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ドナー体験記

精神科医Mariaの骨髄移植ドナー体験記

 私Mariaは、先日骨髄移植のドナーとしての体験をさせていただきました。
他の方の参考になるかどうかはわかりませんが、ここにその体験を記録しておこうと思います。

(1)登録まで

 Mariaは精神医学に興味があって、医学部を目指した。人の身体のことも学びたかった。
医学部は6年間あり、講義、実習、レポート、テスト、となかなか量も質も濃いものではあったが、
仲間や先輩後輩に恵まれていたと思うし、やりがいもあった。

 医学部4年生か5年生だったと思う。血液内科の講義で、白血病のことを学んだ。
様々な治療法の後で、「骨髄移植」の説明を聞いた時、Mariaはかなり感動した。
これは凄い!と思った。白血病は、簡単に言ってしまえば血液ががん化する病気。
血液は、骨の中にある造血幹細胞がもとになってつくられている。
白血病の病的細胞を化学療法や放射線療法で叩き、健康な他人でHLAの一致した
造血幹細胞を入れる、
しかも、患者さんは点滴を受けるだけで済む。なんて斬新なアイディアだろう!
感動のあまりMariaは一時血液内科医を目指した位だった(←単細胞・・・;^^)。
紆余曲折の末、やはり精神科医になり、その選択には後悔していないが、
そんなわけで(骨髄バンクをいつ知ったのかは覚えていないが)ドナー登録することは、
ずっとアタマにあった。でも、何か、きっかけがなかった。

 大学卒業後の医者修行中、Mariaは、縁あって結婚し、子どもにも恵まれた。
一人目の時は無我夢中だったが、二人目が生まれた時、ふっと、「これからは、
他の人に何かを返していかなくてはならない」と思った(ちなみに、Mariaはユングの
言う「内向直感タイプ・補助機能は感覚」らしく、この決断も直感?)。
早速、赤ん坊を抱いて、血液センターを訪れたのは、出産数ヶ月後の冬。
説明を聞き、ビデオを見、登録の手続きをして、採血も受けた。夫には、事後報告。
その時の反応は覚えていない。

(2)その後7年間

 その後は、バンクから送られてくるニュースレターを読むだけだった
(真面目には読んでなかったかも;^^)。登録したもののドナーになることは現実味がなかった。
それよりも、目の前の仕事と子育てでいっぱいいっぱいの日々だった。患者さんのこと、
子ども達のこと、今、自分がすべきこと・・・。

 そういえば、一度だけ、HLAが適合したとお知らせが来た。が、その直後に
「患者さんの都合」で、終了してしまった。
なあんだ、でも、適合することもあるんだなあ、と思った。それくらい、現実味はなかったのだ。

(3)X-dayから3ヶ月前(移植の日を、患者さん側ではX-dayと言うらしい)

 下の子が小学1年生になり、登録から7年が過ぎたある日、バンクから大きな黄色い封筒がきた。
開けてみると、患者さんとHLAが一致し、ドナー候補となったとある。
今後の検査の意志確認書や、検査する病院のリストもあった。
夫に「いい?」と軽く(軽すぎたかも)確認をとって、すぐに返事を出す。
この直前に、歌手の本田美奈子さんが白血病で亡くなったとのニュースがあり、
微妙に本名が似ているMariaは、なんとなーく、ドナーに選ばれるような気が
してしまう(妄想?)。

 その後、担当のコーディネーターさんの名前と連絡先等が知らされる。
検査や説明は、自分が勤めている病院で受けられたらと希望を出すと、ラッキーなことに、
説明と初回検査の場所は、自分の職場。
しかも、"調整医師"は医局でお隣の席の血液腫瘍科医師I先生。知り合いでいいのかな?と
思いつつ、「よろしくお願いします!」とI先生にご挨拶。
I先生もドナー候補の連絡は来たことがあるが、すぐ終結したらしい。
コーディネーターさんから電話がきて、検査と説明の日時をセッティング。
これは、I先生と直接相談できたので、あっさり決まった。I先生もMariaも、お互い多忙で、
顔を合わせるのは朝とお昼休み位のものだったので、これは都合が良かった。
ドナーは仕事で多忙な人も多いだろうから、コーディネーターさんは大変だろうなあ、と思う。

 この時点で、医局長にメールで報告。入院になるかもしれないしね。医局長は小児科医で、
バンクに登録しているが、「一度連絡はあったが、すぐ終結しちゃった」とのこと。
結構多いパターンなのだろうか。友人3人にもメールで「未定だけど、もしかしたら」と伝える。
結構びっくりされてしまう。

(4)初回検査:X-dayから2ヶ月半前

 Mariaの職場の病院で、コーディネーターTさんと初顔合わせ。Tさんは、にこやかで
ハキハキしたすらっと長身の女性。
I先生も受付にわざわざ迎えに来て下さって、診察室に案内してくださる。私も、ここで
働いているからわかるんですけど(笑)。


 医者同士、診察室で向かい合うのは、「なんかヘンな感じですね」と苦笑しあいつつ、
コーディネーターさんから丁寧な説明を受ける。
I先生からは医学的な説明(処置、麻酔、後遺症、死亡例)。骨髄液採取は、Mariaも
小児科研修時代に経験がある。
こどもで検査だったので、胸の骨からの採取だった。移植の場合は腸骨から採取するし、
何回も針を刺し痛いし時間もかかるので全身麻酔になる。どれくらいの量かな?と思っていると、
レシピエント(患者)さんは体重62キロの人とのこと。Mariaの体重は45キロ程度なので、
その体重で安全にとれる最大量になるでしょう、とのこと。

採取病院も相談。県内ではA病院が主体とのことだが、Mariaはそこで10数年勤務経験があり、
シャレにならないほど知り合い(医師+看護師)が多い。
B病院を希望する。「B病院は、今まで3例しか(採取)してないと思います」と
コーディネーターさん。
3例のみ、ということに若干不安になるが、がんセンターであるB病院も処置はきちんとできるはず。

その後、採血、血圧測定。処置室で医者が採血を受けている光景はさすがに異様?なのか、
看護婦が「Mariaせんせい〜〜」と心配そう。
医者からの採血は看護婦さんも緊張するかな?と思い、これまで合計5000ml献血したし、
この太い血管が取りやすいよ、と話すと、びっくりしている。
若者ナースよ、献血せよ!!たまたま通りかかった医局長が心配そうに近寄ってくる。
ドナーの検査と伝えると納得した表情。

(5)ドナーに選定。最終同意:X-dayの8週前

 その後、採血結果は問題ない、との通知があり、またしばらくすると、
「ドナーに選定されました」との通知。

ドナー候補は5人まで同時進行できるが、何人いたかは知らされない。おお、当たった!
やはり、最初からそうなるような気がしていたなあ、と思う。
前後して、コーディネーターさんから数回電話があり、患者さん側とB病院の体制から、
採取日(=X-day)が決まる。

それ位先なら、仕事も調整がつくし、大丈夫。夫にも確認。
夫は「その週末に、出張があるから、子ども達はMariaの実家に頼める?」と聞かれる。
うー(*_*)。実家の親には、実のところ、事後報告にしたいと思っていた。
絶対心配するから。愚痴も聞かされるから。「心配で眠れなくなった」とかさー。でも、仕方がない。
「○月△日〜□日に、子ども達を預かってもらえる?」ととりあえず電話。OKをもらう。
共働き夫婦で、こういうことは時々あるので、親はそう疑問にも思わなかったよう。
そのうち、事情を説明せねば・・・。鬼門だ。


 夫が休みの平日に、最終同意。コーディネーターさんが資料に沿って詳しく説明しようとするのを、
せっかちな夫は聞けないらしく、「同意しますから!」と遮る(あたた・・・*_*)が、
I先生にやんわりと、「そうされると、コーディネーターさんは、困る立場なのですよ」と
たしなめられ、説明を受ける。
医学部を卒業して、10数年にもなるので、知識としてはわかっていても、いろいろ新しい
治療も出ていたりして、勉強になる。
でも、1時間の説明はさすがに長い。夫も医者だから、かなりはしょってくれたはずだけど。


 さあ、最終同意。コーディネーターさんに、「まだやめることはできます」と念を押される。
夫はコーディネーターさんに、気持ちを聞かれて、「同意します。あ、事故なく、
相手の方もうまくいってほしいなあと思います」と。ありがとうね!

二人で最終同意書二部にサインし、一部はバンクへ、もう一部はドナーに、と一部を受け取る。
I先生から夫に、「ドナーさんが麻酔をかけられている間、何か決めなくてはならないことが
あったりします。本人は麻酔をかけられているわけですから、旦那さん、付き添いは
できますか?」と。
え!そんなこと、聞いてないよ〜。いいよ、いいよ、なんとかなるよ〜、
これ以上の迷惑を夫にかけるわけにはいかない、と思うそばで、夫はハッとしたように、
「はい」と答えてしまう。断れないよね、この場合・・・。


 帰宅後、「ありがとー!」と夫にお礼。「付き添いはいいよ〜」、と思わず言ってしまう。
夜、子ども達を寝付かせながら、入院すること、他の人に血を分けてあげること、
そのことでその人の命が助かるかもしれないこと、を話す。
上の子は「ふーん」、と神妙な表情。下の子は「お母さん、死んじゃうの?」と泣く。
死なないってばー、と話しつつ、あっちゃー、と反省。夜する話じゃあないわよね。


 翌朝、ぺたっとくっついてくる下の子。大丈夫よ、と抱きしめる。
「今日入院するの?」と言うので、まだまだ、○月だよ、と話すと「なあんだ」。
おいおい、なあんだ、って何だ?(笑)。

(6)健康診断:X-dayから5週+α日前

 B病院には通りかかったことしかない。朝の渋滞もあるし、と早めに車で家を出ると、
すんなり到着。うろうろ歩き回ってみる。なんか、どんよりと重たいオーラが渦巻いている。
そっか、ここってがんセンターだった。て、ことは、みんながんの患者さんなのね。
ひゃあ〜〜。重いはず。やや場違いな気持ちになり、待合室の片隅のソファーに座って、
本を開く気にもなれず、コーディネーターさんを待つ。あ、コーディネーターさんも早い到着。

 その後、「ここは初めてなので」とおっしゃいつつ、テキパキと事務手続きを進めてくださる。
自分でできないこともないけれど、彼女におまかせしてしまう。

 その後、待ち時間がやや長い。でも、コーディネーターさんといろいろお話。
コーディネーターは全くのボランティアと聞いてビックリ。「普段はフツーの主婦
なんですよ」とおっしゃるが、テキパキした主婦なのでしょう、きっと。
コーディネーターになるための研修も大変そう。その後も研修や更新のための試験とかがあるそう。
いや〜〜頭が下がります!色々な意味で能力と気持ちがないと、できない仕事だなあ、と思う。

 あと、「聞きたいですか?」と念を押された上で、レシピエントさんが、
"○○地方の40代男性"と教えてもらう。遠くの人なんだ、40代かあ、子どももいるかも、
大黒柱かも、と思う。コーディネーターさんも「考えさせられますよね」と。

 この時から、Mariaは、心の中で「(血を分けることになる)お兄ちゃん、頑張って!
一緒に頑張ろうね!」祈ることを始める。Mariaの幹細胞、しっかり働け!とも(笑)。

 待ったあげくに、血液内科医師H先生の問診、診察。H先生は女性で、丁寧にお話してくださる。
私の体重とヘモグロビン量で、骨髄の採取量が決まるという。
バンクで細かく規定されている。貧血ではないけれど、多いわけでもないからなあ、ヘモグロビン。
鉄サプリ飲んでもいいのかな?

 さて、実はH先生、Mariaの妹と高校が同じで同期らしい。しかも、遠い親戚になるらしい。
なんという偶然。でも、緊張させそう。今日は言わないでおこう。

 その後、動脈血採血、一般採血、採尿、心電図、胸のレントゲン、肺機能検査、
と思っていた以上に早くメニューをこなし、終了。
来週、麻酔科診察でゴーサインができればオペに、とのこと。

 この日、Mariaの実家へ向かう。母がいて、あれこれ雑談。その後、決意して、話す。
「『半落ち』って映画見たのよね?骨髄移植って知っているでしょ。
今度、私、そのドナーになるから。で、○月○日からB病院に入院して、処置受けるから」
とあっさり説明。案の定、硬直している母。急に台所に立ったかと思うと、
おもむろにみかんを4、5個持ってきて、「これ食べなさい!」とMariaの目の前におく。
えっと(汗)。「パンフもあるし、説明してもいいのだけど、余計に心配しそうだから、
しないことにするね」と言って、少し話した後、帰る。呆然としている母。
やれやれ。後のフォローは妹に頼もう。よろしく、妹!

(7)麻酔科診察:X-dayから4週間前

 またコーディネーターさんと待ち合わせ。最初に内科のH先生の診察。
前回の検査で異常はなく、ヘモグロビンも13にアップしていたので、骨髄液は
もう少し多く採取できそうとのこと。よかった。自己血採血は、600mlとっておくことになり、
200ml、400mlと分けて取ることに。貧血予防のため、鉄剤処方される。
妊娠中も飲んだフェロミアね。う○○が黒くなるのよね。消化器症状の副作用もあるけれど、
大丈夫なはず。

 ここ日、気になっていたことを質問する。「患者さんにとって充分な量の骨髄液を
移植できなかったら、生着に不利なのではないでしょうか?」。答えにくそうに話すH先生。
移植量が少なめだと、やはり生着に時間がかかってしまう可能性があるが、
バンクとして、絶対にドナーの安全を守るという方針があるとのこと。
う〜ん。リスクは自分で引受けるから、患者さんにとっての十分量を採ってもらう、
というオプションがあってもいいんじゃないかな〜〜と思う。
採取量って、骨髄液全体のせいぜい数%とI先生から聞いたし。大丈夫ではないか?と思う。

 次に、麻酔科K先生の診察。心電図も呼吸も大丈夫、全身麻酔オッケーとのこと。
よかった。ここで「精神科のドクターなの?」と聞かれ若干雑談。
B病院には、緩和ケア病棟もあるのに、精神科医は非常勤でしかも、月1回しか来ないとのこと。
それは、全然足りないでしょう。精神科の常勤医枠をつくってくだされば、私来ます〜
とは言わなかったけれど、大変そうだなあ。
がん末期の患者さんのメンタルケアはとても大切なのに。

 とりあえず、診察は終了。「風邪ひかないようにね」との優しい声がけがうれしい。
ハイ、気をつけます。会計待ちをしながら、コーディネーターさんから
「運動していますか?」。ん?他のドナーさんで、採取直前に運動して怪我とか捻挫とか、
いろいろとアクシデントがあったとのこと。本当に気をつけないと。

 ここで問題が出現。フェロミアが院外処方で出てしまったのだ。受付に聞くが、
冷たく「院外処方です」といわれ、コーディネーターさんが慌ててバンクに問い合わせ。
「出てしまったものは仕方がないので、院外薬局でMariaさんに支払っていただいて、
その領収書をバンクに送って、バンクからMariaさんに支払うという形をとります」とのこと。
しかし、帰宅後、病院が気付いて、事務から家に電話をもらったり、
薬局から電話をもらったりした。結局は、病院の薬を薬局に返して、
薬局はMariaの保険証を使ったので、その履歴を抹消し、Mariaは病院に領収書を提出して、
払ったお金を返してもらう、というややこしいことに。
Mariaは、B病院の事務の方にうんと謝られて恐縮。B病院が慣れてなかったからだよね。
Mariaのドナー体験から、慣れていただければ幸いってものです。

 実家からはちょくちょく電話をもらったり、会った時に
「自分の身体が大変なことにならないか、それだけが心配!」と強く言われたりして、
なんかちょっとめげる。父もいろいろ言っているらしい。心配はわかるけれど、
ありがたいけれど、私の思いに耳を傾けてくれないかしら。

(8)自己血採血・:X-dayから2週+α日前

 コーディネーターさんは自己血採血には付き添えないとのこと。一人で病院へ。
いよいよ再来週かあ、と思うと、少し緊張。現実に直面する(遅いってば!;^^)気分。
もちろん覚悟が揺らぐことはない。朝方子供達を送り出して、
普段あまりできない片づけや掃除をちょこちょこして、出発。公共の交通機関を利用。
バス→電車→バス、と乗り継いで行く。遠い、不便。うちの病院も、車じゃないと不便だなあ。
県外から来てくれる患者さんもいるし、やっぱり、なるべく待たせず、
役立つ親切な診療が必要だよね、とこころの中でつぶやく。

 早めに出たせいか、予約より30分早く到着。ま、いいか、と思って、受付してしまう。
内科診察を待ちながら、読もうと思っていた本やこの前受けたロゴセラピーゼミの
資料やメモを読む。「喪の意味」。う〜ん、いろいろ考えさせられますね。

 採血の後で内科診察。今日のヘモグロビンはまた12台だったとか。
え〜、先週生理で出血が多かったせいかしら。とりあえず、200ml採血。
献血くらいの気軽な気持ちでいたら、体温・血圧測定、消毒がっちりで物々しく、
ドクターが針を刺し、輸血部の技師さんらしき人がつきそい、看護師さんも付き添ってくれる。
男性と違って、勢い良くは出血しないので、少しずつたまっていく血液を
H先生と技師さんがじっと見ている。微妙にプレッシャーが(笑)。
「次は400mlだし、厳しいね」と技師さん。おい、私の前でそれを言う??

 とれた後も、「30分横になっていてください」。200ml献血は慣れているし、
大丈夫なのになあ、と思いつつ、本を読むわけにもいかず、少しうとうと。
30分って長い。また、体温と血圧を測ってやっとおしまい。自己血の入ったパックに
自分でサイン。会計は、今までより早く呼ばれた。だいぶドナーの扱いが、スムーズに
なってきたのかも。

 入院とその後の自宅療養の間は、Maria外来を休診にするため、一応診療部にメールで知らせる。
その他、知り合いにもぽつぽつ機会をみて伝えることにする。
だって、骨髄バンク登録者って思っていた以上に少ない!!医者でも!!
いや、かえって医者の方が、どういう処置をするのか知っているので拒否感が
あるのかもしれない。ある人から目を背けられるような態度をとられたのは辛かった。
「痛いんでしょ」と、もしかしたら、心配してくださったのかもしれないけれどね。
色々な価値観があることはわかるので、もちろん押し売りはしない。
わかってくれる人に、少しでも伝わればいいなと思う。

(9)自己血採血2回目:X-dayから1週間+α日前

 いよいよ、来週。一日、一日、指折り数える気分。新しいレターセットも買ってきて、
レシピエントさんへの手紙を準備。両親へもワープロで思いを綴った手紙を書いて出した。
やっぱり、Mariaの思いをわかってほしいし、口で言うより、手紙の方が
ゆっくり読んでもらえそうだしね。ついでといっては何だが、夫と子供達にも
思いを綴った遺書もどきを作成。医療事故は起こってしまうことがあるのだ。
もちろん、医療ミスなんかで命を落としたくはないが、医療者Mariaは
自分に起こりうる現実から目を背けず、直視したいと思う。遺書は、
前にも何かの時のためにと書いたことがある。二つ目。しっかり封をして、引き出しにしまう。


付録

<<<<<<<<<<<<<<両親への手紙>>>>>>>>>>>>>>>

 ちょっと恥ずかしい(;^^)ですが、Mariaが両親を納得させた力作です(笑)。
未来のドナー候補さんの両親が、同じようなリアクションをした時、
参考になるかもしれません。使いたい方はどうぞ。

___________________________________

 この度は、骨髄移植のドナーになることで、ご心配をおかけして、申し訳ありません。

 ドナーになることにあたっては、家族の同意が必要であり、
○月○日にOさん(夫)にも、医師の方から、説明をしていただき、
理解と同意が得られています。
詳しい処置の仕方や後遺症の可能性や頻度などもわかっています。

 お父さん、お母さんに説明もできますので、必要があればおっしゃってください。

 ここでは、骨髄移植についてのざっとした説明と、私の思いを伝えさせていただければと
思います。


 骨髄移植は、白血病やその他の免疫疾患で、薬物治療で限界をきたした際に行われる
治療法です。

 血液は、骨髄という身体の骨の内部で作られていますが、この骨髄にある
造血幹細胞という血液のモトがガン化してしまうと白血病になるわけです。
通常は抗ガン剤でそれを叩くわけですが、それも難しくなった場合に、
患者さんの骨髄中の「血液のもと(造血幹細胞)」を放射線等で叩いてゼロにし、
そこに健康な人の骨髄液(造血幹細胞)を入れる、というのが骨髄移植です。
* 私は、医学部時代に、この治療法について学んだ時に、そのアイディアに感嘆しました。
すごい発想ではないでしょうか?


 移植する骨髄液は、健康な人であれば誰でもよいわけではなく、
ここでは血液型(=赤血球の型の、A,B,O,AB)ではなく、
HLAという白血球の型の一致が必要となります。
HLAは、兄弟でも4分の1の一致率であり、他人から探すと1万分の一の一致率になります。

 ここで設立されたのが、骨髄バンクです。

 バンクへの登録は、20才〜50才の健康な人であれば誰でもできます。


 私はこれまで、25回にわたって、献血をしてきました。
人が人を助けられる範囲には限界があって、自分のできることも本当にわずかなことだけです。
医者としてよりも、人として、そのわずかなことでも、せずにはいられない、
という思いから献血をしてきました。それができる身体に生み育てていただいた、
お父さんとお母さんには、深く感謝しております。


 骨髄バンクへの登録は7年前。Rが生まれた後です。Rを授かって、
私は、かけがえのない二人の子どもに恵まれた幸福を思いました。
大きな運命や出会いの中で、私は数多くのことに恵まれ、与えられてきた、
と思います(苦しみや悩みがないのが幸福ではなく、苦しみの中で人生に
意味を見いだしていけるのが幸福だと思いますが)。
そして、これからは、私はできる限りのことで、世の中の何かに与えたり、
返したり、していかなければならないという思いがあったのです。


 今回、私のHLAは見知らぬ、40代の男性患者さんのHLAと一致しているそうです。
相手の方は体重62キロだそうで、私はそれよりも体重が少なく、
私の安全のために、その方にとっての充分な量の骨髄液を差し上げることができません。
それでも、私がドナーに選ばれたのは、たぶん(推測ですが)、
他に一致する人がいなかったからではないかと思います。

 人のHLAは遺伝で決まり、父親と母親から半分ずつ遺伝されます。
と、いうことは、その方のご両親も、お父さんとお母さんと半分ずつ同じHLA
を持っているということです。不思議なことだと思いませんか?


 その40代男性は、誰かの息子であり孫であり、誰かの兄弟でしょう。
もしかしたら、夫であり、父親であるかもしれません。Rくらいの子どもがいるかも
しれませんね。白血病になり、入院を余儀なくされ、辛い抗ガン剤治療に耐え、
全身は衰弱し、髪の毛もほとんど抜けてしまっていることでしょう。
高い医療費を働かずに、どう支払っているのか、家族も看病や心労で辛い毎日を
送られているのではないか、と思ったりします。

 抗ガン剤治療がうまくいかなくなって、家族にHLA一致者がいないとわかった時、
彼と家族はどんなに落胆したことでしょう。そして、祈るような気持ちで
骨髄バンクに問い合わせをしたことでしょう。

 お父さんとお母さんだって、自分の両親、兄弟の誰か、娘や婿、孫の誰か、
大切な人が白血病になり、骨髄移植をせねば死んでしまうという事態になったら、
死にものぐるいで、HLAの一致する人を探すのではないでしょうか?いろいろな人に
頭を下げて、血液検査をするよう説得するのではないでしょうか?

 私はそんなことを考え、自分の体の一部が彼の役にたつことを、貴重に思っています。

 いろいろなことが頭で理解できても、娘である私の身体に(小さくとも)傷がつく、
ということは親の気持ちとして耐えられないことだとは思います。そのお気持ちは、
大変ありがたく思います。それは、私のことを大切に思ってくださるからだとわかるからです。

 人には、「身体」と「心理」、「精神」という三つの次元があります。心理的には、
このことは堪え難いことかもしれませんが、どうぞ、精神的な次元で意義を
理解してくださり、私の思いを汲取っていただければ、大変ありがたく、心強く思います。

 私の思いや意志が伝わらないまま、悲しまれたり、疑問を抱かれたりすることは、
本意ではないため、このような拙い文を書くことにいたしました。

 長くなりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 尚、ドナーになるにあたって、検査や処置、入院の費用は、患者さん側が
全て支払うことになっています。数十万円になるのかと思います。
その負担を少しでも軽くしたいので、日曜退院のところを、可能であれば前日に
したいと思っています。その時は一晩(子供達と一緒に)泊めていただけませんか?

 その後は、大事をとって、仕事を一週間休むことにしています。普段の生活には
支障ないはずですので、ご心配は無用です。

 いろいろとご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます。

 寒い日が続きますので、ご自愛くださいますよう。

                               Maria

___________________________________

この後で、 母親から「Mariaの気持はわかりました」との手紙を受け取る。よしよし(笑)。


 400ml採血は思いがけず早く終わった。手も楽だったし、針が血管に
うまく入っていたのかも。ただ、その後血圧が下がってしまい、採血前は
上が117あったのに、99で、測り直し。次は100だったので、
ようやく解放された。入院の説明を受けて、また鉄剤を受け取って帰宅。
特にふらつきとかはなかったけれど、400mlの採血は初めてで、
自分でも自信がないのでタクシーを使わせてもらい、電車に乗り継いで、
そろそろと歩いて帰る。帰宅して休んでいると、子ども達が帰宅。
玄関に出迎えると、下の子に「おかあさん、ヘロヘロじゃないの?」と聞かれる
(あらかじめ、「ヘロヘロになったら助けてね」と話していた)。
子どもなりに覚悟していて、拍子抜けした?夕食も作ることができそうだけど、
お約束(^^)で、子ども達の好きなうどんを出前でとる。
夜も早めに休む。

(10)入院(X-dayの前日)

 レシピエントさんは、X-dayの1、2週間前から前処置に入る。つまり、
造血幹細胞をゼロにするための照射や化学療法を受けている。
身体も精神的にもかなりきついはず。そして、ここで私に何かあったら、
彼の命に関わることになる。そう思いつつ、毎日を注意して生活。
といっても、別に何をするわけでもないのだけれど。
怪我も事故も病気もしないように、最低限、とにかく、死なないように、
というと大げさだけれど。

 いよいよ入院。入院ってお産以外にしたことがなくって、何を準備すればいい?
としばし悩むが、病院のパンフにしたがって、一通りのものをそろえる。
かけ布団は一枚というので、タオルケットは持って、毛布はどうしよう、
寒いと嫌だし、と一応持つ。子ども達には日程を伝えて心の準備をしてもらう。
下の子は「おかあさん!」とひしっと抱きついてくる。上の子はさすが、
「おれたちはおばあちゃんちってことで」と余裕。骨髄採取の夜から夫が大阪へ
研修出張だったのが、子ども達にはかえって良かったかな、と思う。孫がいれば、
両親の気もまぎれるし、一石二鳥かも。

 前日、寝る前に子ども達が"ケロロ軍曹"の♪侵略者♪(笑)の替え歌で
「♪お母さん、入院がんばって〜♪」のダンス(^_^)を踊ってくれる。
とってもうれしい。ありがとね!

 入院当日、朝9時半から10時までに病院へとのことで、8時半に家を出る。
夫が運転する車の中、携帯メールチェック。友人と妹にメールする。

 病院にはコーディネーターさんが既に到着している。受付をしていると、
H先生がきて、外来で説明をうける。骨髄採取は810ml。採取の途中から
自己血600mlを戻す。麻酔科の方針で、麻酔がきれて完全にクリアになるまでは
回復室で過ごす。普通は2時くらいには戻れるが、4時くらいになった人もいるとのこと。
4時になったら飲水テスト。夕食は普通に出る。

 看護士さんに誘導されて、内科の4人部屋に入院。荷物を片付ける間もなく、
「着替えてください」と指示され、いきなりパジャマ姿に。おお、病人みたい。
しかし、採血、体重測定、簡単な問診の後は、暇。予想通りなので、持参した本を
読みまくる。フランクルはやはり素敵だ。あのまっすぐな生き方と人間を、
人生を信じる姿が凄い。ほかにはプラトンの「国家」とかを持ってきた。
こういう時じゃないと集中して読めない。よい機会。

 午後から心電図と胸のレントゲン。この前とったばっかりなのに、と思うけれど、
医者としては最新のデータが欲しいのもわかる。
でも、費用は全て患者さんの負担というのが心にひっかかる。

 がんセンターの特異性からか、病室や病棟の患者さんは、中高年以上で、
かなり長く入院している感じの人が多い。Mariaは決して若くはない(;^^)が、
何か物珍しげな目で見られているのを感じる(注察妄想?(笑)。
同じ病室の患者さん達は、ずうっと病気・治療・副作用の話、医者や看護婦、
他の患者さんの噂話をしている。新参者の私のことも気になるようで、
ちらちらと、こちらをみる。
3泊4日しかいないのだし、あまりプライベートなことは話さずに、
目立たず処置を受けて、目立たず帰りたいなあ・・・と思う。視線にちょっと
気疲れして、妹へ電話。「みんな、病気の話ばっかりしてるんだよお〜〜」と
訴えると、「がんセンターだよ!当たり前じゃん!」とすぱっと言い捨てられる(笑)。
さすが現実的でしっかり者な妹だわ(;^^)。

 午後、オペ室の担当看護士さん、麻酔科医が次々問診にくる。問診や処置の内容は、
同室の患者さんが聞き耳をたてなくてもバレバレ。プライバシーはないのか?

 夕食をとって、午後9時からは絶飲食。考え事をしながら眠る。平静な気分がうれしい。
血を分けることになるお兄ちゃん、もうすぐだよ!待っていてください!

(11)骨髄採取:X-day

 ぐっすり眠れた。さあ、いよいよ骨髄採取。
"ドナーの輪のサイト"で噂の?睡眠導入剤、浣腸、剃毛、安定剤の筋肉注射などはなし。
T字帯は全国共通?購入済み(笑)。
時計と指輪をはずして、パンティ一枚になり、紙製の緑色の術衣の上に
大きなパジャマを羽織って、看護士さんと歩いてオペ室に向かう。
夫が来てくれ、「万が一の時に、子供達に言い残すことは?」と。なんで今頃言うのよ?
もっと前に議論したかったよ、と思いつつ、大丈夫、遺書を書いてあるから、
と答える(冷静すぎ?(笑)。オペ室の入り口でさよなら。
夫は今日からMariaの退院日まで出張。研修頑張ってね!

 オペ室に入る前に、パジャマを脱ぎ、パンティも脱ぐ。術衣一枚ね(^^)。
H先生とオペ室の担当看護士さんに会い、ほっとする。A病院からも採取お手伝いの
ドクターが来てくれるらしい。今日初めての看護士さんとオペ室へ。
「ご苦労様です。頭が下がります」と言われる。ドクターやコーディネーターさんは別として、
そんな風に言われたことってあまりなかったなあ、とちょっと驚く。

 オペ室では麻酔科医が準備中。「よろしくお願いします」と言われる。
ここで驚いたのだが、自分でよっこらしょ、と手術台に上がるのだ。
おお、ここまで能動性を求められるのか!素晴らしい(?)。
手術台への階段を登る、自分のはだしの足をMariaは一生忘れない。
「やっぱりヤダ!」と、Mariaが無意識に押し込めている
気弱な"影"(ユングの言うシャドウ?)が逃げていくのが見えた気がする(笑)。
手術台の上に横になると、何か無防備な感じ。すぐ体にタオルケットを
かけてくれる心使いがうれしい。早速、心電図、パルスオキシメーターなどがつけられる。
と、別の看護士さんが、大きなハサミでいきなりMariaの術衣の肩部分をジョキッと切る。
「大きなハサミでびっくりした?」。
ビックリしましたよお!(笑)。

 麻酔科医が左手首から点滴ラインをとる。鮮やかな手つき!でも、太い針で痛い。
太い血管で太いラインをとる必要性は理解できるけどね。そのそばから、
酸素が鼻もとにあてられるが、これは何の匂いもしない。「さあ、少しずつ麻酔が
入りますよ」と麻酔科医。いよいよ、と小さな胸騒ぎ。処置や痛みよりも、
麻酔のかかるこの"一瞬"だけが怖いなあと思っていた。気付くと、
担当看護士さんが点滴ラインの入ったMariaの左手を、優しく暖かな手で握っていてくれる。
そうするものなのだろうか?彼女の、Mariaへの気遣いをしつつも、真剣で、
責任と理性、冷静さのあるまなざしに打たれる。

 天井がゆらり、とする。「すこし、ぼんやりしてきました」と言うと、彼女が
優しい目での相づちと握った手で、答えてくれたことまで覚えている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 意識的には一瞬で、はっと目が覚める(麻酔薬恐るべし、夢さえ見なかった)。
回復室らしい。終わったんだ。H先生と担当看護士さんがいて、目が覚めた私に
気付いてくれる。骨髄液がとれたかどうか、気になって聞くと、無事とれて、
患者さんの主治医が持って、今飛行場に向かっているとのこと。向こうに到着次第、
移植が始まると。よかった。飛行機、無事に飛んでね!と思う。台風とかじゃなくってよかった。

 終わった、終わった、となんともいえず安心。少し声がかすれるのは、人工呼吸の
ため気管にカニューレが咽頭から入っていたせい。まだ麻酔が効いているせいか、
それほど痛みも感じない。尿カテの違和感はちょっとある。
担当看護士さんと少しおしゃべり。私が医者と知って、びっくりされている。

 麻酔からの覚醒は十分とのことので、この後病室へ戻る。
午後4時の飲水試験までは寝ていなくてはならないとのこと。
コーディネーターさんがいらして、ちょっとしたアンケートをとっていかれる。

 午後4時。飲水試験。大丈夫。尿カテも外してもらい(痛くはない)、ようやく自由の身。
点滴ラインは、抗生剤投与のためまだ必要。電話をしたいというと、車椅子登場。
え、大丈夫なのにー、と思うが、許されない(笑)。公衆電話へ行き、
無事終わったことを、実家の母と子供達、夫、友人に電話する。
採取部位も痛くない。この時点で「楽勝、楽勝」、と思っていたMariaは甘かった(笑)。
Mariaは痛みには強いという自負があるのだが、麻酔がきれて、夜になるにつれ、
だんだん痛みが増し、仰向けの姿勢が辛くなってきたのだ(でも、後日妹に
「あんなの、陣痛の500分の1の痛み」と話したら、大受けされた)。

(12)退院まで

 唐突だが、Mariaは骨が丈夫だ(笑)。骨密度の検査をした時、「運動を
たくさんしている人の骨!言うことなし!」と婦人科の先生から太鼓判をもらった。
平均以上なのだそうだ。だけど、そのせいで、もしかして、骨髄採取は
大変だったかもしれない。硬い骨に針を刺すのだしね。力を込めて針を刺す必要が
あったかもしれない。採取部位は結構腫れていて、それで痛みが長引いたのかも
しれない。入院中は、そろそろと歩かないと、骨に響く感じで痛かったし、
出血もやや長引いた。熱もちょっと出て、抗生剤が追加になった。他の人の体験談で、
すぐ退院した人がいたし、Mariaも患者さんの負担(Mariaの分の入院費)を
なるべく減らすために、早く退院したかったが、無理だったようだ。止血のために、
看護士さんから腰の傷口をぐいぐい押されて、痛かった(泣)し、最後は、
止血剤まで投与されてしまった。でもまあ、他に大きなトラブルはなく、
順調といえば順調に、予定通りにオペの翌々日に退院した。鉄剤と抗生物質、
あと、入浴する時に採取部位に貼る防水テープをもらった。

 退院の時は子供達と両親が来てくれ、少し早めに戻った夫も間に合って、荷物を運んでくれた。

 H先生からは、無事レシピエントさんに骨髄移植が行われたと聞いた。
よかった、あとは、無事生着してくれるのを祈るのみ。



<Nさんのこと>

 ここで、同室に入院されていたNさんのことを書こうと思う。
Nさんは60代の上品な感じの女性で、いつもニットの帽子をかぶっていた。
H先生が担当だったので、血液疾患だろうなあ、と思っていた。抗がん剤で
頭髪が抜けたのだろう。入院した日にさりげなく、わからないことがあったら
聞いてね、とおっしゃってくださったり、Mariaが手術日や翌日に腰をかばって
そろそろと歩いていると、さっと食器をさげてくださったりした。気丈に振舞って
いらしたが、Nさんも身体はお辛そうだった。日中は横になっていることが多かったし、
たぶん、感染防止のために、ベッドの上部はビニールのカーテンで覆われていた。
でも、快活におしゃべりされ、病気や治療のことも、いつもユーモアと明るさを
もって語ることが多くて、素敵な方だなあ、と思っていた。

 骨髄採取のオペの翌日、だいぶ体が楽になった時、少しだけ話をした。
実は、骨髄移植のドナーなんです、と話したら、驚いていらした。あとから、
「どれ位とったの?」と聞かれ、810mlと答えると、「そんなに!」と驚いて
涙ぐんでいらして、あ、言わなきゃよかった〜〜、と思った。

 退院の日、同室の方達にご挨拶をして部屋を出、Mariaがエレベーターの前で
待っている時、Nさんがそっと近付いてきて、「私、白血病なの」とささやいた。
やっぱり、と思わずうなづいて、Nさんの優しい目をみつめてしまった。
その後すぐにエレベーターが開いてMariaは中に入り、会釈してNさんとお別れした。

 退院後、H先生にあてて手紙を書いて、中にNさんへのお手紙も入れて、
渡してください、とお願いした。入院中の御礼と、私のドナーになることへの思いと、
涙ぐませてしまってごめんなさい、ということを伝えたかった。

 思いがけず、その後、Nさんからお返事がきた。内容はここには書けないけれど、
思っていた通りのまっすぐな魂のきれいな人だと思った。勇気をもって
病気に立ち向かっている姿の理由がわかった。"こころの友"をまた一人みつけた、
と思った(←一方的(笑)。
ご自宅の住所が書かれていたので、今度はご自宅あてにお返事を書いた。

(13)患者さんからのお手紙

 調整医師のI先生から「きちんと休んで回復してから、仕事を始めてください」
とアドバイスされたこともあり、退院後は一週間休みをとっていたが、
これはMariaにとっては正解だった。骨髄採取直後のヘモグロビンは、
8まで下がっていたそうで、少しずつ回復はしているけれど、注意は必要そうだ。
年休はいっぱい余っていたし、諸事情で休みやすい状況だったのはラッキーだった。
普段はそうはいかない。医者の登録が少ないのは、度々の通院や入院のために、
医師の仕事を休めないという理由ももちろんあるかと思う。

 採取後の検診、コーディネーターさんによる電話でのフォロー。
これらも順調に過ぎ、終わった。採取部の違和感や腫れは他の人より長引いたようだが、
生活上の支障はそれほどなかった。子供達と夫は私をいたわってくれ、
ちょっとしたお姫様気分(笑)。感謝、感謝。

 退院後、患者さんから、すぐに手紙をいただいた。御礼のことばとともに、
病気に直面して動揺されているのがリアルに伝わるお手紙だった。
なんと言っていいかわからないけれど、Mariaも返事を書く。祈って信じることしか
できない。お手紙はあと一回やりとりができる。吉報を待とうと思う。

 厚生労働大臣から感謝状もきた。これは税金の無駄。少なくともMariaにとっては
意味がない。この費用を患者さんのサポートに使ってほしい。これが必要な人もいるのだろうか?

(14)再発とDLI(ドナーリンパ球輸注)

 骨髄採取から、約4ヶ月後、再びコーディネーターさんから電話がきた。
「患者さんが再発して、DLIを希望されています」と。なんてこと!再発だなんて!
もちろんOKし、DLIのための診察や検査の日程を調整していただく。
DLIのための採血はA病院でしかできないとのこと。でも、仕方がない。
祈るような気持で日々を過ごす。が、再び電話。「患者さんの都合でDLIは中止に
なりました」。・・・・・・絶句してしまう。たぶんこれは、再発し、もうDLIを
施行することができないほどに、容態が悪化していることを示すことだと思う。

電話口であまりにMariaが黙りこくってしまったせいか、コーディネーターさんに、
「気を落とさないでくださいね」と言われる。もう、Mariaにできることはないのだ。
お手紙をもう一度、出そうか、と思うけれど、それこそ、何と書いていいかわからない。
情報はもうこれ以上は得られないのだし、最悪の事態についても苦しい想像をしているしかない。
宙ぶらりんな悲しみを、この後Mariaは抱えることになる。
これを書いている今もそうかもしれない。ドナーには、こういう苦しみもあるのだ、
と気づく。でも、それを忘れてはいけないのかもしれない。

(15)Nさんの死

 このことを誰かと共有したくなって、主治医だったH先生にお手紙を書いてしまう。
H先生からお返事。「移植もできたし、DLIを考えたということは、生着もしたのでしょう。
病状はよくなくても、治療を頑張ろうとする手段があったことはそれだけでも
救いとなるものです」と。ありがたいお言葉。そうだとよいのだけれど。

 しかし、なんと、Nさんが亡くなったという!呆然としてしまう。
「Nさんは、Mariaさんとお話ができて、とても慰められた、といっていました」と。
尚のこと、辛い。ご家族の悲しみはいかほどのことだろう。合掌。涙がでてくる。

 その一方で、H先生はおめでたとのこと。生があれば死があるということ。
それが現実。

注:医師には守秘義務があるので、通常、患者さんの情報を他人に話すことは
ありません。医療者同士は別です。これは、Mariaが医師であり、また、Aさんと
個人的な交流があったという判断のもと、教えてくれたことだと思います。

(16)最後に

 ここまで、読んでくださって、ありがとうございました。
重たい結末で、ドナー候補の方が、気をくじくのではないかとちょっと心配です。
でも、これは事実だし、"ドナーになる"ということには、こういう側面も
あるのではないかと思うのです。骨髄移植は残念ながら未だ完璧な治療法ではないし、
光があれば闇があるのですから。

 でも、このような、色々なことを差し引いても、今回、Mariaは、やはり貴重な
体験をさせていただいたと思います。見知らぬ遠くの誰かと命の絆(ここではHLA)
で繋がっていること、Mariaの命の一部が、一時でも、誰かの命を支えたということ、
このような凄いことをなしうる治療法や医療、バンクというシステムを、
人間がつくり支えているということ、それが発展しているということ、等を
肌で実感することができました。人類の良心と未来はそう捨てたものじゃない!(^^)。
コーディネーターさん、ドクター達、看護士さん達、そして、Nさんとの出会いも
かけがえのないものでした。家族には心配をかけてしまいましたが、
何か大切なものを感じることができたように思います。Mariaの入院や処置を
受けるということがこども達のトラウマになったら、という心配は、
彼等の力が吹き飛ばしてくれました。こども達もひとまわり、大きくなってくれた
ように思います(親バカです(笑)。こども達がもう少し大きくなってから、
白血病や骨髄移植についての詳しい説明をしようと思います。

 Mariaは精神科医なので、直接に命を救う仕事をしているわけではありません。
しかし、今回の貴重な体験を踏まえながら、これまで以上に、メンタルの部分で、
より深く真っすぐに、患者さんはもちろん、あらゆる人に向き合っていきたい、
自分の生きている限りベストを尽くしたい、課せられているはずの使命を果たしたい、
と思っています。
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