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骨髄ドナー体験記 (その1 適合通知)


◆1 それは、ひとつの大きな封筒からはじまった

day-175日。仕事から帰宅するとピンク色の大きな封筒が届いていた。
骨髄移植推進財団からのものだった。
既にドナー登録から4〜5年が経過しており、ともすれば登録していたことさえ忘れがちであったが、
その時は「もしや」と思った。
当時私は献血を定期的に行っており、その縁でYAHOOの掲示板「成分献血にはまっています」
というトピックスに出入りしていて、ちょうどその頃、骨髄を提供した人がいて話題に
なっていたからだ。
果たしてそれは、初期コーディネートのお知らせ。
意思確認のアンケート用紙とともに「骨髄提供者になられる方へのご説明書」が入っていた。
説明書に従い、このときから献血を自粛した。


◆2 家族の同意

ドナーになるためには大まかに言って三つの条件がある。
1.20歳以上であること
2.健康であると
3.家族の同意が得られていること

当然自分はこの条件を満たしていると思っていた。
しかし、初期コーディネートのお知らせが届いた当日、母が反対の意を表明したのだ。
4〜5年前、骨髄バンクに登録する時には特に反対していなかったのに。
理由は「骨髄提供者になられる方へのご説明書」に書かれていた事故例だ。
確率は低いとはいえ、ドナーの死亡事故や後遺症が報告されていた。

包み隠さず情報を公開するのは大切なことだが、逆にそれが母の不安をあおっているようだった。
それを見てからというもの、過去に下半身不随になったり、死亡した人がいるなどと言っている。
「〜ご説明書」にはそんな事例は記載されていないのに、母の思い込みだ。
とりあえず、骨髄移植の必要性を解ってもらうために、レンタルビデオで「プロジェクトX」の
骨髄バンク設立のものを借りてきて、母親に見せた。
納得はしていないが、同意すると言ってくれた。


◆3 禁パ禁煙

day-168日。コーディネーターさんが決まった。Mさんとおっしゃる。
そしてこの日から禁煙を開始した。
22歳から吸い始めてから約10年目、当時はセーラムスーパーライト(3mg)を3日で2箱くらい
のペースで吸っていた。一時は7mgのものを吸っていたのだが、たまに肺に違和感を覚える
ことがあった(職場の定期健診では異常なし)ので軽いタバコに変えていて、
禁煙を考えてはじめていた頃だった。
そこへドナーの話。
当然健康への意識も深まり、さらに「骨髄提供者になられる方へのご説明書」にも
「喫煙は控えください」と書かれていたので、いい機会なので禁煙を始めた。

禁煙。確かにはじめはつらかった。
ちょうど歓送迎会の時期。酒を飲みながら隣でぷかぷか吸っていると、
こちらまで吸いたくなってくる。禁煙パイポを2本噛み潰した。
そして、こちらは約15年間はまっていたパチンコもやめることにする。隣でタバコを
ぷかぷかされて、さらに当たりが来ないとなれば、もうイライラも最高潮!!
パチンコを止めようと思ってから禁断症状が出た。ある意味、禁煙よりつらかったかも。


◆4 海好き

「成分献血にはまっています」というトピックスのYAHOOの掲示板には骨髄バンクで活動されて
いる方がいた。その方に母親を説得するにはどうしたらいいか相談してみたところ、
”まずは説得ではなく、正しい情報を提供する事から始めましょう。
それには患者さんやドナーさんの体験談が有効かと存じます。”
という回答をいただき、「海好き」というサイトを紹介された。

このサイトは血液疾患に関する検索サイトで、患者さんのホームページだけでなく
医療機関や先輩ドナーのホームページまで検索できて非常に役立った。
そして、このサイトで患者さんとの交流がはじまるとは、そのときは考えてもいなかった。


◆5 大いなる誤解

海好きで調べていくうちに、何も知らないのは母だけでなく自分もだということに気づいた。
血液疾患にはいろいろなタイプがあることや、骨髄移植のメリット・デメリット、患者さんの
経済的負担などである。

誤解その1 白血病は不治の病で骨髄移植は特効薬

 これは、マンガの読みすぎか?白血病は薬などでは治らないと思っていた。
しかし、渡辺謙さんのように化学療法だけで寛解し、良好な予後を維持している方も大勢いる。
その反対に、移植をしても、再発をしてしまったり、移植の副作用(GHVD)で亡くなる方もいる
ことを知った。
患者さんは相当の覚悟で移植を決断する。そう、移植は「諸刃の剣」なのだ。

誤解その2 病状のよくない患者さんに移植をする

 骨髄移植は、白血病を発病し治療の決め手がない患者さんに対して行うものだと思っていた。
しかし、発病中で体力の弱っている時にはさらに体に負担がかかる移植は、
よっぽどでないとしないということを知った。まずは、化学療法で寛解へ持っていき、
再発の恐れがある場合に移植をする。(寛解というコトバも海好きで知った)
患者さんは寛解状態で、健康になったように感じられるときに、移植をするのだ。

誤解その3 ドナーの入院費は骨髄移植財団もち

 ドナーには経済的負担はほとんどない。交通費なども全額財団から出るし、逆に入院準備金が
支給されるくらいだ。だから、ドナーの入院費は骨髄移植推進財団もちだと思っていた。
しかし。ドナーの入院費用は患者さんもちだった。それに、ドナーが個室に入った時の
差額ベッド代までも患者負担だ。いくら健康保険が支給されるとはいえ、差額ベッド代までは
出ない。「地獄の沙汰も金次第」ではないが、移植を受けるには莫大な費用がかかる。



骨髄ドナー体験記 (その2 確認検査)


◆6 確認検査

day-120日。確認検査。この日初めてコディネーターさんとお会いする。
待ち合わせはるT大O病院の玄関ロビー。Mさんはバンクの封筒を持って立っていた。
初対面のご挨拶を済ませて、検査会場である輸血部へ。
この病院は増築に増築を重ねたのであろうか。多分一人では帰れないなと思うほどうねうねと
たどった先に待っていたのは、調整医師のN先生。まだ若い女性の先生であった。
N先生は本来小児科の医師だそうだが、骨髄移植の調整医師の役をされているのは、
本来業務ではなくボランティアなのだろうか。

ゴチャッとした事務室で問診が始まる。まず、始めにコーディネーターから聞かれたのが
ドナーになる動機(◆7)だった。ドナーの自発的意思による提供なのかの確認らしい。
続いて「骨髄提供者になられる方へのご説明書を」すべて読み合わせる形で、説明を受けた。
ところどころで質問(◆8)を受けていただいてそのつど適切な回答をいただいた。
すべての質疑が終わったところで、採血。
献血の予備検査より少ない量であった。


◆7 ドナーになる動機

私がドナーになろうと思ったのは、献血の延長であったからだ。ではなぜ献血を続けてきたか
というと、弱肉強食の自然界の中で、人間だけは死んだら灰になるだけだから。
たくさんの命を食べて生きている自分の、その肉体が誰かの命を支えることができるならと
思ったから。
今考えるとかなり自己満足の世界。当時は患者さんのことなど考えていなかった。


◆8 確認検査での主な質疑回答

 確認検査で質問した主な項目は以下のとおり。

・術後アンケートでドナーになったことを後悔した人がいるが、理由は医療事故か?
 →提供したことに満足している。やや満足している。後悔している。といった選択肢からの択一
 なので理由は不明である。

・提供時の医療事故率は、医療が進歩している分だけ、年毎に減ってきているか?
 →医療事故の率は大きく変わっていない。

・剃毛、浣腸は絶対行うのか?
 →施術する病院による

・尿管カテーテルは麻酔が効いているうちに抜いてもらえるのか?
 (尿カテは痛いと聞いたことがある)
 →麻酔の効き具合、循環器系内臓の働き具合を見るためにも麻酔が解けるまでは抜かない。

・ドナーの個室料金は患者の負担か?
 →理由が理由なだけに、個室料は病院がサービスしてくれる場合がある


◆9 検査通知

day-109日。骨髄バンクの検査結果が届く。「財団の基準では問題ありませんでした」とのこと。
細かい検査結果が入っていたが、それが何を意味するのか不明である。
(献血の通知でははがきの裏面に解説があるのだが)
CMV(サイトメガロウィルス) 4ミマン、HTLV−1(成人T細胞白血病ウィルス) 16ミマンなど
記載されているが、これって陰性なのか陽性なのかもわからない。
HIVだけ別紙(レシートが張ってある)で陰性の結果報告。HIVの結果献血では非通知だが、
骨髄移植では通知されるんだ。



骨髄ドナー体験記 (その3 最終同意)


◆10 選定保留

day-87日。コーディネーターMさんより連絡がある。適合検査の結果、私は補欠になったそうだ。
患者さんは最大5人まで同時にドナー候補者とコーディネートを進めることができる。
確認検査では遺伝子レベルまで適合度を調べ、一番合致する方とさらにコーディネートを進める。
私のコーディネートは、上位ドナー候補が最終同意、検査終了するまで保留だそうだ。
自分の中で気持ちが盛り上がってきていた頃だったので、ちょっと水を注された形になったが、
患者さんが元気になるならそれでもいい。
ただ献血の自粛だけは解除しようと思った。


◆11 最終候補者へ

day-81日。前回の保留連絡からわずか一週間。コーディネーターMさんより
最終候補者になったとの連絡が入る。第一候補のドナーが辞退したらしい。
このとき「うれしい」とか「やったー」といった感情は無かった。第一候補者がいたということは、
その人のほうが自分より白血球の型が近かったということだから。
ここで、私が不適になったら患者さんの適合条件がさらに悪くなってしまう。
最初、自己満足だったドナーになる動機が、ここで患者さんのほうへ向いた。


◆12最終同意前の打診

day-73日、採取日の問い合わせが来た。XX月XX日(金)。場所はK病院。
day−1(木)から入院でday3日(月)退院らしい。4泊5日が標準的なパターンだそうだ。

採取の手術室の仮押さえだとか、患者さんの無菌室の手配で必要なのはわかったが、
最終同意前のこの行為がドナーに不要なプレッシャーを与え、最終同意の判断に影響を
与えないか。
一応コーディネーターさんに抗議しつつ日程を了承した。


◆13 最終同意に向けて

最終同意面談の日程が決まったのだが、この件に関して母は依然として納得していない。
「ドナーにならなければ医療事故にあうことは絶対にない。自ら危険を冒すことはない。」
と言っている。
まあ、父は賛成してくれているので最終同意面談の家族の同意は問題ないのだが、
やはり母にも納得の上同意してもらいたいので、いろいろな説得をしてみた。
たとえば、「ドライブが趣味で交通事故にあう人がいるんだから、ドナーになって事故に
あってしまうのも同じだ。骨髄提供は趣味みたいなものだ。」と。
とうとう骨髄移植を趣味にしてしまった。
それでも納得しきれていない様子なので、最終同意に母も連れて行き説明を聞かせることにした。


◆14 最終同意面談

day-58日。T大O病院にて最終同意面談を行う。
今日は、弁護士の立会いもある。(弁護士先生遅刻してきたが。)
そして、N先生の都合が悪いというので、上司のO先生が調整に当たる。
前回と違い、研究棟のような別棟の一室で行われた。
確認検査時と同様に「骨髄提供者になられる方へのご説明書」を読み合わせる形で説明し、
そのつど質問を受け付けた。母は何も質問をしなかったので、代わりに父が以前からウチで
話していた医療事故について質問をした。
「骨髄移植は医療行為だから、事故は皆無にはならないけれど、そのために万全の体制を整えて
臨んでいます」と。さすがO先生はベテランの医師である。言葉を選びながらも慎重に質問に
答えてくれた。
しかし、母はそれでも納得いかない様子。最終的には、「来年生まれてくる初孫(ないのうの
兄の子)が病気だとしても、移植を受けちゃだめだよ。自分はあげない、でも人からは頂戴じゃ
虫が良すぎるよ。」との父の言葉で説得され、納得した母だった。
そして、同意文書に自分と親、調整医師が署名捺印をした。
これでもう、辞退はできない。移植までは自分ひとりの体ではないのだ。
事故や病気にも十分に気をつけなければ。

でもこのとき立会いの弁護士は「ご両親で同意の意見が分かれたらどうなるんでしょうね〜」なんて
のんきにコーディネーターに聞いていた。これでは何のための弁護士なんだかわからない。
頼りなく感じた。
そして、事前の打診のとおり、XX月XX日K病院での採取が確定した。



骨髄ドナー体験記 (その4 術前検診)


◆15 術前検診

day-44日。2度ほど足を運んだT医大O病院ではなく、骨髄採取病院であるK病院に
術前検診に行く。
予約は9:00。しかし、なかなか医師は現れず。
この待ち時間に、コーディネーターよりレシピエントの情報を教えてもらう。
患者さんは関東在住の30代の男性だそうである。これらは全部自分と同じであり驚く。
さらにHLAまで同じなので、まさに「兄弟」だ。そして、それは「明日はわが身」であるということ。
どこかの何かが少し違っていれば、彼がドナーで、僕が患者であった可能性だってある。

9:30になってやっと主治医のO先生が登場。検査が始まった。
簡単な問診のあと院内ツアー。尿検査、採血からはじめる。
採血室では、採血の方がカルテを見て「どの患者さんのドナーですか?」と聞かれたので
「バンクなのでわからないんですよ」と答えたらしきりに感心されてしまった。
ここの病院は骨髄移植の術例が多いのだが、血縁間の移植のほうが多いようである。

次に、レントゲン。胸と下腹部の撮影。骨髄は骨盤の骨からとるので当たり前であるが、
かなり下のほうまで撮影した(もう少し下だとちんちんだよ)。

さらに呼吸器の検査。鼻をクリップでつままれ、思いっきり息を吸い込んだ後、勢いよく吐き出す。
半年前まで喫煙していたのであまり自信はなかったのが、4,000ccを越えていてちょっとうれしい。

そして心電図。横になって安静にしている状態で計った後、「立ってください」といわれて、ベッドの上に立ち上がってしまった。「いや、床に・・・」。う〜ん恥ずかしくて心拍があがってしまったかも。

ひと通り検査が終了して、問診室に戻れば既に検査結果の一部が既にパソコンの画面上に表示されていた。
それを見て先生「脂肪肝の気があるね。お酒は良く飲むんでしょ?」。いままでそのような指摘を受けたことがなかったので、ちょっとオドロキ。
「いえ、あまり。。。寝酒に缶ビールを350ccほど」と答えたが、それを飲むと言うんだよ。
「間食は?」との問いに心当たりが。
「そういえば、禁煙してから口寂しくって、お菓子食べちゃってますね」
「禁煙は良いことだけど、急激に体重が増えるのは、心臓などの循環器にも良くないから、気をつけてください」とのこと。
レントゲンを見て「肺もきれいですね」の一言に安心した。禁煙したとはいえ10年ほどタバコを
すい続けていた上、肺の辺りに違和感を感じることも一時あったので、これはうれしかった。
しかし下半身のレントゲンで「宿便がありますね。」。毎朝快食快便である私には予想外の言葉。
う〜ん、手術前の浣腸決定だこりゃ。

そして、血圧を測定したのだが、なんと上が158で下が104!!普段はありえない数値。
深呼吸をして計り直しても、下が100を切らない。この数値であれば、ドナー不適格と言うことで、
コーディネート中止である。 普段こんなことが無いので、先生に献血手帳を見せ(毎回の血圧が
記載してある)、良くわからないが今日だけが特別であることを力説したところ、
白衣症候群(ホワイトシンドローム)かもしれないので、今日の検査結果でまだ結果が
出ていない項目の説明とあわせて、次週再検査をすることとなった。

また、入院の希望について、個室がいいか大部屋でいいか尋ねられたので、差額ベッド代について
聞いてみた。サービスで個室には入れるならとも思ったのだが、形式だけでも(払えない場合は
債権放棄)請求だけはさせていただくとのことだったので、大部屋にした。


◆16 再検査

day-38日。今日からは、コーディネーターさんの付き添いは無い。9:30からの再検査。
ちょっと早めであるが普段の通勤時と同じ8時前に家をでる。病院の最寄り駅について、
自分で緊張しているのがわかる。
今日、血圧がアウトなら、患者さんの移植が延期になる。そんなプレッシャーもあるのか
落ち着かない。少しでもリラックスしようと思い、喫茶店でコーヒーを飲む。

病院には15分くらい前に到着し受付を済ませて、ロービーで待つ。待ち時間に廊下の片隅に
おいてある自動血圧計で計ってみる。140/90。
ヤバイ。今日も高い。深呼吸をしたり、雑誌に目をやったりして、リラックスしようと試みる。

そんなこんなをしているうちに、名前を呼ばれ診察室に。先日の結果は血圧以外全て正常。
で、その懸案の血圧を測定すれば、やはり下が90ある。
大目に見てくれて一応、先生のOKがでた。(院内基準は90未満だそう({以下ではない))

次回は、自己血採血だ。骨髄採取で一時的に血液が減るので、事前に自分の血液を取っておき、
返血するのだそう。そのために増血剤(鉄材)が処方されることになり、薬が出るまで、ロビーで
待っていたのだが、そこで血圧を再び測ってみれば、なんと120/70。
自分のチキンハートさ加減にあきれ返り、笑いがこみ上げてきた。

この話を友人にして「俺って、デリケートだからさ」といえば「バリケードの間違いだろ」と
いわれてしまった。
それにしても、普段献血ルームで女性の看護師さんに血圧測られて正常なのに、男性の先生が
測ると急上昇するのって。。。


◆17 自己血採血1

day-21日。自己血採血である。
ヘモグロビンの量を増やすため、鉄材を呑み続けていたため、最近ウンチが黒い。
それはさておき、当初2回で計800ccを取る予定であったが、骨髄採取量を考慮して、
自己血は300cc×2となった。
献血感覚で採血したが、成分献血と違いあっという間に終了。後は問診のみ。


◆18 自己血採血2

day-14日。2回目の自己血採取。
献血であれば、400cc採血の後は3ヶ月間隔を空けなくてはならない。
200cc献血でも最低1ヶ月は間隔をあける必要がある。いくら増血剤を飲んでいるからといって、
そんなに採取しても大丈夫なのかと主治医に問えば、NO Ploblemと、鼻で笑われてしまった。
この日は、お髭のS医者から麻酔の説明を受ける。私は、全身麻酔のみで手術するものと
思っていたが、仙骨麻酔と言う局部麻酔もするとのこと。そして手術中の事故の原因で一番多い
のが麻酔であるらしい。説明を受けたと言う同意書に「麻酔は100%安全とは限りません」などと
書かれていて、ちょっと引いてしまった。まあ、そんなんでドナーを辞退することなど無いのだが。

これで、事前の通院は全て終了。あとは移植手術を待つばかりである。


◆19 入院まで

実はこのころ、私は別の会社に週二日のペースで派遣をされていた。もちろん本業のほうにも、
派遣先にもドナーのことは話してある。派遣先ではそれを承知でいろいろと日程を組んでくれたし、
本業のほうも周りの人たちが私の仕事を引き受けてくれた。
勤務上もドナー休暇制度があり、財団からの証明書をつけることによって全て有給で
休むことができた。感謝感謝である。



骨髄ドナー体験記 (その5 骨髄採取)

◆20 入院

day-1日。入院は採取前日の午前10時。
入院受付を済ませ、通された部屋は10階の210棟16号室、5人部屋だった。
空きベッドが一つあったので、実質4人。私のほかは皆患者さんのようだった。
(皆頭髪がなかった)
しばらくすると、担当となる看護師さん(篠原涼子似のUさん)が現れ、アンケートと体温計が
渡される。
アンケートは家族構成や、病歴、介護の要不要、食事の嗜好などを問うものであったが、
私は至って健康なので特に記入することもない。嫌いな食べ物に「干しぶどう」と書こうか迷ったが、
食事に出るはずもないので書かず。
ひと通りアンケートを書き終えた後、それに基づいて別室で面談。院内の説明やルールを
話してもらった。午前中は、このほかレントゲンをとっただけ。

午後にUさんが採血に来たので、左腕はとりにくいよとアドバイス(献血のときはいつも右腕)。
あと、副主治医のK女医が用紙を持参して5分ほどカンファレンス。用紙には、
またまた「手術により死にいたる場合もあります」なんて記載がある。
オイオイ、そんな紙にサインできるかー!ってサインしたけど。
それ以外は、ドナーと言うことでサービスしてもらったテレビカードでテレビを見たり、持参した本を
読んだり、院内を徘徊して過ごす。(ロビーに、私が挫折したのと同じ1000ピースの
ジグソーパズルが飾られていて苦笑い)
明日より3〜4日風呂へ入れないので、入浴するよう言われていたのだが、すっかり忘れていた。
当日、入院の前、朝風呂にはいっていたのだが、一応ササッと入る。

夕食は、6時ごろ。サラダの中に干しぶどうが入っていてびっくり。アンケートに書いておけば
よかったと後悔する。鉄分補給のためと思って我慢して食べたが、全体的にちょっと量が少なく
感じた。売店でパンでも買ってもても良かったのだが、寝ているだけでカロリーを消費していない
のでやめておく。

夜の8時ごろ、お髭の麻酔医S先生が登場。夜遅くまでご苦労様です。
点滴ルートを確保するため、左腕に油性マジックで×印を書かれ、その上から貼る麻酔薬をされる。
9時に消灯なのだが、TVを見ていて、10頃寝た。


◆21 骨髄採取

day0日。採取当日。
朝6時ごろ目が覚める、今朝は朝食無しなので腸が動かず便意は無い。7:00ごろ夜勤の看護師
から生まれて初めての浣腸を受ける。大腸に生暖かいモノが入っていくような感覚はあった。
すぐに便意をもよおしたのだが、「なるべくガマンするように」との指令を受けていたので、
トイレの中でギリギリまで我慢する。

もう我慢の限界!となったところで全開大放出。全部出きった後にも腹がいたい。
そう、下痢をしたときに腹が痛くなる、あの感じ。10分くらいトイレに篭ってしまった。
同室の人ゴメンナサイ。

手術は9:00からだが、8:00頃にストレッチャーがくる。私は手術着に着替える。
下はふんどし(T字帯)一丁である。(どうせはずされるのだろうが・・・)
手術室に運ばれるまでの間、浣腸をしてくれた夜勤の看護師さんと歓談。「手術の前に、
麻酔が聞いたかどうか確かめるのに、1から10まで数を数えさせるから、もし2まで数えられたら
ほめてあげる」といわれたので、その気になる。
9:00前、いよいよ出発。担当看護師に交代となり、Uさんがストレッチャーを押す。
手術室は地下なので、ストレッチャー用のエレベーターが来るまでホールで待つ。手術は9:00
からが多いのでいつもこの時間は、エレベーターはラッシュだそうだ。私はドナーだから健康体。
一般のエレベーターで地下にいっても良かったんだけど、ストレッチャーの上で寝たまま待つ。
ふと天井を見上げれば、蛍光灯が間引きされている。ココでも経費削減なのね。
ようやく来たエレベーターも相乗りであったが、ようやく地下へ。
ここからは手術担当の看護師にバトンタッチ。

地下の手術フロアは冷えていた。
病原菌の繁殖を抑えるためなのか、手術が肉体労働のためなのかわからないが寒い。
手術室に入れば、リラックスさせるためかクラシック音楽が流れている。
いよいよ手術開始である。麻酔医が左腕の×印に麻酔用の針をさす。まったく痛くない。
ちょっとボーっとしてきたところで、マスクをかぶせられる。
足が冷たいですと言ったところまでは覚えているが、あっという間に意識を失う。
数を数えるどころでは無かった。

次に気がつけば、そこはもう手術室の外。地下の廊下であった。
主治医に「何cc採りましたか?」と聞けば1,000ccとのこと。半分、朦朧としながらも、
ベッドに載せられ自室に戻った。


◆22 術後

手術が終わったのは12時前であった。全身麻酔が切れるのは案外早い。1時には完全に意識が
戻っていたのだが、局部麻酔が効いているため下半身はまったく動かない。
左腕には点滴が刺さっており、酸素マスクもしていた。

ただ、この酸素マスクが逆に息苦しかったので、Uさんに頼んではずしてもらう。(もちろん飽和
酸素濃度を計ったあと)。のどが渇いていたのでついでに水を飲ませてもらう。う〜ん、殿様気分。

とにかく、下半身が動かず、テレビを見られる体制も取れないので、本をとってもらってそれを
読みふける。そうこうしているうちに、足に痺れを感じてくる。ちょうど長時間正座をして感覚が
なくなった足先がしびれるようなあの感覚。それと同時に空腹も感じてきた。
今日は、朝食・昼食と2食抜きだから当たり前か。
16時過ぎに、コーディネーターさんが来る。私の骨髄液が無事に患者さんの元に届いたそうだ。
一安心である。

体調を聞かれたので、今の下半身の状態を話すと、ひどく心配そうにしていた。下半身不随に
なっちゃったと思ったのかな?
おなかがすいていると言うと、売店で何か買ってきてくれるというが、あと2時間もすれば夕食
なので、遠慮した。

18:00夕食前には、足も動かせるくらいまで麻酔が切れてきた。麻酔が切れると
今まで感じなかった下半身の違和感を覚えた。尿道カテーテルである。

主治医との相談で、感覚が戻ってきたなら尿意も感じるであろうとのことで、はずすことにする。
結構奥まで入っていたらしく、抜くときには妙な感じがした。なんか自分のモノでは無いみたい。
まだ麻酔が残っているのかも。
それはそうとして、Uさんにもちんちん見られた。お粗末さまでした。
麻酔も切れれば、点滴が入っていることを除いては元の状態に戻っていた。夕食も全部平らげ、
テレビを見ていたのだが、ふと立ち上がった瞬間に、一瞬ブラックアウト。
調子に乗っていた。やはりヘモグロビンが少ないようだ。


◆23 げっぷ

移植後の夜、カテーテルを抜いてから始めてのお手洗いでのこと。
カテーテルで尿道が傷ついたのか、おちんちんがしみた。
しみるから、「ちょろちょろ」としかだせない。
でも、「ちょろちょろ」だと残尿感が。
痛くっても、最後だけは勢い良く!!
その瞬間、おちんちんが、げっぷした。
「げぼっ」って音だった。
多分、カテーテルから尿管に逆流した空気が出ただけなんだけど、
笑いの”つぼ”にはまってしまい、トイレの中で点滴のスタンドをカタカタ鳴らせながらしばらく
肩震わせて笑ってしまった。
あまりにおかしくって、おちんちんの痛みなんかどっか飛んでいってしまったゼ。


◆24 翌日

day1日。一日安静にしている。抗生物質と生理食塩水を交互に点滴する以外は何もすることは
無い。Uさんが採血しに来たが、ずっと右腕で採血していたので、今日は左腕から。
一発で血管当てたからほめてあげた。
あとは日がな一日テレビを見たり、本を読んだりパズルをしたり。

ただ、土曜日だと言うのに、主治医が傷口の確認に来た。ホント、医者っていつ休んで
いるんだろう?「綺麗な傷口ですね。」といわれたが、採取痕をほめられてもなぁ。
さて、こんなんだからドナーになったと言う実感があまりない。しかし夕食後に見ていたテレビで
偶然にも政府広報、夏目雅子さんを題材にしたCMを目にし、「移植を希望する約1,000人の方が
白血球の型が合わず移植を受けられません」と言うメッセージを見て、かすかな腰の痛みとともに
「俺も1000人のうちの誰かのドナーになったんだ」という実感が湧いてきた。


◆25 退院

day2日。前日のうちに点滴もはずれ、傷口も順調とのことなので、あっという間の退院となる。
あさ、9:00コーディネーターさんが見え、48時間後アンケートに答えた。
それにしてもコーディネーターさんも日曜の朝っぱらから、ご苦労様である。
することが無いので昼食をとって帰宅した。


◆26 術後検診

day14日。手術から二週間、術後検診を行った。既に腰に痛みは無い。
採血と問診と、傷口の確認だけである。
採血室のおばちゃんにチョット意地悪をして左腕で取らせたら、案の定、血管をはずした。
毎日、何十、何百も取っている採血室のセンセイがである。針を刺したままグリグリやって
ようやく、ピューって血が出てきた。その血液の数値はまったく異常なしとのこと。これで私の
全ての行程は終了である。
しかし、患者さんは闘いの真っ只中。ちゃんと正着してくれたのか、
GHVDに悩まされていないか?感染症などにかかっていないか?
がんばれ!私の兄弟。


◆27 感謝状

ある日、筒状の配達物が届いた。来ると知っていたのであまり驚かなかったが、
厚生労働大臣名の感謝状である。わざわざ額を購入し、飾ってある。


◆28 3ヶ月アンケート

このころになると、ドナーになったことすらすっかり忘れてしまうときがある。
そんな時、3ヶ月アンケートが届いた。
また提供したいかの問いには、何の迷いも無く、「はい」に丸をつけた。



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