事。
骨髄性白血病にかかった時の心中。周りの人たちの心遣い。
見知らぬ人からの骨髄提供がなければ、自分は助からなかったけど、
運良くドナーが見つかり、提供してもらえた。
その見知らぬ提供者に感謝している。
いつか自分の元気になった姿を、その提供者に見てもらいたい。
その日が来ることを信じて、毎日を大切に、元気に生きている。
自分に命を与えてくれてありがとう、と・・・。
簡単に言えばこういう内容でした。

そして何よりもびっくりしたのは・・・
その記事に書いてあった骨髄移植の日が、
私が手術を受け、患者さんに骨髄移植をした日と全く同じ日でした。
6月9日。
これはストーリー上でたまたまこの日にしたのかもわからないけど、
すごく不思議な縁を感じました・・・。


主人公は妻を殺してしまって、一度は後追い自殺をしようとするものの、
この骨髄バンクのドナー登録のために、51歳の誕生日に死のう、と決意をするのです。
ドナーとしての登録は50歳まで。51歳の誕生日で取り消されます。
主人公は49歳。あと約1年。
それまでは、自分は生きる意味があるのだと・・・。

この映画は、大きなテーマとして、「人は何のために生きるのか」
と問いかけています。
息子と、妻と、家族全員を失って、生きる希望をなくした主人公が
それでも生きたいと思った。
それは、自分が生きることによって、
誰かを助けることが出来るかもしれないと思ったから・・・。
だから助けることが出来なくなれば、自分は死んでもいいのだ、と。
解釈は人それぞれかもしれないけど、私はそう解釈しました。

でも、主人公から命を授かった少年が、最後に主人公にこう言います。
「生きてください」


私も今は術後一年経ってないので登録は保留状態ですが、
一年経過したら当然再登録します。
ほんとに簡単な登録で、誰かに命を分けてあげられるかもしれない。
病気にかかって、自分に合う骨髄を待っている人に、
少しでも希望を与えられるかもしれない。
それだけでも、自分は生きている意味があるんだ。
そして実際、見知らぬ誰かに骨髄を提供することが出来た。
その人が今もなお元気で過ごされているのかどうかはわからないけど、
希望だけは与えることが確実に出来た。
命を分け与えられる手助けが出来た。
それだけでも、ほんとによかった・・・。
私のしたことは、ちょっと決心すれば誰でも出来ることだけど、
それは相手にとっても自分にとっても大きな意味のあることでした。


一人でも多くの人に、「生きる意味」を一つでも多く、
持ってほしいと願います・・・。

22.移植から一年

先日、骨髄バンクから一通の封書が届きました。
今後のドナー登録の継続確認の書類でした。
移植手術後一年間は、登録が保留状態になります。
その間、もし一致する患者が見つかっても、提供は出来ません。
一年経って、やっと保留状態が解除されます。

私はもちろん、ドナー登録を継続しました。

あれから一年。
手術跡は、どこにあるかほとんどわからないくらいに薄くなってしまいました。
記憶としては鮮明に残っているけど、
体はもう、移植したことなどすっかり忘れているかのようです。

でも、いまだに移植による影響を心配している人が周りには少なからずいます。
私の体の不調が、移植によるものではないのかと、心配してくれます。
とてもありがたいことなのですが、
でも、骨髄移植のことをきちんと理解してくれてないのだなーと
少しさみしい気持ちになるのも事実です。

私は医者ではないから、100%原因ではないとは言い切れないけど、
手術によっての不調は、自分の感じる限りでは見受けられないし、
検査結果としても全く出てきていません。
体の調子が悪くなるたびに、手術が原因として持ち出されるのはたまりません。

だって、私は手術をしたことを、全く後悔してないどころか、
誇りにすら思っているのですから・・・。
たとえ万が一、それによって体の不調が現れたとしても、
私はやっぱり後悔はしていなかったと思います。

出来ることなら、もう一度提供したい。
移植は原則として一人2回まで、とされています。
だとしたら、もう一人に提供できる。
それだけで、私の存在価値があるのだから・・・。


最近、TVCMでもやたら流れています。
夏目雅子さんのCMです。
きれいに作られてありますが、きれいごとではないのです。
患者さんからしてみれば、切実なのです。
一致する骨髄があれば助かって、人生をもっと謳歌することが可能ならば、
少しでも、その手助けをしたい。
そう思ってくださる方が、一人でも多くいることを望みます。
※原作者のホームページは、こちらになります。

掲載されている文章・写真・図表などは、原作者の許諾を得て転載しております。
無断での転載を禁じます。
このサイトは、チーズとチーズケーキの専門店、オーダーチーズ・ドットコムと、フランス・ボルドーより、ビンテージワインの直輸入販売を行なうオールドビンテージ・ドットコム、フラワー電報のボックスフラワー電報胡蝶蘭 贈答,により運営されております。