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ドナー体験記

骨髄移植ドナーになりました。〜骨髄移植体験記〜
2007年の春、ドナーとして骨髄提供をしました。

どこかの誰かの役に立つのなら…。
そんな思いから登録した「骨髄バンク」を経て、骨髄移植を体験しました。

自分がドナーとなってみて初めて理解したこともたくさんありました。
そして、周りの人たちと話をしてみて、
「あぁ、もっと多くの人に骨髄移植について理解が深まればいいな」
と感じました。
そんな思いから、骨髄移植体験をホームページに載せました。

このホームページは、管理人totemが、ドナー候補になってから
実際に骨髄を提供するまでの記録です。
骨髄移植に関して、その日その日にあった出来事を書き留めて、アップしたものです。
その時々の思いで書いてあるので、正確さに欠ける部分もあるかもしれません。
拙い記録ですが、読んだ方が少しでも骨髄移植に興味を持っていただければ、
また、これから骨髄移植を受ける方にとって
少しでも情報源となっていただければと思っています。

適合の通知

 (2006年11月4日)

連休2日目。家族で外出して帰宅すると、ちょうど郵便配達員が
家のポストに手紙を入れるところだった。
「これは折り曲げてはいけないようだから」と車から降りた自分に直接渡されたのは、
A4用紙がそのまま入るサイズの封筒。
表書きには朱書きで「重要」「親展」のほかに、
「骨髄移植」「初期コーディネート」の文字も。

「ついに来たかー」という思いと「意外に早かったなー」という思いが入り混じった。
でも、ものすごくワクワクする。人の役に立てるんだー!!!

早速、郵便物を開封し中を確かめました。やっぱりそう。
骨髄移植のドナー候補者に選ばれたとのこと。

自分の気持ちは受ける気でいっぱい。
同時に、自分や妻の仕事に都合がつくか不安がよぎった。

ただ、書類をよく読んでみると、確認検査まで早くても2週間、
遅い場合は10週間程かかり、確認検査の結果が出るまで
1〜3ヶ月かかることがわかってきた。
まだまだ先の話のようだ。

また、並行して最大5人までドナーの選定がされているそう。
「候補者」ってこういうことか。
もしかしたら、自分は提供者にならないのかもしれない。

妻には話したものの、友人らに話すのは、自分が第一の候補として選ばれてからでも
いいかなとも思い、こみ上げる気持ちをしばらく胸にしまうことにした。

同封されていた問診票に記入しながら、
なんて自分は良い身体なのだろうとつくづく思った。
100回以上してきた献血もそうだけど、「できる身体」に感謝。親に感謝。
現在に感謝。すごくそう思う。

書類を読んでも、腰に針を刺す痛さにあまり怖さは感じない。
献血のときは今でもまだ自分の腕に針が刺さる瞬間や刺さっている状態を
怖くて見ることができないのに、刺されること自体は大丈夫。
それ以上に、尿道カテーテルや気管支へ管を通すことの方が想像しただけで痛そう。

封筒に入っていた骨髄移植の説明書きは2度じっくり読んで問診票等を記入し、
翌日、早速記入した問診票を送付した。

特別休暇

(11月6日)

うちの事務所では骨髄移植に際して特別休暇を使うことができる。ありがたいことだ。
人事課に聞いてみると、入院中のほか検査等、関係あるものは休暇の対象になること。
特別休暇の様式を見ると、出産の休暇や育児休暇、介護休暇など
分けて書かれていたけど、「骨髄移植」はなく「その他」での記入だった。

様式も何日から何日まで何日間という記入のしかたなので、
これだと入院以外の数回の検査は書きにくいなぁ。
最初の確認検査の時点で入院日が決まっているわけでもないし、
ましてや自分が本当にドナーになるかもわからないし、書けないわ。
面倒なので、結局ドナーに選ばれるまで年次休暇で対応することにした。

職場の上司にはその後、事情を説明した。
上司から「最初のドナー登録って骨髄とるの?」と聞かれた。
人事課もそうだけど、骨髄バンク、骨髄移植の名前は聞いたことがあっても、
なかなかどのようなものなのかは浸透していないみたい。
もっと骨髄バンクについて発信していかないと理解されないんじゃないかな。

ドナー体験記

(11月7日)

朝からインターネット。「骨髄移植」で検索をかけて体験記を読んでみた。
ドナー側のHPばかり。まだ患者の状態を書かれたHPは見ようとは思わなかった。

今、自分の中にどんどんドナーの体験が入り込んできている。
自分がドナー候補者の1人となったことで、すべてが「自分なら…」と
置き換えて考えているようだ。
「よくわからんけど、何かしらできれば」というドナー登録のときの思いとは異なる、
我が身のこととして、たくさんの体験が注がれているようだ。

ようやく、真正面とはまだ言えないかもしれないけど、
面と向かって取り組む心構えができ始めたのかなと思う。
そんな心の状態で患者の体験を読んでしまうと
それこそ何も手につかないような気がした。

ドナー体験を読んでみると、入院中はそれこそ簡単に進んでいきそうな感じだった。
麻酔をうたれ、数秒で意識がなくなり、気づいたときにはすべて終わっている。
それだけ。
術後の腰、尿道、喉の痛みはあるようだけど、それだけ。

簡単なことじゃないか。
健康な人の身体に穴をあける、病気でもないのに入院したり
数回通院したりしなければならない。
見た目にいいことはないかもしれないから、検査や同意など
多くの手続きを踏まなければならず、仰々しいものになっているのじゃないかな。
でもそれでだれかが生きる手立てになるのなら、とてもすばらしいことだと思う。

これはもっともっと周知すべき。
もちろん特定されるようなことは言えない制約はあるけど。でも、広めないと広まらない。

コーディネーター決定

(11月9日)

仕事を終え家に帰ると財団からの封筒があった。
薄っぺたるい封筒。中止になったとか?頭によぎった。
早速封を開けてみると、担当コーティネーターが決まったとのお知らせだった。
近々コーディネーターさんから連絡が入るとのこと。

そして、翌日に早速コーディネーターさんから職場に電話がかかった。
内容は確認検査の日程調整とのこと。
まってましたー!
場所は調整医師のいるK病院。
日をおさえるのに1週間程必要なので、20日の週以降での調整となった。
こちらの都合の悪い日を先に言い、あとはお任せにした。

先の連絡票にインフルエンザを受ける予定と書いた。
インフルエンザの注射は、検査から2日空けてほしいとのこと。
いつインフルエンザを受けるかは決めていないので、確認検査の日程優先にした。

また、子どもたちと図書館へ行き、自分も本を借りた。
『骨髄ドナーに選ばれちゃいました』石野鉄・著
インターネット掲示板2チャンネルに04年春に書き込まれた内容のもの。
時系列で書かれているのでわかりやすい。一気に読んでしまった。

『骨髄ドナーに選ばれちゃいました』

親への報告

(11月12日)

骨髄移植の候補になっていることを母親に話した。
「なんで候補になるん?」
「登録したから」
「そんなん登録するしやろ〜」

まぁ、反対はされなかった。
腎臓に針を刺すの?と何か勘違いしているようだった。
自己血を確保することなど、知っていることも多いみたい。
それなりに理解はしてくれていると思う。
最終候補になったらもう1度説明はしよう。

登録のきっかけ

(11月12日)

仕事で地域のフォーラムに出席した。
昨年のこのフォーラムで丹後まみこさんの講演を聴いたことが、
自分のドナー登録の後押しだった。
骨髄ドナーに興味はあったものの、この一押しで登録したようなものだった。
そして1年も経たないうちに候補者に。

友人にドナー候補になったことを明かしたときによく言われたのが
「家族の誰かに骨髄移植が必要なの?」という言葉だった。
家族や友人に病気になった人がいて初めてドナー登録するものと考えられているのかな?
いつか、どこかの、だれかのためにという気持ちだけで十分だと思うけどなぁ。
もっともっと多くの人に理解が広まってほしい。

それから、「骨髄移植って痛いんじゃないの?」とも聞かれる。
この問いは、ただのイメージだけかと思っていた。
しかし、上司と話をしていた中で、そうではないことがわかった。
10年程前に病気になった時に腰から骨髄を採ったそうだ。
そのときの痛さを覚えていたとのこと。
骨髄移植は全身麻酔でするんですよ〜との答えに、
それなら痛くはないね、と話は終わったのだけど、
やっぱりいろいろなものがイメージされているんだな。

そういえばプロジェクトXでも、骨髄移植の手術は
痛そうなイメージを連想させる映像だった。
当時は実際そうだったのかもしれないけど。

『命のアサガオ永遠に』 『いのちのあさがお』

確認検査日まで

(11月13日)

今日から1週間の始まり。
午前中にコーディネーターさんから電話があった。
確認検査の日時が決まったとのこと。
11月28日(火)13:00にK病院。
あれれ、そんなに遅くても大丈夫なの?と聞いたが、
病院の都合でその日になったそうだ。
患者は大丈夫なのかな。入り口で骨髄バンクの封筒を持って待ってますとのこと。
お世話さまです。

「検査までに風邪など引いたら教えてくださいね。」
自分としてもバッチリの体調でのぞみたいな。
この健康な骨髄をどうぞって出せるといいなぁ。
それにしても、いろいろと配慮しなければならないコーディネーターさんって大変だ。

数日して、鼻づまりとのどのイガイガが始まった。
風邪の初期症状。薬は飲んでいいのかな?
とりあえず、放っておくつもりだけど、うがい薬でうがいをした。
これから移植までずっとこんな風に身体に気を配っていかなければいけないのかな。
本当はこうやっていくことが当たり前なのだろうけど。

確認検査

(11月28日)

確認検査の日。今日からスタートになるか、今日で終了になるか、どっちだろう?
午後1時の待ち合わせに10分前に到着。入口でコーディネーターさんを発見!
てきぱき・ハキハキしていそう。すぐに会話ができる雰囲気っていいな。
2人で相談室のようなところへ。調整医師が既に待っていた。
簡単にあいさつを済ませ、時間前だったけどすぐに本題に入った。

「説明書」に沿ってのコーディネーターさんからの話だ。
確認検査での血液検査の結果は1〜2週間で届き、
最終同意に進むかどうかの連絡は2〜3週間で届くそう。
早い場合もあるけど、今回の件は急ぐという指定はないみたい。
遅くても2ヶ月後までには連絡が来るらしい。

スケジュールのうち骨髄採取の日は患者優先で決められる。
一応、仕事が立て込む年度始めにかからないようにと伝えた。
その他の、健康診断や採血等は多少ずれてもいいらしい。

また、自分の住んでいる地域近隣の骨髄採取可能な病院は
3つとも採取日は木曜日が原則だそうだ。
ということは、水曜日入院、木曜日手術、土曜日退院。
どこがいいですか〜と聞かれたので、どこでもいいけど…と言いながら
いろいろとこちらの小言を聞いてもらい、採取する場合の病院を2つに絞った。
こんなのもう聞いてもいいの?

骨髄採取は患者の体重で決まる。15ml/kgだそうだ。
必要以上多くも採らないし、負担にならないようにするという。
骨髄は太い骨ならどこでも作られている。
年をとってくるとだんだん作られなくなってくるみたい。
そして、腸骨はよく作られている場所らしい。
腸骨には2〜6ヶ所の皮膚上の穴からそれぞれ数十ヶ所刺しなおしてとる。

「ボールペンの芯くらいの針でそれだけ刺して骨がボロボロにならないのですか?」
と一番疑問に思っていることを聞いてみた。
「骨にはすぐに埋めていく力があるので大丈夫です」との回答。
説明書には書いてあるけど、やっぱり生の声で教えてもらえるとありがたい。

針が折れる事故についても聞いてみた。過去にも事例はある。
ただ、昔は何度も使い勤続疲労をおこして折れることがあったらしい。
今は使い捨ての針なので常に新品でそういうことはないみたい。

HLAの型についても聞いてみた。親子ではやっぱり合致することは少ない。
配偶者から1対もらうしね。兄弟間では合うことは多い。
それでも確立の上では4分の1。
血液型は子どもと大人で何かしら違うらしい。
本題ではなかったので詳しくは聞かなかったけど、
「子どもの血液」が徐々に「大人の血液」に変わっていくそうだ。
しかし、HLAは赤ちゃんとなったときから決まって不動だという。
もうちょっと聞いてもいいかなと思ったが…。

患者の「前処置」についても話をしてもらった。
ドナーは「手術」という感じだが、患者は骨髄を静脈に点滴するだけなので、
そんなに大変ではないみたい。
しかし、その「前処置」で体内の白血球をなくしていくので
とても大変な状態になるらしい。
ただ現代の医学では、白血球は「全く0」にしなくてもいいみたい。
それでもつらい状況には変わりはないだろうけど。

採取中の気管への管挿入と導尿についても説明をうけた。
まぁ、全麻中なのでどうとも思わないが。
骨髄移植ではない手術では麻酔をせずに管挿入をするみたい。患者は痛そう。
導尿は全麻中にとってしまう場合と後からの場合とあるらしい。
できればとってほしいなぁ。でもあとの小便がたいへんか。

2回移植した人は200人もいるそうだ。選ばれやすい人っているのかな。
できれば何回でも提供したいな。

血液検査の段階で血圧を測った。最初に152を出してしまった。
2回目で136/92。下限がちょっとひっかかった。
できれば90を下回りたかったみたい。
腕を換えてやってみたが高いので、結局136/92を採用することになった。
高めの血圧にちょっとショック。

帰り際にコーディネーターさんに家族の同意のことを聞かれた。
「妻は一緒に登録しようと思っていたんですよ〜。
でも、ぼくが骨髄移植してみての感想を聞いてから登録するみたい」
「母はダメとは言っていない。それなりに詳しいようだ」
とそのままを話した。やっぱりコーディネーターさんはその辺が気になるみたい。

とりあえず、1週間後の結果待ちだ。

骨髄バンクニュース

(12月8日)

骨髄バンクのニュースが届いた。1年に2回発行されるもの。
今回のニュースの特集は「確認検査」。
「適合の通知が来ても慌てないために」という副題がついている。
通知が届いてソノ気になる自分のような人が多いからかな。
骨髄提供者のコーディネート状況も数値になっていた。
平成18年9月末現在でドナー登録者の累計は328,792人。
確認検査済みドナー数は44,120人。
確認検査に進んだドナーの割合は約13.4%になる。
しかし、移植実施数は7,738例で全体の約2.4%になる。
自分の位置は13.4%のなか。しかし、2.4%に進むことができるどうか。
まだまだ候補の1人。
テンションは高く持たず、意欲は失わず。なんだかとても中途半端な立場に感じる。
早く選定の通知がこないかな〜。

骨髄バンクニュース

検査結果

(12月9日)

親展で「血液一般検査のお知らせ」が届いた。
ドキドキしながら開封してみた。何かしらひっかかってなければいけど…。
1枚目の書類に結果が載っていた。「財団の基準では問題ありませんでした」にチェック。
ホッと一安心。2枚目と3枚目に細かい検査の結果が載っていた。
財団の基準は緩いと聞いていたので、念のため過去の献血の結果と照合もしてみた。
特に問題はなし。適正な範囲内に収まっていた。
あとは最終に残るかどうかの結果を待つのみ!

ドナーになる!

(12月14日)

仕事を終え家に帰ると財団から封書が届いていた。
選ばれたかどうかの結果以外に考えられない。
だれかの体験記で、ドナーに選ばれたという連絡が速達で届いたとあった。
うちに来た封書は親展だけど速達ではない。
コーディネーターさんからも連絡はないし。

ありゃ、外れたか…と思いながら、封を開け恐る恐る見てみた。
文書には「ドナー選定のお知らせ」「最終的なドナー候補者に選ばれました」の文字が!
改めて文書を読み直しながら、嬉しさがこみ上げてきた。
どこの誰かわからないけど患者さんのための手伝いができる!という思いでいっぱいだ。

それから、「現時点の患者さんの骨髄移植希望時期」として
「2007年×月×旬」ともあった。
ここが一番自分の予定としてはありがたい時期だったので、ありがたかった。
気分は移植にまっしぐら。

このあとお通夜にいかなければならず、妻が帰宅する前に出かけた。
タイミングがあるというか、ドナー選定の日にお通夜の場にいて、
生と死なんていろんなところであるんだなと感じた。

家に帰ってみると、妻はもうドナー選定のお知らせを読んでいた。
びっくりさせようと思っていたのに…。
それから、コーディネーターさんからも電話があったということ。
9時過ぎにコーディネーターさんから再度電話があった。

ドナーに選ばれましたという旨の連絡と簡単な意思確認。
「もちろん移植をお願いします!」
話は最終同意の日についてとなった。
こちらの希望として12月の25日の週を挙げ、26日で内定した。
時間も午前の希望が通った。話が早い!

次に手術の日について。
木曜日手術というのはすでに聞いていたので、どの週にするかで話を進めた。
患者の第一希望は3月×日、第二がその翌週、第三がその前週だった。
これは第一希望の3月×日で内定。
またまた話が早い!

病院は先に希望していたC病院とK病院のうち、
時期的にC病院が混むとのことでK病院になりそうだ。
あとはコーディネーターさんと調整医師にお任せだ。
いよいよ動き出したぞ。

周囲への報告

(12月15日)

朝、実家により母親に最終候補となったことを告げた。
母親は特に反対するわけではないが、全身麻酔について不安があるという。
母親もK病院で全身麻酔を受けたが、麻酔から覚めるのが遅かったという。
母親の妹も全身麻酔で覚めるのが遅かったというし、母親の父も何かしらあったみたい。
母方はきっと麻酔が身体に合わないのだろうということ。
なので、全身麻酔は受けてほしくないようだ。
かといって部分麻酔にするわけにもいかないし。
医師の対応に任せるしかないんだろうな。
全身麻酔のことは今度の最終同意のときに聞いておこう。

上司や他の職員にも最終候補になったことを報告。
がんばって!の声をかけてもらった。
少しずつ、骨髄移植を受けることが周りに広まっている。
周知もどんどんしていった方がいいのだろうと思う。

友人らの集まりの席でも骨髄移植を受けることを発表した。
ある人から「痛いやろ〜?、セキズイからとるんやろ?」と一言。
その人は北海道の仲間から以前バンク登録の呼びかけを受けたと言っていたが、
全然わかっていないなぁ。
ごちゃまぜの認識が多くの人にあるのだなと改めて感じた。

日程変更

(12月17日)

コーディネーターさんから電話がかかった。
調整医師の都合で最終同意の時間が午後になるとのこと。
ということで26日の午後1時に決定。みんな忙しいわ。
翌日、コーディネーターさんから再度電話がかかった。
患者側の希望で手術日を変更できないかとのこと。患者側の希望は3月×日。
当初の日程より2週間も遅くなる。
自分のスケジュールを確認し、その場ではいいですよ、と言ったものの、
家族にも聞かなきゃということに後で気づいた。

帰宅して妻に日程確認。やはり3月後半になると忙しくなるそう。
遅くても×日にならないか…ということなので、
早速コーディネーターさんに電話して、日程の都合がつかないか話した。
この辺、コーディネーターさんの本来の仕事なのだろうけど、大変やな。

後日、コーディネーターさんと電話で手術日の調整をした。
移植の日は患者の施設の都合でどうしても3月×日移植になるということ。
「日程が都合つかないようなら辞退してもいいのですよ」
「最終同意の日を延ばしましょうか」
と言っていただいたが、なんとかやりきるしかないのだろうな。
最終同意は予定通りでお願いします、と話した。妻に相談しなきゃ。

それにしても骨髄移植の日はもう少し融通がきかないものなのだろうか。
確認検査のときの話では、患者側は骨髄液を点滴するだけ、
その前の「前処置」が大変と調整医師は話していた。
外国に空輸することもあるのだから、同時進行じゃなくても
いいのじゃないか…と考えた。
こちらの移植の日は〇月〇日、患者側の移植の日は〇月△日と日程に差が
あってもよさそうだが。
まぁ、ぼくら(ドナー)の要望ばかり聞いてもらえず、
病院等の都合が優先されるのだろうけど。

最終同意

(12月26日)

最終同意の日。
妻と1時ちょっと前にK病院につくと
既にコーディネーターさんと立会人の方が待っていた。
簡単に紹介をすませ相談室のようなところへ。調整医師も既にいた。
早速最終同意の始まり。前回の確認検査のときと同じような話だ。
最初にコーディネーターさんから妻に意思の確認があった。
妻の返答は「本人が決めているので協力したい」。ありがたいこと。
何事もサポートがあってできる。
コーディネーターさんからは身内の反応も聞かれた。
自分の母、母の妹、母の父がそれぞれ全身麻酔の経験があり、
それぞれ何かしら麻酔の覚めが悪かったことを話し、その点が心配されている旨を話した。

とにもかくにも説明も順調に進んだ。
妻からの質問は特になかったが、自分の方から手術にあたってのことをいくつか聞いた。
後から立会人とも話したが、ドナーになる人は健康な人が大半なので
入院や手術、全身麻酔の経験がない方が多く、病院として当たり前のことでも
初の経験で不安があるでしょう、と言っていた。
まったくそのとおりだ。

説明が終わって立会人から自分と妻それぞれに意思の確認。
「移植をお願いします」と答えた。
そして同意書にサイン。
体験記にあるような「本当にいいのですか?」的なことは聞かれず、
淡々とというか順当に流れているような気がした。
サインを終えて、コーディネーターさん、調整医師、立会人から何度も下げられた。
恐縮してしまう。

今回は手術の日、手術の場所も決まっている。3月X日。K病院。
目標がはっきりしてきた。

患者さん、まだ月日はかかるけど、待っててねー。

数日後、財団から大きめの封筒が届いた。内容は骨髄採取日程の書類。
既に聞いているとおりの採取予定日3月X日と入退院日がX−1日、X+2日、
採取施設はK病院だ。
採取担当医師は、T先生。骨髄移植は専門らしい。ありがたいことだ。

その他、小冊子「骨髄採取前にお願いしたいこと」10ページほどの注意書きだ。
とり合えず読んだが、特に新鮮な情報ではないような気がした。
それから、切手の貼ってある封筒と「交通費のご請求」、請求書諸々。
これまで2回病院に行ったときにはコーディネーターさんから頂いていたのだが、
何かしら書類を作らなきゃいけないのかな。

健康診断

(2007年1月29日)

1日の特別休暇をとり健康診断に臨んだ。
9時30分の約束時間に5分前で到着。
コーディネーターさんは初診受付の手続きをしてくれていた。
健康保険証を提示し、血液内科に向かった。

早速、身長と体重を計り、しばらく待つと担当のT先生の診察室に通された。
先に検査をひと通り受けてもらって、最後にこちらで問診、説明しましょう
とのことで順番に診断に向かった。
ちょっとした病院内ツアーのようだ。

まずはレントゲン。こちらはあっという間に終了。
続いて心電図とスパイログラフィ。スパイログラフィは肺活量を診るやつ。
ただ、こちらがなかなか順番がこない。
10分程で心電図を終えたが、それからスパイログラフィまで
なかなか呼ばれず、ややイライラ。

結局30分程待たされて検査が始まった。肺活量検査はちょっと楽しいものだった。
ロールペーパーの芯のようなものを加えてスーハーとやってみたが、
すぐに口にくわえるマウスピースみたいなやつにかわった。
「吸って吸って吸って吸って吸ってー、もっともっともっともっと…」
「はいてー」を何度かした。
特にやり直しはさせられなかったところをみると、まあまあだったのかな。

待ち時間にいろいろとコーディネーターさんと話した。
北陸ではコーディネーターさんは5人いて、
採取まで担当するのがそれぞれ年間10人程いるそう。
だから北陸3県では50人くらいが骨髄採取をしているのかな。

それから、今回の骨髄移植の患者は、関東地方の40歳代の女性ということ。
また、入院中はかなりヒマらしい。手術翌日は確実に元気一杯だという。
手術当日も夕方くらいからは意識もはっきりして腰の痛み等が残るくらいみたい。
パソコンをもっていこう。

それから血液内科に戻り、尿検査と血液検査。
K病院では血液ガス分析とかなんとかで動脈からも血液を採取するとのこと。
コーディネーターさんから「かなり痛いですよ」と言われたが、
実際はそれほどでもなかった。

でも動脈血を採る病院は少ないそうだ。
また、採取医師が動脈を探している(もちろん、表面からは見えない場所なので)姿に
ややこちらが緊張してしまった。採取自体はたいして痛くなく終了。
最後まで注射しているところや血は見ることができなかった。

ようやく問診を残すのみ!と思っていたら、麻酔科で問診をとのことで、
今度は麻酔科に行くこととなった。もう12時になるよーと思いつつ、麻酔科へ。
しばらく麻酔科のビデオを見て診察室へ。
麻酔科の先生は気さくに話してくれたので、リラックスできた。
麻酔を受けた家族の覚めが悪いらしいという話もした。

それからT先生のところで問診。
T先生はパソコンで入力しながら、いろいろと説明してくれた。
その都度プリントアウトして渡してくれたので、あとからじっくり見ることができる。
自分の体重からは1600ml程採取できるということで、
相手患者の体重に合わせて860mlを採取するには十分だと説明を受けた。

860ml採取するときは600ml程の自己血を輸血しなければいけないということで、
1回だと勝手に思っていた自己血採取が2回に決定した。
それぞれの採取日も決めた。

「入院の案内をしますけど、今日はやめときますか?」とT先生に聞かれたので、
次回の採血時にしますと答えた。もう12時30分をまわっていた。くたくただ。

2回の自己血採取にはコーディネーターさんは来ないので自分でしなければいけない。まっ、いっか。

自己血(1)

(2月19日)

自己血の第1回目。
受付で待っているとT先生がすぐに来てくれた。
輸血部に行ってほしいということで、移動。
輸血室には、すでに看護師が待機していた。ありがたい。
T先生も来た。忙しいだろうに。

採血用のベッドが空調のすぐ下にあり暑い。こんなとこは献血ルームと感覚が違うね。
血圧を測ってもらうと、144/88だった。高い。
でも看護師さんは気にする様子もなく、採血の準備を進めた。
採血まではあっという間。400ccの採血も短時間で済んだ。
献血だったらもっと時間かかるのに。

終わると、T先生が入院手続きの部屋まで案内してくれた。
T先生はここまで。それだけでも十分ありがたかった。
次回はすぐに輸血室に来ればいいとのこと。

入院手続きのところでは、ドナーであることは告げられていなかったようで、
入院患者のような扱いだ。
個室を選べるようにT先生がしてくださっていた。ありがたい配慮だ。
書類をいろいろともらって、総合受付へ。

精算のしようがないのだけど、行かなければならない。
鉄剤を処方されるのでもらわなければいけないから。
他の人の体験記で、鉄剤をボリボリ摂っていたと聞いていたので、
どんなものが出るのかと思っていたら1日1錠だけの小さな薬。簡単だ。

自己血(2)

(3月X−14日)

2回目の自己血採血。
直接輸血部に行くようT先生から指示されていたので、
輸血部に行ったが話が通じていなかった。
看護師さんたちは待たせてしまったことをしきりに恐縮していた。

しばらくしてT先生登場。看護師さんと採血室に入り、採血となった。
血圧は直前が144/84、最中が134/78、直後が124/78。
低くなるのはいいのだけど、変わりすぎ。
看護師さんは優しくいろいろと心遣いが嬉しかったが、針を刺すのはちょっと…。
200ccを採るのに10分近くかかったところをみると、うまく刺せなかった?
刺したところは夜になってもなんだか痛いし。
献血センターの人たちの方がうまいな。

T先生に処方されている薬のことを聞いた。「便は出にくくなりますか?」
「そういうこともあります。飲む回数を減らしてもいいですよ」
でも毎日飲むことにした。
あっという間に採血が終わり、今日はそのまま終了。
いよいよカウントダウンだ。

入院前日

(3月X−2日)

いよいよ明日入院。仕事の帰りも事故に気をつけながら帰った。
ここまでくれば、早く終わって〜という気持ちでいっぱい。
事故にあわない、病気にならない、と意識することがこんなに大変だとは。
もちろん、わくわく感もあるが、とにかく、
自分の身体が健康であるうちに早く終わってー。

入院当日

(3月X−1日)

入院の日。
朝9時過ぎに家族に病院まで送ってもらった。
受付をすませ、入院センターへ。書類を出して手続きを済ませた。
手首に認識バーコードのはいったリストをつけてもらった。

認識バーコードのリスト

病棟につくとT先生も待っていた。恐縮です。
看護師に病室を案内してもらい、すぐに着がえた。
程なくT先生が来て、診察をした。
デジカメで手術の様子を撮影してもらってもいいか聞くと、OKだった。やったね!

またすぐに先程の看護師さん登場。採血をした。
血圧は132/92。下が高い。最近こんな感じだなぁ。
またしばらくして別の看護師さん登場。
説明はひと通り受けているので、特に質問もなし。
病棟案内をしてもらった。
入浴は予約がいっぱいだったので、時間外にしてもらった。ラッキー!

12時を少しまわってから昼食を食べにデイルームにいった。
もっといっぱい人がいるのかと思ったが、閑散としていた。気楽でいいや。
食べてから部屋に戻り、パソコンを見ながらうつらうつらしていると、
また看護師さん来室。
看護師長さんだった。わざわざありがとうございます。

1時30分にレントゲン撮影。これはあっという間に終わった。
今日はこれで診察関係はなし。

4時過ぎにコーディネーターさんが来てくれた。
別のところで確認検査があり、それを終えてわざわざ来てくれた。ありがとう。

途中で担当看護師がきて、明日の説明をしてくれた。
明日は8時30分に手術室に入るとのこと。早いなぁ。
でも、その分、午後には楽になれるかな。

コーディネーターさんから、家族は来ないのかと聞かれた。
うちの場合、妻が時期的に忙しいことと次男が風邪ぎみのため、
来なくていいと言ってあると答えた。
それから、手術直後の酸素マスクや点滴や管をたくさん通している姿を
見られたくないということも話した。
自分ではたいしたことない(と思う)のに、痛々しいイメージを持たれるのもいやだから。

30分ほどでコーディネーターさんは帰宅。
明日、別件のコーディネートがあり、それが終わってから
アンケートを持って夕方に来るとのこと。
コーディネーターさんもたいへんだ。

午後6時夕食。うーん、量が少ないなぁ。まぁ病院は、こんなもんか。
デイルームで食べているけど、なんだか自分だけ浮いている感じ。
みんな同じパジャマ姿で痩せた感じの中で1人だけ別者がいるぞ。
ささっと食べて、時間外の入浴をした。1坪タイプのユニット。
でもなんだか落ち着かなく、早々に出てきた。

7時30分頃、妻と親に電話した。なんだかんだと心配してくれている。ありがたい。
8時頃、夜勤の看護師さんが診まわりにきた。
といってもすることもないので、体温と血圧を測っていった。
体温は36.7度、血圧は132/90。やっぱり下が高い。
普段の生活に気をつけねば。

午後9時以降、飲食しないよう言われた。
今日は特に何かをしたわけではないのだけど、眠くなってきたので10時頃に消灯。

手術の日

(3月X日)

2時、3時頃にやや目が覚めたが、5時に起床した。いつもどおり。
体温を測って、洗面をすませた。特にすることもないなぁ。

6時過ぎに看護師さんが採血にきた。
今日は左腕から刺してもらった。痛みを感じず、上手な人だ。

7時過ぎに別の看護師さんが血圧を測りにきた。133/94。
やっぱり下が高い。上は落ち着いてきたかな。
便については、「済ませてくださいねー」とだけ言われた。
浣腸はしないの?楽でいいけど。

T先生もきてくれた。手術前なのにありがたい。
入院着にいったん着がえた。
着替えの途中で、手術に当たるT先生以外の医師2人も挨拶にきた。
みなさん忙しいのにありがとうございます。
手術室まではこのまま歩いていく。ストレッチャーは使わない。
元気だしね。手術着には向こうでなるそうだ。

手術室に到着。ほかにも手術する方々がぞくぞくと入ってくる。すごい光景。
担当看護師と一緒にオペ室にはいると、もうみなさんスタンバイしていた。
心電図用の何かをペタペタ貼られて、点滴用の針も刺されて、
酸素マスクをあてられて、徐々に手術の体制となっていった。
そろそろ麻酔ガス入りますねーと言われて数回深呼吸・・・もう覚えていない。

手術1 手術2

「終わりましたよー、totemさーん」の声で目が覚めた。
何かしら夢を見ていて、目が覚めた直後は自分が手術をうけていたことも忘れていた。
数秒後、あー手術だったんだと気づき、今何時?と聞いた。声はガラガラ。
あっ酸素マスクもしている。尿道も管があるぞ。
「11時7分ですよ」と答えてもらった。そこから意識はしっかりある。
足の裏をもんでもらっている。手術前もそういえばもんでもらってたな。

T先生も声をかけてくれた。
移動となり、ストレッチャーで動いたが、車酔いの気分。
もっとゆっくり動いてーと心の中で叫んだ。
部屋に戻ってベッドにおろしてもらったが、喉がかわいた感じ、ちょっとむかむかする。
胃もなんだか痛い。腰は強烈につねった感じ。痛い。

2時頃に酸素マスクは外れた。でも尿道の管はまだまだ。
午後4時頃に外してもいいらしい。
腰が痛いので膝を立てたりするが、その度に、尿が出る感じがする。早くとってー。
何度も看護師さんやT先生が来てくれた。
カテーテルのことなど身体の不都合なことを訴えた。

午後3時20分頃、座位を保てるかチェックするため、
看護師さんにベッドをおこしてもらった。
しばらく大丈夫だったが、徐々に吐き気をもよおしてきた。
貧血のような症状。ベッドを元に戻し横になったが、血圧は上が90前後。
ダメだこりゃ。冷や汗も全身から出てきている。

横になっていると母親と妹が見舞いにきた。この姿を見せたくなかったな。
20分ほどいて、入れ替わりにコーディネーターさんが来た。
アンケートの記入のためとはいえ、わざわざ来てもらって恐縮です。
昨日も今日もそして明日も確認検査があるそうで、
そのついでとは言うものの、ありがたい。

また、しばらくしてマイファミリー登場。うれしいねー。
血圧も上が100を超えたので、とりあえず一安心。

カテーテルを抜いてもらった。これがまたいやな感じ。
ニュルルルルーと。こんなに入っていたかと思うくらい長く感じたぞ。
看護師に抜いてもらったのも恥ずかしかった。
直後はおしっこが出る感じが強かったので、尿瓶をつけてもらった。
ふんばったら大便も出そうなので、ふんばりきれず、結局使わなかった。
水も試飲テストしてOKだった。

4時過ぎにT先生も来た。患部をみてもらったら、すごくきれいだそうだ。
出血もそんなにしていないらしい。

6時過ぎに夕食をもってきてもらった。座位になってみたが、平気だ。
食べることができるか心配だったが、完食した。
点滴も終わっていたので、外してもらった。

9時30分にようやくおしっこが出た。なかなか出る感じがなかったのだけど、ようやく。
このあと、1時と朝4時にもおしっこが出た。身体が元に戻ってきた感じだ。
2時に看護師さんが見回り。ちょっと起きていたので体温を測ってもらった。37.0度。

手術翌日

(3月X+1日)

朝6時過ぎに起床。まだまだ寝ていられるけど、起きた。
体温は36.8度。もうあがらないのかな。
採血をすませ、7時30分に朝食。量が少ないので、すぐに完食した。

しばらくして看護師さん登場。血圧を測って、点滴を1本した。
夕方もう1本して点滴は終了だ。
患部のガーゼも換えた。きれいらしい。

点滴が1時間弱で終わってから、今度は清拭してもらった。
患部周辺のテープ残りをとってもらい、蒸しタオルで背中を拭いてもらった。
気持ちいいー。他は自分でやった。少しさっぱりした。
大便が出ないのが気になる。腰に力が入らず、出ない。
12時に昼食。全部食べた。

午後からもすることがない。パソコンで遊んで時間をつぶした。
5時頃にT先生が来て、患部を診てもらった。
「今日のうちに退院できたね」すこぶる順調らしい。
痛みもどんどんなくなっている。

6時に夕食。今回も全部食べた。
最初は量が少ないなと思っていたのに、ちょうどいい分量に感じてきた。
動いていないからかな。
8時に看護師さんがきた。体温を測ると36.8度。こんなもんだろう。
血圧も130/80。点滴針外しますねと言ってくれた。
点滴針もとれ、自由になった気分。
10時頃に就寝。

退院

(3月X+2日)

朝4時30分に起床。いよいよ退院だ。うれしくて寝ていられない。
体温は36.4度。バッチリ。
腰の痛みもかなりひいてきた。押したら痛いけど、前屈もできる。
洗面ついでに頭も洗ってみた。前屈問題なし。久しぶりの洗髪が気持ちいいー。
下着も換え。リフレッシュした。
最後の採血を待つのみ。

7時頃、採血。患部のガーゼも交換してもらった。
採取の穴は右2つ、左3つ開いているそうだが、
右はもうかさぶたになってきているらしい。

今日からシャワーでもなんでもすればいいとのこと。
患部は消毒して絆創膏を貼っておけばいい。
かさぶたになったら、もうしなくてもいいらしい。
あっという間だ。

7時30分、病院最後の食事。今回も完食した。
大便だけ結局全然でなかった。2日目の手術前に少し出ただけだ。
力をいれようとすると、まだ腰に違和感があり、ふんばりきれない。

8時30分、コーディネーターさんが来る。術後24時間のアンケートをとった。
腰の痛み以外は全てだいじょうぶ。
退院の段取りが今ひとつわからなかったので、
コーディネーターさんと一緒にナースステーションに聞きにいった。
鉄剤を処方されて、いつでも退院していいとのこと。
入浴中に患部に貼るシートももらった。これで入浴もバッチリ。
看護師さん、いろいろとありがとう!

10時にマイファミリーが迎えにきてくれて、退院。
あっという間の入院生活だった

退院後

(3月X+4日)

今日から仕事。会う人、会う人に挨拶を済ませた。
仕事をしていて、ちょっと感覚がおかしい。やや貧血気味か。力が入らない。
夜も夕食をある程度食べたら、気分が悪くなった。胃袋に血液が集まっているからか。
しばらくはこんな感じかな。
体調が戻ったと周りには言っているけど、やっぱりそれなりに負担がかかっているみたい。

患者さんからの手紙

(3月X+7日)

財団から配達記録で郵便が届いた。
休暇証明なのになんで配達記録?と思いながら開封すると、
なんと患者さんからの手紙が同封されていた。
短い文だけど、こちらを気遣ってくれている様子がなんともありがたい。
ありがとう。自分の血が患者さんに合えばいいのだけれど。それだけが心配。
体調が戻ったらまた手紙がほしいなぁ。

その後、コーディネーターさんからも電話があった。
術後1週間の確認だ。腰が痛いことと貧血ぎみであることを伝えた。

術後健診

(4月12日)

術後の健診だ。
これまで毎週コーディネーターさんから体調を聞かれていたが、
今日までに患部の痛みも感じなくなっていた。
そして、この健診で血液検査をして身体の内外ともに元に戻ったことがわかるはず。

10時少し前に病院について早速採血した。終わるとT先生のところで健診を受けた。
血液の方もほぼ元に戻っているとのこと。血圧も124/78。
以前よりよくなっているぞ。
自分の身体を気遣ったおかげかな。副次的に、ありがたい。
毎日採っていた鉄材も今後は無理には採らなくてもいいみたい。

これで今回の骨髄移植関係はすべて終了。
T先生から何度もお礼を言われ、照れくさい気がした。
そして、終わって少し寂しい思いも。
普段関わることのない病院に、患者とは反対の立場で関わることができたからかな。

1年後に、保留になったバンク登録の再登録をきっとすると思う。
また、何かしらできればいいな。

 (totemさんの2回目の体験記はこちら

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