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ドナー体験記

【ドナー登録】

そう、あれは2006年の8月。
当時の俺は、荒れていた。
いや、失意のどん底にいた。
2006年6月6日、記念すべき666のゾロ目の日(笑)
4年と半年付き合っていた彼女から、別れを告げられ、
日々、そのつらさにたえながら(?)生きていた。
8月に熊本に出張があり、1泊した。
最後の日、熊本のアーケードのところ(熊本城のすぐ近く)
にブラリと行ってみた。小学校2年生まで、熊本に住んでいて、
家族でそのアーケードのところで撮った写真があったので、
本当になんとなく行ってみた。
献血センターが中にあり、またまたブラリと入った。
献血をし、「ふ〜」としていると、「骨髄バンク」のポスターか
パンフレットか忘れたが、「あっ、こんなのもあるんだなぁ〜」と思った。
福岡に戻り、イムズで登録ができることを調べ上げ(笑)、登録した。

【骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」が来る・・・。】

2006年8月にドナー登録を行った後、しばらくは「ドナーになるかも」
という気持ちと「調べてみれば、ドナー登録者のうち、実際に提供する人は
40人に1人。うん、大丈夫。」などと相反する気持ちを抱いていた。
ドナー登録は行ったが、まさか実際になることはないだろう。失礼な話だが、
そう思っていた。案の定、1ヶ月経ち、2ヶ月経ち、、、
そう、、、もう登録自体忘れていた。

2007年9月x日
「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」がポストの中に。
「???」
中身を確認し、正直、震え上がった。
ほんと、ガクブル。笑。
自分と同じ(または近い)HLA型の患者さんに親近感を覚え、
もしかしたら、性格も似ているかも・・・などとわけのわからないことを
考えながらも、ブスブスと太い針でお尻をさされ、ぐったりしている
自分の姿も目に浮かぶ。ガクブル・・・。
ドナー候補は何人おるんじゃ〜。しかし、それは教えてもらえない。
もし、自分ひとりだったら、断ったりしたら、命に関わるかもしれない・・・。
何人かいるなら、「自分でなくても大丈夫だよね」なんて気持ちももたげてくる。

自分は、教員をしているが、正義の行動をとったことはない。
ただ言うだけ。
「正しいことをしよう。」
「友達を助けよう。」
「痛みのわかる人になろう。」
「差別をやめよう。」
また、そんな同業者を見て、
「ホント?口だけやんっ!」
って思っていたのも、また事実。

「何か、、、何かを変えたい。(自分を)」
そう、今回は頑張ってみるんだ!
そう。
ことが順調に運べば、必ず、提供する!

【確認検査】

2007年10月X日 確認検査。
病院は、実家近くの大きな病院。
初めてコーディネートさんとあう。とても丁寧で優しい女性の方。

「骨髄提供者となられる方へのご説明書」を中心に説明を受ける。
6月下旬に、人間ドッグを受けていたのだが、
その際、「高脂血症」「安静時心電図異常」が
所見で載っていた。人間ドッグの成績書をコーディネートが
始まって送らなければならない書類と一緒に
送っていたので、血液をとるついでに、
心電図も検査することに。(これは実費です。)
異常なしの結果。
また、採血の際、調整医師から、
「なぜ、登録したの?」と聞かれ、「なんとなく。」
と答えたら、不審そうな顔をされる。
「こいつ、多分断るんじゃないか?」
という表情。
また、断る人が多いのも、事実なんだろう。
「俺は断らないよ。絶対。」
心の中でつぶやく。

【「血液一般検査結果のお知らせ」が来る】

財団の基準では問題ありませんでいた、にチェックが入っている。
ホッとする気持ちと同時に、現実味が帯びてくる。
と、言っても、まだ、最終ドナーとなったわけではない。

この頃から、不安になると、プロジェクトXの命の一滴(骨髄バンク設立の話)
を見るようになる。
患者さんは、地獄の苦しみを味わっている、、、それに比べ俺は、、、。
などと毎回考え、ドナーに選ばれたら、絶対に移植に協力するんじゃ〜
という気持ちを強く持つ。

ある日、仕事上の研修会の席で自分の隣りの人(←全く知らない人)が、
色々話をした後、「自分の子どもが最近、白血病になった。」
という話をされた。その時、ドキッとした。
その人に、「自分は、ドナー登録して、今、かくかくしかじか、、、
なんです。」と言おうと思ったが、言えなかった。
だけど、その時、運命を感じた。

「俺は多分、最終ドナーになるだろう。」
すべてが、この運命のために動いている気がしていた。

【最終ドナー決定】

2007年10月X日
ある日、飲み会から帰ったら、留守番電話が入っていることに気がついた。
コーディネーターの方からで、
「つ、ついに結果がわかったんだ。」と思いながら、10時を過ぎていたが
電話をかけなおした。

「夜分遅くに申し訳ございません。結果が出たんですよね・・・。」
恐る恐る聞いてみた。
「ドナーに選定されました。つきましては・・・。」

呆然とした。体が震えているのがわかった。
やはり、、、感想は、「やはり」である。
「運命」は着々と決められた道を進んでいく。

【最終同意面接】

2007年10月X日
最終同意面接に母親と二人で行った。
母親には、パンフを渡しており、
「3泊4日入院する。」
「リスクが0ではない。」
「1%くらいの確率で合併症(?)が起きる可能性がある。」
・・・
話はしていた。
「あんたがしたいようにして良い。別に反対する理由はない。」
と言っていた母親が、いざ、面接中、リスクについて強調して
説明されると、不安になったみたいで、
「後遺症が出たときの保障はどうなるのか?」を
一生懸命聞いていた。
「もし、あなたの骨髄が相手にあわず、万が一、相手が不幸な事態に
なったら・・・。」
などなど話をしていた。
面接の途中からみるみる母親の表情が変わっていった。

それでも、同意書に印鑑を押し、帰ってきた。
帰りの車の中、親と口論になり、かなりの言い合いとなった。
気まずい雰囲気となり、正直
「なぜここまでしなければならないのか。」
「果たして俺がしていることは正しいのか。」
と、わからなくなってきた。
それでも、実家に戻り、色々話をしていく中で、
自分の気持ちを理解してくれ、また、勘違いも多少あったようである。
確かに、骨髄移植のことをかなり真剣に情報を集め、資料にもゆっくり目を
通した人間と、初めて程度のレベルで話を聞く人間とでは、
受け取りようや語句の理解はかなり違うと思う。

ただ、今回のことで、
「あぁ〜、自分の体のことを心配してくれているんだなぁ〜」
ということは感じた。
最後は、「まぁ〜、頑張れや。」程度にはなり、友好的に話し合いは
終わった。

もし自分に子どもがいて、その我が子が
同じように、移植に協力したい、と言った時、果たして自分は
何というかな?どのように考えるだろうか?
ということである。
自分の体の痛さなら我慢もできるが、
リスクが0ではない手術を
しなくてもよい手術を
果たして我が子に喜んで「OK」と言うことができるであろうか?

今まで色々な体験談で、周りから反対された、
それで断念した、、etc、読ませて頂き、自分なりの感想を持っていたが
今回のことで、「そう思うのも、親の気持ちとしては当然なんだ。」
ということがわかった。

正直、どちらが正しいとかはないと思う。
ただ、周りの状況や考えを聞きながら、提供が許されるのであれば
提供すればいいことだし、
それが難しければ、それはそれで仕方のないことなのだ、
と思った。
うちの親は、なんやかんや言っても、OKを出してくれた。
ありがと。

【健康診断】

この健康診断から、病院がA病院ではなく、
B病院になった。というのも、A病院では手術日の調整
がつかなかったため、実際に手術を行うB病院になったのだ。
結果は、この日にわかるとのことで、
主治医の話を聞くときは、ドキドキだ。
数値は全て、財団の基準内でOK。
また、普通は後日、自己血の採血があるだが、
自分の場合は、提供する患者さんが、お子さんで
骨髄は約200ccでいいとのことで、採血はないとのこと。

この健康診断の内容は、
検尿、血液検査、心電図、放射線での胸部の撮影、
肺活量検査、、、くらい。肺活量の検査は、何回もやり直しを
させられた。全て、普通にすれば、何も痛いもの(耐えられないほどの)
はないが、自分の場合は、血液検査がむちゃくちゃ痛かった。
看護婦さんに「献血より太い針なんですよねっ」って終わった後に聞くぐらい。
「献血の方が太いですよ〜」と言われたが、自分的には、
献血の数倍痛かった…。
その後、コーディネーターさんに「むちゃくちゃ痛かった!」と言うと、
前の血液検査と同じなんですけどね、と言われた。
ということは、多分、採り方が下手だった、、、と言う事か。笑。
採り方がうまけりゃ〜、今日の健康診断で苦痛なる検査はないと言うことだ。笑。
所要時間は、大体2時間でした。

【入院前】

さぁ、いよいよ手術日が近づいてきた。
この3ヶ月、寝ても覚めても「手術への恐怖」と付き合ってきた。
特に、最近は、「手術が終わっていた」という夢をよく見た。
3回ぐらいは、もう手術が終わっている…。
ホント、自分でもビビリだなぁ〜と思う。
終わってしまえば、なんてことないんだろうけど。

もう後戻りはできないことはわかっているんだけど、
「ちょ、ちょっと待て!」「もっとよく考えてから。」
な〜んて思ってしまう。考えても、待ってもらっても状況は変わらない。
やるしかないのだ!だから、考えないように、考えないように、
やるしかないのだから。
こうとも思う。
少女は、移植に向けての治療に入っている。
きつい、きつい、想いをしているはずだ。
また、移植が無事終わっても、とてもとても大変な
治療が待っている、と聞く。
俺くらいが「腰が痛てぇ。」と言っているレベルではないはずだ。
少女の親御さんは、一生懸命、一生懸命祈っているはずだし、
耐え難い気持ちのはず。
何をビビッているのだ。何をビビッているのだ。
よし、頑張ろう!
よし!

この数週間、毎日のイソジンによるうがい。
ハンドジェルによる手の消毒。
ものぐさの俺なりによく頑張った。
ここまで、風邪対策を行ったのは、生まれて初めてである。
何とか、ま〜ま〜の体調で来ることができている。

運命。自分は、神様は信じてないけど、運命ってあると思う。
あの時、彼女と別れてなければ、
あの時、あんな気持ちにならなければ、
あの時、自暴自棄にならなければ、
あの時、あの時。
だから、この少女も、大きな「運命」を持っているはず。
骨髄、あげる。
だから、十分頑張っているだろうけど、
十分過ぎるほどきついだろうけど、
あと少し、あと少しだけ、頑張って。
同じ型を持った、素晴らしい運命の一致のはずだから。

【入院初日】

健康体での入院なので、何の苦痛もなし。近くのコンビニ行ったり、パソコンで
「モヤモヤさまぁ〜ず」や「ゲームセンターCX」などの動画を観たり。
採血の結果異常なし。
しか〜し、夜、いきなり37℃の微熱。それまでは、何にもなかったのに。
もちろん、体はきつくないし、喉も痛くない。
看護婦さんが「緊張のためですかねぇ。」
心配して担当医に聞くと、このまま多少熱があっても、
喉がひどくはれたりしてなければ、手術は行うとのこと。
ほっと胸をなでおろす。

【入院2日目(手術当日)】

朝、体温36度。よかったぁぁ。
すぐに、点滴の針を左腕に刺す。
この針は、退院するまで刺しっぱなしです。笑。
なんか、プラスチックが入っているやつだそうです。

そしていよいよ看護婦さんと手術室へ歩いて向う。
午前9時くらいだったかな。
「手術中の写真、撮ってください。」ニコッ、と手術室の看護婦さんにお願いする。
快くOK。
「おしり写ってもいいですか?」
「OK牧場です。よろしくお願いします。」ペコリ。
「では、手術台にうつぶせに寝てくださいね」
と言われ、「いよいよかぁぁぁぁ〜。」なぜか、妙にハイテンション。
「頭の向きを決めてくださいねぇ〜。左と右どっちがしっくりきますか〜?」
と言われ、右と左と交互に頭を向け、左向きにすることにした。
「こっち(左向き)で。」などと言い、
看護婦さんが「ここに酸素のをおきますね。ここから酸素が出てき・・・」
・・・
・・・
・・・
自分「全然、たいしたことなかったすよっ。」
そうなんです。「酸素の装置がうんちゃらかんちゃら」から、全く記憶がない。
で、朦朧とした状態で、上の言葉を言った記憶はある、って感じです。
手術前に、麻酔担当の先生に
「麻酔を入れるとか、言わないで、気づかない間にしてください。おねぎぇしますだぁ〜。」
と30過ぎた男が、目をウルウルさせながら、言っていたので、
「酸素の装置が・・・」という表現を使ったのか、
それとも「麻酔、入りま〜す。」(「ドンペリ、入りま〜す」みたいなノリで。)
という言葉があったのかは、記憶がないので不明ですが、
自分の記憶では、「酸素の装置が・・・」しかありません。
ゆえに、ここに宣言する!
『手術自体は、怖くなし!!!!』(我が人生に悔いなし!ふうに。笑)

手術中 手術中2

あとで、コーディネーターさんと話をしていたら、
「職場には自分で電話する」と言っていたらしい。
そう言われれば、そう言った記憶がある。
たぶん、こう言った後、すぐに深い眠りに落ちている。
つまり、麻酔の覚めかけの時は、記憶があったりなかったり…。
「あっ、そんな会話したような…。」という部分がかなりあった。笑。

その後、術後から午後5時までは、寝たり起きたりの繰り返し。
朦朧としながらも、時間が経たないなぁ〜と思っていた記憶が残っている。
ベットから動いてはダメなので、トイレ行けずで苦しい。
おしっこは特段行きたくないが、お腹が痛い。
看護婦さんからは「今は、動いたらダメだから、トイレはここ(ベッド)で。」
と言われる。我慢できるまで、我慢しよ、などと思う。
5時に主治医によるガーゼの取替え。ここで室内なら、動いていいとのお許しが。
5時30分トイレ。6時夕飯。
さぁ、待ちに待った一服だぁ〜。
手術から、10時間くらい。長かったぁ〜、ホント長かったよぉ〜と思いながら、
看護婦さんに「外(院内禁煙なので)で一服してきていいですか?」
と聞くと、看護婦さんが即答で「室内しかだめなので、今日は我慢してください。」
が〜ん!!!!手術より何よりも、このプチ禁煙の方が一番きつかったぁ。

【入院3日目】

午前4時、36時間ぶりの喫煙。
『看護婦さんは、「今日は、室内しかダメ」って言った。
もう朝だから次の日になっている。』
などと勝手に自己弁護し、外に出て一服。
外に出る時に警備員さんがちょっと不審顔。
コーディネーターさんから事前に「術後の初一服は必ず座ってください!」の
教えを忠実に守り、一服。座っててよかったぁぁ。立ってたら、ぶっ倒れていました。笑。

その後、院内に入ろうとすると、自動ドアが開かず。
???と思っていると、警備員さんから「ホントは出たらいけない時間だったんですよ。」
と言われる。タバコを持ってヨチヨチとぎこちなく歩く自分の姿から、
状況を察知して、見逃してくれた模様。笑。
でも、朝空はまだ薄暗く、凛とした空気の冷たさ、一生忘れないような気がする。笑。
どんな動きでも腰をかばいながらの動きになるので、
非常にぎこちない。また、怖くて、腰に力を入れられない感じ。
特段、激痛が走る、などは全くない。ちょっと当たると、ビビビって軽い電気が走る感じ。
のども痛くないし、結局、熱もでなかった(微熱程度)。
点滴が一日中さしっぱなしなので、そっちの方がきついかも。
痛いとかはないんだけど、さしっぱなしが不快。笑。

【入院4日目】

午前11時、退院。長かったような、短かったような。寂しいような、うれしいような。
「終わったんだな…。この3ヶ月間の、全てのことがおわったんだな。」
そんな妙な気持ち。
この3ヶ月、この手術のことで色々悩み、
また、これを目標とできたことで頑張れたこともあったし、
また、入院の大変さや、健康の有難さも感じさせられた。
「なんて俺は恵まれているんだろう。」正直な感想。
もう一つ、感想。
それは「看護婦さんはすごい」ってこと。
何がすごいの?と言われれば、言葉につまるが、ただただ「すごい」の一言。
看護婦さんからは「先生って大変でしょ?」などと言われたが、
「いやいや、あなたの方が数倍、大変!」
何があったと言うわけではないが、「看護婦さんってすごいなぁ〜」と思った。
「すごく大変だなぁ〜」ではなく、純粋に「すごいなぁ〜」。

【まとめ】

次なるドナーさんへ。
  • 手術はホント麻酔が効いているので、痛くないっす。
  • 自分の場合は、喉の痛み、熱はでなかったっす。
  • 腰の痛みは、十分耐えれる程度っす。激痛はこの3日間、一度もなかったっす。
  • 入院中は、毎日、採血と検尿があるっす。
  • 手術日は、一日中点滴打ちっぱなしで、不快だったっす。(痛くはない。)
  • 点滴の針が2日目、3日目、4日目の朝までさしっぱなしも不快だったっす。
    (もちろん痛くない。)
  • シャワーは、手術日の朝に入ったほうがいいっす。(しばらく入れないので。)
  • 時間つぶし道具をかなり持っていったほうがいいっす。(やっぱり、暇で暇で。笑)
  • カテーテルがない病院だったんで、カテーテルが嫌な人は、コーディネーターさんに相談してみるのも手っす。
  • 今は「やって良かった」って心から思えるっす。笑。

自分は、ドナーが偉い、なんて思わない。
なぜなら、ドナーは、「物質的な対価はもらえないが、精神的な対価をもらえる。」
からである。
ドナーになるにあたって、一番の問題は、「リスク」であろう。
「後遺症が残ったら…。」
しかし、リスクを過大に怖がりすぎると、提供はできない。(きっぱり!)
自分もまだ、術後○日しか経ってないので、これから何かあるのかもしれない。
でも、リスクを過大に恐れていた、と思う。

一人の命を救うことができるかもしれない。
移植して治る確率は60%だと聞く。
「希望の60%」=「ドナーの数日間」
もちろん、仕事をしていれば、状況が許すか、という問題、
欠勤時の給与の問題、親の問題、配偶者の問題、子どもの問題、
・・・・いろいろな問題の上で、
できるならやる、できない場合はやらない。
ただ、それだけのこと。
でも、やり終わった後の俺が言うのは卑怯だけど(笑)、
「ドナー終わったら、超気持ちいい。」笑。
※原作者のホームページは、こちらになります。
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