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ドナー体験記

適合通知 (心の準備がない時に重要なことはやってくる!)

蒸し暑い夜だった。
自宅に帰った際に郵便ポストを覗くと、何やら大きめの封筒がある。

両親と同居だった為、どうせ自分宛のものではなく、父か母宛のものだろう、
持っていってあげよう、と思い取り出した。が、自分宛である。
しかも骨髄移植推進財団と書いてある。。。
たまに送られてくるバンクニュースとは明らかにちがう雰囲気。
オレンジ色のA4サイズが入る封筒で、少し分厚いようだ。
重要、親展のハンコも押されている。

「え!何これ。。。まさか患者さんと白血球の型が一致したのか?
いや、そんな重大なことなら急ぐだろうし、電話でかかってくるんじゃないか?」
などと無知気ままな事を思いながら、封を切った。

なになに、「さて、この度、貴方様と骨髄バンクに登録されている患者さんの HLA型(白血球の型)が一致し、ドナー候補者のおひとりに選ばれました。…」

6枚のアンケート用紙も入っており、7日以内の返信しないといけない。
意思の確認や健康状態などを記すものである。

そのころ私は、新しい職種の仕事に転職して4ヶ月ほどしかたっておらず、 骨髄バンクに登録したことなどすっかり忘れていた。

仕事もまだ慣れておらずミスすることも多かったので、自分のことしか考える余裕がなかった。
なので、患者さんには申し訳ないけど、
「なんで、こんなときに!?」と一瞬、思ってしまった。

アンケート用紙の一部に、骨髄提供するには結婚している人は
配偶者、独身の場合は両親の【同意】が必要とあり、
説明するためのビデオ(貸し出し)やパンフレットが必要かという項目もあったので、
両方○をつけて、返信した。

気持ちが落ち着くと、「この世に白血球の一致した人がいるんだ♪」と少し嬉しくなった。

登録してから8年位経っていたので、バンクニュースが届いた時だけ登録したことを
思い出し、「どうせ声なんてかからないでしょ」と勝手に思ったりしていた。


●登録したきっかけ●

骨髄バンクを知ったのは、献血にたまに行っていたときにポスターを見たから
だったと思う。
だいぶ前のドラマで「ひとつ屋根の下」が印象的だったので、
機会があれば登録しようと思っていたことだと思う。

また、夏目雅子さんの顔が好きで写真集も持っていることも影響しているのかな。。。

さらに、これまただいぶ前のCMで
「親でさえ、一致しなければわが子に骨髄液を提供できない」
というような事をいっていたので、その言葉がかなり心に残っていたっていうのもある。

身内や知り合いには幸い血液の病気の人はいない。


確認検査へ向けて

適合通知を受けた段階では、自分が骨髄を提供すると決まったわけではない。
ドナー候補のひとりとなっただけで、他にも候補者がいるかもしれないし、
いないかもしれない。
それは、ドナー個人の意思を尊重するために、教えてもらえない事になっているそう。
なので、とりあえず確認検査に進むことにした。

→本当はこの時点で、患者さんの負担する費用が発生するので
「とりあえず」なんていう曖昧な気持ちでいるのはよくなかったようである。

また、両親の同意を得ている事が条件だったが、この頃はまだ
母は「全身麻酔なんてダメよー!!」と頭から否定していた。

「まだするって決まったわけじゃないから」と言っておいた。
父は賛成してくれたので、もし最終同意の段階まで進んだら、
父に来てもらおう、と思っていた。

すぐに請求していた「両親に説明するためのパンフレット」、
「登録時に見るビデオテープ」、「担当コーディネーターのお知らせ」が届いた。

骨髄バンクのパンフレットのタイトル「チャンス」という言葉は、私の心に深く響いた。
提供する意志を決めた言葉となった。

また、響くまでに時間がかかった。

確認検査まで数週間の間があったので、ネットでドナー体験者のブログや、
図書館で血液の病気に関する本を読んでみた。

知れば知るほど、深刻な問題、命に関わる問題だとわかってきた。

今回、骨髄ドナーの話は、まったく心の準備ができていない状態で降ってきたが、
患者さんも病気になりたくてなったわけではない。(当たり前だけど!) 
心の準備も出来ていなかったにちがいない!

チャンスというのは、提供する側だと「今回は、やめとく」と断る事も出来るが、
患者さんにとっては一度きりのもの。
とっても深い意味がある言葉なんだ、と実感した。

実は彼氏には「身体あまり強いほうではないし、今回は断ったら?」と言われていた。
正直、「今回は」という言葉は断るのに都合いい、なんて思ったこともあった。
しかし、もし自分が白血病などの血液の病気・・・骨髄移植をしなければ
長くて数年しか生きられなくなったら・・・と想像した。

白血球の型が一致した人がみつかったということは、絶望の中に一すじの光が
見えたということ。
それを、気軽に断るなんて、できない。。。

そう思ってから、常にもう一人(移植を待っている人)と共に生きている感じになった。

自分を待ってる人がいる・・・と思うと力が湧いてくる。

その力の影響か、仕事でのミスが減ってきた。
患者さん、ありがとう。。。

確認検査 〜骨髄ドナーオーディション〜

(暇さえあれば夏目雅子の写真集を眺め、白血病の方の苦しさに
想いを馳せる日々を送っていた。。。
当時は骨髄バンクが日本にはまだ存在せず、
夏目雅子本人は最後まで病名を知らされていなかったそうである。。。
目が大きく、清潔感があり、みているとさわやかな気持ちになるお顔が私は大好きである。
私も女だけど・・・)


確認検査へ

ほとんどの病院は平日の昼間しかやっていないため、K病院に15:00に行った。
いよいよドナー生活が動き出した・・・
今日はコーディネーターのTさんと調整医師に会える。ちょっとワクワク。。
仕事は夜勤なので少し睡眠時間を削るだけで済んだ。
昼間働いている方は、仕事を半休したり、大変だと思う。

骨髄バンクの黄色い封筒を持って待ってます、とのことで、すぐにわかった。
てきぱきとした感じのよさそうな女性。
とりあえずほっとした。
空いているベンチで交通費の清算をした。
今日の分の交通費の合計額を記入する。

調整医師の所に向かって行く途中、「お手洗いは大丈夫ですか?」と
コーディネーターが気を使ってくれる。
慣れている感じの印象。
そのまま診察室に向かう。

途中、たくさんの外来の患者さんが待合室で待っているのが見えた。
バンダナを頭に巻いている人は抗がん剤で治療している人なのか、多数みえた。

空いている診察室に通され、まずコーディネーターのTさんから説明があった。
貧血になるのを防ぐため、コーディネート中は献血は控える、全身麻酔の安全性、
後遺症などの話・・・

絶対安全ということは言われず、強要もされなかった。

ほどなくして、「調整医師」が登場。
採取部位や、使う針の太さなど教えてもらった。
この先生は、実際に採取したり血液の病気の人の主治医であったりするそう。
落ち着いた感じの先生だった。

患者さんへの告知、患者さんからの八つ当たり(?!)も受け止めているのだな、
と思った。
先生は「今この時点で、不安に思ったりするようだったら、しない方がいいよ」と言った。
私はやる気に満ちていたので、「大丈夫です!」と答えた。
(母には、ゆっくり説得しよう。と思った。)

説明を終え、採血室へ移動。
先生みずからが試験管5〜6本分採ってくれた。
「変な病気がみつかりませんように。」
「ドナーに選ばれますように。」

結果は、1〜2週間後に血液検査の結果が通知され、
「財団の基準では問題ありませんでした。」とあった。
よかった。

肝心の、ドナー選定の結果は、2ヶ月以上待つことになった。

骨髄ドナーに決定

待てどくらせど「ドナー選定の結果」が来ない。。。

とった血液のうち試験管一本分は、実際に患者さんの血液と混ぜて反応を見るらしい。
それにしても、2ヶ月が過ぎてしまっている。

選ばれる自信は、あった。
でも、間があいたので、どっちでもいいやぁとも思ってきた。

ある日、いつもの通り夜勤の仕事を終えて、朝から寝ていた。
携帯の目覚まし音が鳴ったと思ってとめようとしたら、
「もしもし、○○さんの携帯でしょうか?骨髄バンクのTです。。。」と声が・・・
びっくりして、でも寝起きのままで、「もしもし、そうです。」というと、
「だいぶお待たせしましたが、患者さんサイドから、
ぜひ○○さんの骨髄を提供して頂きたい、と連絡がありました」

「あ、そうですか。はい、提供させて頂きます。」
と、寝ぼけたまま言ったのでテンションは低いままだったせいか、
コーディネーターのTさんに
「もしかして寝てました?」と言われてしまった。
あっさりと、そうです、というと
「・・・ごめんなさーーーーーいーー!!そうですよね、夜勤でしたよね。」
と謝られてしまった。

電話を終えて、シャワーを浴び、目が覚めてきたら、実感がわいてきた。

やったーーーーーーーーーーー!!選ばれたーーー!!!

一人でガッツポーズ

ドナーに選ばれたから、やることが増えたかも。(これからは一人の命じゃない。)


1.職場に4、5日の休みを申請する。
(ただでさえ、有給のとりにくい職場だから、上司が期限よさそうなときに、
先手必勝でいこう。前もって相談するかたちでいこう。作戦を練ろう。)

2.まだ反対の母親を説得する。

3.彼氏に報告する。

4.交通事故に遭わないように時間に余裕を持って生活する。

5.混み合った場所に行くときは、怖い人にぶつかったりしないようにする・・・
(イテーじゃねーか!と切れられて、暴力を振るわれて怪我でもしたら、
提供手術ができなくなってしまうかもしれないから)

6.健康に気をつける
(うがい薬でうがいし、毎日梅干を食べて風邪をひかないようにする。)



●この頃知った言葉など●

●造血幹細胞・・・ぞうけつかんさいぼう

骨髄液に含まれてている細胞。血液を作り出す細胞。
患者さんがほしいのはコレ。骨髄移植のことを別名「造血幹細胞移植」とも言っている。


●前処置・・・ぜんしょち

骨髄移植をひかえた患者さんが自分の骨髄を薬や放射線を浴びてゼロにする処置。
病的な細胞だけでなく、正常な骨髄細胞も破壊される。
患者さんは命がけで移植の日をむかえる。
白血球をゼロにするため、無菌室で過ごす(白血球がゼロというのは免疫がゼロということになるため)


●生着・・・せいちゃく

移植後、患者さんの骨髄の中でドナーの細胞が血液を作り出すこと。
すべてはコレのために・・・・・・!!
(私の細胞よ、患者さんの骨髄でちゃんと働くのだよ・・・とこの頃から願った)


●オマケ・・・
白血病のことをそれまでは白血球が減少する病気だと思っていた。
それは逆で白血球が異常に増殖してしまう病気なのだ。。。。。
原因はまだわかっていないそう。。。
逆にもし「予防できる病気」だったらドナーになろうとは思わなかったと思う。
例えば、お酒の飲みすぎで肝臓が悪くなったらその人の自己管理の問題もある。
健康に気をつけていても、ある日突然発病してしまう、恐ろしい病気だ。。。
だから、芸能人やスポーツ選手も活動中に発病してしまう。。。
夏目雅子も公演中に倒れてしまったそうである。

最終同意面談へ

日本では、骨髄バンクによる骨髄提供をする際、配偶者あるいは両親の同意が必要だ。

私にとっては、これがドナー生活の山場となった。
最終同意面談まで1ヶ月ほど時間があるので、母親を説得することにした。
…海外は本人の意思で提供をすることができるのに、日本は面倒くさい…

父親は、ボランティア精神をすぐにわかってくれて、
「自分も歳が若かったら提供したかった。」と言ってくれていた。
母親は、「全身麻酔して、おかしくなったらどうするの」という感じだった。
私はもしかしたら母には同意してもらえないかもしれない、と思った。

最終同意面談には父に来てもらうことにした。
(コーディネーターのTさんには同意は得ている、と言ってある・・・ゴメンナサイ)

しかし、自分の精神衛生上、(患者さんのためにも)
100%悔いがない状態で手術を受けたいので、頑張って母を説得することにした。

もしかしたら、母は「事の事態」がまだよくわかっていないかもしれない。
そういえば、自分の意思を言っていない。。。

「せっかく、健康に生まれたのだから、骨髄提供したいんだけど」
と言った。

ラッキーなことになんど、NHKで「免疫」という特集番組の再放送をこの時期に
流してくれていたので、骨髄移植の必要性等を私にかわって丁寧に説明してくれていた。
神様っているんだな・・・と思った。

やがて、「人の命を救うというなら、とめることはしない。」と言ってくれた。
これで何の気兼ねもなく(?)骨髄を提供できる。

最終同意面談の日は、予定通り父に来てもらった。
他の人の体験談には、「重い空気が流れる」と書いている人が多かったが、
そんなことはなかった。

私もコーディネーターのTさんも弁護士も女性、調整医師と父親が男性だったので、
女性の方が多かったせいか、和やかな雰囲気だった。
弁護士さんからは、登録したきっかけを問われただけだった。
「ひとつ屋根の下」というドラマを見て印象的だった事などを話した。

ハンコを押すと、意思を撤回できなくなる。
しかし何の迷いもなく淡々と何通かの書類に署名・捺印した。


●家族の同意を得るには(ドナー候補の方へ)●

ドナー候補になってから、まず直面する問題がコレだと思う。
他の人の体験談も加えて、アドバイス・・・になればいいなと思って以下にコツを挙げてみた。


■自分の意思「提供したい」という思いを言う。

意外と表現していなかったりする。白血球の型が一致したから提供するように、
バンクからお願いされている(強制されている)ように家族から思われてしまう可能性がある。


■自分は健康だと言う。(心配を軽減させる)

■「赤の他人」に何でそこまでしなくちゃいけない、と言われた時・・・

→「赤の他人」じゃない。白血球の型が一致したのだから、
兄弟がもう一人増えたようなもの。兄弟が増えたことについて喜んでくれてもいいじゃない、と反論する。

(昔は日本は島国で皆がいとこだったそうである。白血球の型が一致したということは、
「時空を超えたいとこ」にめぐりあえたと思ってよい、とどこかのホームページに書いてあった。)

患者さんの親御さんからみたドナーは、もうひとり子供ができたようだ、と喜んでくれるそうである。

■もし私が白血病などの血液の病気で骨髄移植でしか助からないとしたら?と言う。

■心配してくれてありがとう、と言う。

あくまで喧嘩ごしにならないで、感謝の気持ちを述べながら、
説得すればわかってくれると思うのだが。
ドナー候補の皆さん、参考にしていただければと思う。

(図書館で借りて読んだ本。
ドナーに選ばれたときの気持ちなどが書かれてあり、
親しみを持って一気に読むことができた。)

術前健康診断

最終同意面談が終わってからが長かった。。。。
患者さんサイドからの連絡を待ち続けて、手術日は、5ヶ月以上後となった。

〜本当は、2ヶ月後の△月△△日の予定、と言われていたが
最終的な決定はまだだった。
その日を逃すと、仕事の繁忙期が来てしまい
「出来たら避けてほしい」と言っておいた期間にかかってしまいそうだった。
患者さんサイドはこれを聞いて遠慮(?)してしまったのか、
繁忙期を通り越した日程となった。〜

採取病院は有名なT大病院に決まり、手術日の一ヶ月半前に、
「術前健康診断」を受けることになった。

大きくて、キレイな病院。。。それだけでもかなり気分が良いものだ♪
病院に到着後、コーディネーターのTさんと共に総合受付に行き、診療カードを作った。
採取医師の血液腫瘍内科のY先生は、身体も声も大きくて、頼もしい感じの先生。
しゃべり方はゆっくりと丁寧で、すぐに安心した。
検査を先にして、結果が出てから手術の説明や今後の日程調整などをする事になり、
いったん診察室を出た。

T大病院は、移植コーディネーターという役割のSさんという女性もいて、
医師やドナーのフォローをしてくれる。さすが最先端をいってる病院だな、と感じた。

各々の診察室にてきぱきと案内してくれる。
私が診察室に入っているときは、同行してくれているバンクの
コーディネーターTさんと一緒に廊下のベンチで待ってくれている。

術前健康診断は、「採血」(←これはもう定番・・・)、
「身長、体重」「血圧」「採尿」「肺機能の検査」「心電図」だった。


●肺機能の検査

他の方の体験談を読んでおいたので、「一番大変!」と言われる「肺機能」の検査も、
一回でクリアした。
口に笛のようなものをくわえて、吐くと画面の折れ線グラフのようなものが下降し、
吸うと上昇する。
ちょっと面白い感じ。
でも、「吸って吸って吸って・・・」と言われている間は
苦しくても吸い続けなくてはならない。
これ以上吸えない、と思っても。。。
吐く時も同様。。。
担当の女性が、一緒になって吸うときは顔を上げて上体を反らしめにして、
吐くときは前かがみになって大げさなくらいに動作を行ってくれたので、
うまく出来たのかもしれない。
それを2回やって、画面に1回目と同様の軌跡ができれば、OKとなる。



それで油断したのかもしれない。。。


●心電図

担当の女性はたんたんと進めて、はい、結構ですと言ってくれたのだが、
Y先生の所へデータが届いた時、「上室期外性収縮」という結果だった、
と言われてしまい、日を改めて再検査となってしまった。

「今日は今後の日程を決められないなぁ」と言われて、かなりショックだった。
「まあ、この程度だったら大丈夫だとは思うけど、循環器科の医師の承認がほしい」
との事でその週の土曜日にまた病院へくることとなってしまった。。。

その日は外来の患者さんが多く、私もコーディネーターのTさんも1時間くらい
待たされていた。
仕事に行く時間が迫っていたのもあり、手術の説明も後日になってしまった。
先生は「こういうことは、急いでやるのではなくて落ち着いて進めたほうが良いから」と言っていた。
信頼できる先生かも。と思った。

帰りに病院の受付で会釈をしたら、「お大事にどうぞ」と言われた。
ドナーなのになぁと思った。
健康な人が病院にくることなんて、そうある事ではないので
ドナーの方でも患者さん扱いになってしまうとコーディネーターのTさんは言っていた。

再検査

T大病院は、第一、三土曜日の午前中はやっているので
平日の昼間働いている人たちにとっては助かる病院だと思う。
私は平日の夜勤のため、午前中の中でも遅い設定の11時にしてもらったのだが、
眠れなかった。

・・・本当は5時間は眠れたはずなのに、寝坊したらどうしようと思って
緊張して一睡もできなかった。目の焦点が合っていない状態だ・・・

それにしても、「循環器科」を受診するのは初めてだから緊張した。。。
ここまで来て「ドナー都合によるコーディネート終了」にはなりたくない、と思った。

コーディネーターのTさんも付き添ってくれた。
急に決まったことなのに、予定外のことにつきあわせてしまって、申し訳ない。
どうか、何事もありませんように。。。

循環器科の先生は、若くて芸能人のように整った顔立ちの人だった。
医者だし、モテモテなんだろな・・・と思った。

Y先生からまわってきたカルテを見て、「バンクドナー候補の方なんですね」
と言って、私を見た。
その視線は、私の背後にあるオーラを感じとっているかのようだった。。。
(自意識過剰かな・・・)

再検査といっても、前回の術前検診のデーターを見て、
もう一度心電図を測定する必要もないと判断されたようで、問診だけだった。

(先生)「20kg位の荷物を持って歩いても大丈夫ですか?」
(私)「・・・そんな重い物持ったことがないと思うんですけど・・・」

(先生)「階段を上っても息切れなどしませんか?」
(私)「2階くらいまでだったら大丈夫だと思います」

正直、2階でも階段はキライ・・・でもドナーになりたいために、許容範囲でしょう、
と思える範囲で返答した。
問題ないと思う、ということで無事、診察は終わった。

Y先生のところに戻り、手術についての話を聞き、予定を立てた。

私と白血球の型が一致する患者さんは、30代の男性で私より体重のある人とのことだった。

骨髄採取の予定量は、患者さんの体重によって決まる。
私から骨髄を採取してもよいと判断される量は、私の体重と血液のヘモグロビン値
で決まる。

術前検診で採血したデータにより、鉄は少ないが、ヘモグロビンは13.5で「優秀」
と言われた。
計算により、ほぼギリで骨髄移植が可能と判断された。。。

・・・私は運動をやめて、2年たっていたので10kgも増えていたところだった。。。
それが幸いしたのかもしれない・・・

採取予定量は、1050ccなので、自己血液(通称自己血[じこけつ])は2回にわけて
採ることになった。
1回に400ccまでと決まっているそうなので、(→献血も1回に400ccまでと
決まっているので)合計800ccを採って冷蔵保管しておき、手術の時に体内に戻す。

この日一番驚いたのが、骨に注射針を刺す予定の回数が200回とのこと!
笑うしかなかった。

数十回から百回以上と説明書に書いてあったので、多くても100回台内だろうと
思っていた。
採取の量が多いので、仕方ないとあきらめるしかない。。。

手術室を写した写真もプリントしてくれた。
最近の病院は、すべてパソコンで管理している。
自己血1回目と麻酔科の受診の予約もパソコンで処理された。
病院に来るときははじめに作ったカードを忘れずに持ってこなくちゃならない。
(カードを通すと、「来ましたよ」という合図にもなる。)

鉄分が不足気味なのと、自己血採血で一時的に血液をとるので、鉄剤を処方された。
帰りにコーディネーターのTさんも、ほっとした。と言ってくれた。

最近の出来事で、術前検診まできて健康上の理由でコーディネート終了に
なった人が居たから、とのこと。

いよいよ、骨髄提供できることになった。
待っててね、患者さん。。。



●先生に質問してわかったこと●

手術台は固いのか?
→エコノミー症候群といわれる血栓をふせぐため、マットのようなものを敷いている。

仰向けの状態からうつぶせの状態にしてくれる看護師さんはどれくらいの人数か?
→6人位とのこと。(本人は麻酔がかかっているから、思うとおりに動いては
くれないからだろう・・・)

自己血採血 1回目

自己血採血の時の「ポイント」が三つあると先生に言われていた。

1.睡眠をきちんととってくる。
2.食事を摂ってくる。
3.採血後は、激しい運動をしたり、重いものを持たない。余裕を持って行動する。

睡眠はかろうじてとってきたが、時間がギリになってしまったので、食事をせず家を出た。
途中で駅構内のおそば屋さんに寄って、おそばを5分で食べてきた。

今日は、他のドナーさんも自己血採血をする日なので、すれ違うかもしれないと
言われていた。
(この時期はドナーの人が多かったらしい・・・)

また、私が生理の日だったので、貧血で400cc採血できないと言われたら
どうしようかと思っていた。
(以前に献血に行ったときに貧血と低血圧で献血を断られたことが何度かあった。)

自己血は、バンクのコーディネーターの付き添いは業務には含まれていない
とのことで、一人で採血センターに向かった。

カードを通すとレシートのような番号札が出てきて、他に誰もいなかったためか
すぐに機械の声で呼ばれる。銀行などの窓口のシステムと一緒のようだ。

ここで試験管1本分の血液を摂られる。採血を何年もやっていそうな女性が
慣れた手つきで採血する。
データがパソコンのオンライン(?)にのって、Y先生が見れる状態になるまで
20分〜30分かかるそうだ。
その間に麻酔科を受診するという段取りである。

麻酔科を受診するのも初めてだったので少し緊張した。
カードを通すと、近くの受付の女性が「バンクドナーの方ですね。少々お待ちください。」といった。
広いロビーで待っていると、緑色のパジャマを着た男性が二人奥の診察室を
行ったりきたりしていた。
まさか、その人達が麻酔科医だと思っていなかったが、そのうちの一人に呼ばれた。
パジャマではなく、手術室での衣装のようだ。。。

小さい会議室のようなところで、一人は男性の看護師、一人は麻酔科医の先生で、
とても恐そうな感じの先生だった。

私のカルテを見て、小児ぜんそくを患っていたことを聞き、
幼い頃に完治していると言ったらオッケーの印のようなサインをしていた。

病院の移植コーディネーターのSさんは途中から登場した。

麻酔科受診が終了し、血液センターにむかう。
血液センターは、採血センターとは違って奥まったところにあり、ベッドも3つほどあった。
学校の保健室が広くなったような感じだ。

もう一人のドナーさんと思われる若い女性が母親らしき人とY先生としゃべっていた。
採血したあと、安静にしているように置かれたと思われるベンチに座っていた。

私は奥に通され、血圧を測った。
「血圧は低めですか?」といわれた。「よく言われます」と言った。
マジックでラベルにカタカナで名前を書いて渡した。血液の保管パックに貼るそうだ。

Y先生が現れ、あらかじめ言っておいた生理のことを言うと、鉄分の値は
ほぼギリで大丈夫だったようだ。
鉄剤を飲んでおいてよかった。
予定通り400cc採血をすることになった。
Y先生にも「血圧は低め?」と言われた。また「よく言われます」と言った。

ベッドに横になり、生理痛なのもありずっとこのまま横になっていたい気持ちで採血した。
この後仕事でパソコン(マウス)を使うので左腕からお願いします、と言った。
いい血管してると言われた。
採血している途中で最高血圧が85まで下がったそうだが、85なら自分にとっては
聞きなれた数字だったので終わってからも持ってきた爽健美茶を飲んで、
すぐ帰ろうとした。

生理痛がひどい方なので、クラっときたりするのは慣れていた。
移植コーディネーターのSさんが心配して、5m歩いてみて大丈夫だったら
行きましょうと言った。
先生は、仕事まで時間があるのだったら、何か食べたほうがいいと言った。
飲むだけだと、尿としてすぐ出ていってしまうそうだ。
空腹なのが一番いけないとのこと。
仕事まで時間があったので、帰りに喫茶店でケーキセットを頂いて職場へ向かった。

自己血採血 2回目

2回目も、ぎりぎりまで寝ていて食事をとらずに家を出たため、途中でまたおそばを食べて来た。
今日は、手術入院の前の最後の通院なので、病院での生活に向けて、
本屋さんやコピー機などをチェックする目的もあった。

移植コーディネーターのSさんも今日は不在だった。
そのため、私の保護者(?)は誰もいない。
400ccの採血が順調に終わった。
あいかわらず鉄分が少なめだったので、また鉄剤が処方された。

今日は事務的な手続きをする人がいなかったので、Y先生自らが会計と薬局に行き、
鉄剤を持ってきてくれた。
ドナーはお金を払わないので、会計処理についてはノータッチだ。
いまだにどんな処理になっているのかわかっていない。
帰りにコピー機や院内コンビニ、本屋さんに行ってどんなものが置いてあるかチェックした。


●先生に質問したこと●

■手術のときにコンタクトはつけたままでもよいか?

→コンタクトは外したほうがよい。
うつ伏せの状態になるし、麻酔の中に筋弛緩剤も入っているため、
まぶたが自然にあがってくることがあるそう。
眼球が傷ついたり乾いたりするのをふせぐために軟膏のようなものを塗り
テープのようなものを貼って眼にフタをするとのこと。


■造血幹細胞は、採取してみないとわからないそうだが、患者さんの望む量が
摂れない場合もあるか?

→これまでの経験でバンクドナーの人は、まず大丈夫とみているそう。
血縁者間で、お年を召した方から採取したときに、少なかったことはある。とのこと。


■もし細胞が足りなかったら、腸骨だけでなく、胸の骨からも摂ってもよいが。
(どうせ麻酔がかかっていて本人はわからないのだし。
せっかくの機会だから患者さんを助けるのを優先してほしい。)

→バンクドナーの人からは胸の骨から摂るようなことはしない。とのこと。


■造血幹細胞はどんな姿カタチをしているか?

→普通の細胞と同じようなカタチ。骨髄液の1%に満たないくらいの量とのこと。
骨髄液の中には幹細胞のほかにも幹細胞を助ける働きをする細胞もあるとのこと。

入院1日目(手術前日)

(入院初日の夕食。とっても低カロリーに
見えるが、これでも700キロカロリーを
超えていた。。。
普段、どれだけ脂っこいものを
食べているか反省、また反省。。。)


バンクドナーには、入院のためのテレビカード購入費やパジャマ代として5000円が
支度金として支払われる。

パジャマは手持ちの物にしたが、メガネを新調し15000円かけてしまったので、
そこでもうマイナス勘定となってしまった。
また、帰りは採取部位が痛んで重いものを持てないだろうと思って、
キャスターつきのバッグも購入(2500円)。
特に新調しなければゼロ円かもしれないのだが、人前で生活するとなると
結構かかるものだ。
こんな私はミエッパリなのか。。。

入院初日は午後2時半にバンクコーディネーターのTさんと病院の入り口で待ち合わせた。
姿が見えた、と思ったら誰か女性と話している。
後で聞いたらそのしゃべっていた方もバンクドナーで、自己血の日だと言っていた。
これで自分以外のドナーをみかけたのは二度目。
どちらも女性。。。女性のほうが多いのかな???

はじめに入院手続きをとる。簡単な問診?を受けた。
嫌いな食べ物、自分の性格や宗教まできかれた。
私は特に信仰を持っていなかったが、食事など関係があるようだ。

部屋はトイレつきの個室だった。12階で眺めがよい。
患者さんが費用を持つそうなので恐縮した。
きれいなだし、居心地が良い。患者さん、ありがとう。

今日はY先生の話と採血、麻酔科医の簡単な説明の予定。
Y先生が部屋に現れ、採血した。

別の小さい会議室で、今日から退院するまでの日程を説明された。
手術前から退院の日までほぼ決まったような言い方だったので意外だった。
3泊4日との事。
会社は5日間休みをとってしまっていた。
手術してみないとわからないんじゃないの???
世界で死亡事例が4件あるというのに・・・

日本でのバンクを介しての骨髄移植は年間あと少しで1000件に届くかどうかの
件数になったようである。
後遺症は数件あったようだが、確率的には低いと思う。

誰のせいでもない、万が一のことが起こった時のために、部屋を掃除してきたし
臓器提供カードも記入してきた。
(これを書いている今となっては、なんと大げさな事をしたんだろう、と
思っているが。。。)

その後、麻酔科医の人が部屋を訪れると聞いていたので待っていたが夜になっても
食事を終えても来なかった。
あとでわかったが、夕方に看護師さんが入れ替わりたちかわり挨拶に来たと思っていたが
その中のお一人、「中央手術室」の看護師さんがそうだったようだ。

てっきり、自己血1回目に会った「緑色の衣装」の男性医師か看護師が来るのかと
思っていた。
その日は皆、若くてかわいらしい看護師さんが訪れただけだったのでわかっていなかった。
ちょっとドジな入院一日目を終えて消灯時間がきた。

病院は朝6時起床、夜9時消灯である。

普段の夜勤の生活とは真逆だ。。。テレビも久しぶりに見た。
個室なので、音を小さくしてテレビを見ていた。
0時になったので電気を消す。しかし・・・
ちゃんと眠れるように「セルシン」を処方してもらって飲んだのに全然眠れなかった。

夜9時以降は絶飲食のため(翌朝は全身麻酔をかける手術のため)
空腹で目がパッチリしてしまった。
見回りに来た看護師さんにも懐中電灯で顔を照らされてしまった。
「早く眠れるといいですね」と同情もされてしまった。


●用意したもの●(ドナーの方、ご参考にどうぞ)

■身支度関係

→洗面具、下着、パジャマ
(トレーナーでも大丈夫だったが、点滴をつないだまま着替えることになるので、
前が開くパジャマのほうが良いかもしれない。)

■マグカップ

→食事前にお茶を入れてくれる。

■生理用品

→ドンピシャで手術日と重なる予定で心配だったが、3.4日遅れたので
入院中は必要なかった。(よかった。。。)
病棟でも用意してくれるので、持っていく必要がなかった。。。

■のど飴

→麻酔中に気管にチューブを通し呼吸を助けるそうである。
チューブを出し入れしたときにこすれてのどがイガイガする。
他の方の体験談を読んで10個以上用意したが、足りない位だった。

■レターセット

→時間をもてあます、ときいていたので患者さんへの手紙を書こうと思って用意してきた。
病気で辛い状態の人に送るので、なるべく気分が明るくなるようなものを選んだ。
男性への手紙なのに少し可愛いものになってしまった。。。

■臓器提供カード

→脳死、心臓停止した場合に臓器を提供するかどうかの意思表示カードで、
市役所に行ったとき偶然みつけた。
本人だけでなく親のサインも必要なものだったが自分のサインだけして手術にのぞんだ。


●忘れたもの●院内コンビニで買ったもの等

■耳かき
■爪切り
■洗濯洗剤(院内のコインランドリーで洗濯してから持って帰ったら、
帰宅後ラクだった。)

■食器用洗剤、スポンジ
(割り箸でもよいのかもしれないが、環境の事を考えてお箸を持っていった。
が、洗うスポンジや洗剤はなかったので、持参したボディソープで箸やカップを
手で洗った。

■パスネットや回数券など、帰りの交通機関の切符のかわりとなるもの
(手術後に腰が痛い状態で、3泊4日分の大きな荷物を持って、
改札の切符販売機で買うのはちょっとつらいと思われる。
バスもバスカードを持っていたほうがいいと思う。)

手術当日

病院の朝は早い。
手術が9時15分に始まる予定なので、8時45分くらいに支度をして病室を出る予定だ。

6時に採血をしに看護師さんが入ってきた。
電気を点けられ、目が覚めた。
もう採血は毎度おなじみの事。。。
トイレに行って、まだ生理がきてないことを確認した。よかった。
朝食はないし、洗面するくらいなので、目覚ましを30分後にセットし、もう一度寝た。
起きて洗顔をした後、看護師さんが手術着を持ってきた。


●身に着けたもの(手術前)●

■手術着(水色の、後ろであわせるワンピースのようなもの)

■弾性ストッキング(色は薄い肌色。太ももの上のほうまである長さで、
たしか血栓防止の為に着用。指先の部分はあいているので、ムレる感じはしない。
モダンバレエのダンサーがこんな感じのタイツをはいているので、ちょっとした
ダンサー気分)

■シャワーキャップのようなもの
(不織布でできた、薄緑色のもの。ムレは感じない。髪が完全にかくれなくても
良いみたいだった。)

■点滴
(血液内科の女医さんがつけにきたが、まっすぐな血管がなかなかみつからず、
大変だった。
4センチくらいの長さの点滴針を入れるので、4センチ以上のまっすぐな血管に通す。
血管が見えにくいので腕をパシパシ叩かれて右手、左手を何回かトライし、
ようやく成功させた。
手術前なので、麻酔を効きやすくする薬が入っていたと思う。)

■入院から退院まで手首に付けられる、患者識別用のバーコード・名前入りの腕輪(?)


[外したもの。。。]
●下着
●コンタクトレンズ


なんかスースーする格好だなあと思いながら待機していたら、麻酔科医を名乗る
女医さんが入ってきた。
「当日になってしまいましたが、今日担当させていただく○○です。」
と挨拶をした。
この前の(自己血1回目の)恐そうな男性医師でなくてよかった、と思ってしまった・・・

個室なので、携帯を使ってもいいと言われたので、彼氏にメール。
このメールが最後になりませんように。。。

看護師さんが車椅子を持って、迎えにきた。
他の人の体験談には、お通じがないと浣腸する、と書いてあったのを思い出して、
「お通じがないんですけどいいですか?」と聞いたら、内線電話で先生に確認してくる。
と言って出ていってしまった。言わなきゃよかったかな。
お通じはあったほうがよいが、なくてもいいと言われたそうで、ちょっとホッとした。
この病院にあたってよかった。

それともう一つ、よかったと思ったのが、「筋肉注射」もなかった事だ。
相当痛いと聞いていたので・・・。

特にふらついたりしていなかったが、車椅子に乗ることはめったにないので
遠慮なく乗った。
エレベーターで手術室に降りる。
他に手術をするらしい男性もおなじく車椅子にすわって看護師さんに押されている。
シンとしたエレベーター。
コンタクトを外したのでド近眼のため目がよく見えない。

手術室に到着。
ちょっとひんやりしている。
まだ準備中だったのでしばらく待機。
目がみえないのが残念だった。

手術台に乗る時がきた。
こんなにも目がパッチリ冴えた状態で、自分で手術台にあがる事になるとは
思っていなかった。
(点滴で眠くなって、寝てしまう人がいると聞いていたので・・・)

慣れた感じの男性と、慣れていない感じの男性が、心電図のモノ(名前は知らない)
をつけた。
多分大学病院なので、教えてもらいながらやっていた人は研修医だろうと思った。
昨日はよく眠れたか聞かれたが、「おなかがすいて眠れなかった」と正直に言った。
麻酔科医の女医さんが「たしかに絶飲食だし、眠れないわよね」と言った。
私の頭の上からの声だ。雰囲気は和やかな感じ。

点滴から導入剤(?)を入れられる。右腕がチクチクしてくる。
「右腕は痛くないですか?」と女医。
「チクチクしてます。」と私。
「じゃあ、そろそろ始めますね。だんだん眠くなります。」
私は、どれくらい起きてられるか目を開けようとしていたが、
誰かにまぶたを押されるような感じに、まぶたが重たくなった。

・・・

次の瞬間、
「○○(私の名前)さん、終わったよー」というY先生の声が聞こえた。
私は仰向けに寝ていた。

なんか、普通に睡眠をとった後のような感じがした。
のどがイガイガして声が出にくい。
目がべたついている。(軟膏を塗られてテープを張られたためだ。)
(前に予告されていたので、このことか。と思った)

口から酸素マスク?が外されたのも一瞬見えた。
「細胞は?(足りましたか?)」と私は聞いた。
「とれたよ。1040ccで済んだよ。あとでまた詳しく話すからね。」と先生。
ガラガラと病室に向かう。
「目が覚めて第一声目に細胞のこと聞くなんて、さすがだなあ」と感心されてしまった。
病室に到着し、自分がどんな状態になっているか確認した。


●身に着けて(着けられて)いたもの●

■浴衣(水色の手術着はいつのまにか外され、白い浴衣にかわっていた・・・)

■弾性ストッキング

■マッサージ器具(弾性ストッキングの上からひざ下の部分に、ふくらはぎを
マッサージする器具をはめられていた。プッシュー、プッシューと音を鳴らし、
空気の圧力でふくらはぎをマッサージしていた。)

■電気毛布(とっても寒かった。跡で電気毛布の設定を最強にしてほしいと頼んだ。)

■尿道カテーテル

■点滴(自己血の二袋目がまだ途中だった。)

■T字帯(白いふんどし)

■ナプキン(おむつくらい大きいもの)生理になる予定と言っていたから
つけてくれたのだと思う。)

■手首の患者識別用の腕輪


麻酔から覚めた時にどれくらい採取部位が痛くなるかわからなかったので、
相当覚悟していたが、それほどでもなかった。(生理痛のほうが痛い。)

固いものが採取部位にあてられている感じがした。横向きに寝たほうが楽かなと思い、
横向きになった。

術後にまた採血する予定だったので、寝ている状態で採血しようとしたが、
血液がぜんぜんとれなくて、メンバーチェンジと言って、
男性の看護師さんも来てトライした。
それでもダメだった。5.6回は刺された気がする。。。
Y先生も来て、「ここ(太く見える血管)もダメだった?」と看護師に聞いていた。

とにかく寒かった。
「寒いと血液がとりにくい」ということもわかった。
Y先生に手が冷たくてしょうがない、と訴えたら、先生みずからの手で
しばらく温めてくれた。

あと、のど飴を舐めてもいいかと聞いたら、しばらく考えて、
「いいでしょう」と言って、「どこにあるの?」と取ってくれた。
ゴミも捨ててくれた。

「骨髄は、向こうの病院の人が取りに来て、ちゃんと持っていったから」と伝えられた。
役目は果たしたのだな、と思った。

30分後に、ようやく採血できた。手は少し温まっていた。
しばらくして看護師さんがきて、尿道カテーテルをとった。
少し痛かった。。。
点滴もとりかえた。

もし起きれるようだったら、トイレに行ってみるかきかれたので
下着を持参してトイレに向かって歩いた。少し痛いがゆっくりなら普通に歩ける。
(個室にトイレが着いていて、とても嬉しい)
生理はまだきていないが、ナプキンがあてられていた。

おしりの上に固いものがあてられている。
腰痛の痛さに少し似ていたが、痛みの部分は、普段の腰痛より少し下。
ウエストとおしりのちょうど中間部分だと思う。
なんとかふらつくこともなくトイレをした。

着替えてみるかきかれたので、手伝ってもらいながら
持ってきたトレーナーとスウェットのズボンに着替えた。
今日は夜まで点滴につながれた生活だ。

今日の予定は、夕方にバンクのコーディネーターのTさんが
術後のアンケートをとりにくる。
彼氏も夕方に来る予定。
よかった、こうしてまた目が覚めている・・・

(個室なので、携帯のカメラでパチリ・・・
鏡に振り返っての撮影なので、
正面に撮れないのが残念・・・)


●意外に思ったこと●

うつぶせの状態で採取するときいていたのだが、麻酔中にうつぶせにされて、
採取後に麻酔がきいているうちに仰向けに戻されるので、自分では
うつぶせになった記憶がない・・・

もう一度寝る気にもならなかったので、テレビを見ていた。
ショムニの再放送をやっていた。

移植コーディネーターのSさんが具合を見に来た。
もう着替えていたので「状態は軽いほうですね、安心しました。」
といわれた。
何度もお礼を言われた。
Sさんに骨髄を提供したわけじゃないのに。

バンクのコーディネーターのTさんも「安心した」と言われた。
アンケートに、一番気になる症状の箇所には「のどのイガイガ」と記入した。
ここでも何度もお礼を言われた。
Tさんに骨髄を提供したわけじゃないのに。
しばらく話しをして、彼氏が来る前に帰った。

彼氏にはシュークリームやゼリーを頼んでおいた。
コンビニで買ってくるのかと思っていたら、専門店のものだったから感激した。
たくさん買ってきてくれたので、一緒に食べながら話をした。

途中でY先生が入ってきた。
「バンクドナーさんには頭が下がる想いだ。麻酔から覚めたばかりで
細胞のことをきかれた時は、医者になってよかった、と思った」とほめちぎられた。
先生にもお礼を何度も言われた。
先生に提供したわけでも、先生の受け持つ患者さんに提供したわけでもないのに。
私は寝ていただけで、先生は骨に何回も針を刺して疲れているでしょうに。
(採取は、先生ともう一人の医師で二人で行ったときいた)

採取量は1050ccの予定が1040ccだった、
骨に刺した穴の数は200回の予定が165回で済んだと教えられた。
(皮膚には左右3箇所ずつ、計6箇所)

彼氏もあまりにもほめちぎっている様子を見て笑っていた。
先生が出ていった後、「よさそうな先生だね」と言った。

その日の夜は点滴をつけながら夕食を食べた。
本当に無事でよかった。
患者さんがこれで助かるならおやすい御用である。

手術翌日

朝6時に採血の為起こされる。
入院中はお決まりの事のようだ。

今日は担当のY先生が居ない日なので、
創部(採取部位)の消毒を他の血液内科の先生がしてくれるそうだ。
マストの予定は、それだけ。

彼氏は午後の面会可能時刻から来てくれる予定なので、それまで患者さんに
手紙を書く事にした。
身体の状態は、点滴は昨夜のうちに外れたので、自由の身。
洗髪のみOKなので、夕方洗う事にする。

痛みは、腰痛が少し重くなった感じ。

朝食後、移植コーディネーターのSさんが様子を見に来た。
昨夜から食事はすべて完食していたので、安心していた。
痛み止めのロキソニンが処方されていたので、ガマンせずに飲んで下さい、と言われた。

朝の主婦向け(?)の番組を見ていたい気もしたが、手紙を書く事にする。
お互いのプライバシーを守る為、名前や採取した病院名、採取日付は
書いてはいけない事になっている。
(バンクで開封しチェックされてから患者さんサイドへ郵送される。)
あまり恩きせがましくならないよう、バンクに登録したきっかけ等を書く事にした。

血液内科の先生二人と研修医らしき人一人が、消毒しに来た。
痛みの程度を聞かれ、腰痛の重い感じ、と言った。
特に問題はないようだ。
固くないガーゼに変わったので少し身軽になった。

手紙の下書きを書いている途中で昼食が運ばれてきた。
手紙を書くのは数年ぶりだったので、なかなかすすまない。
昼食を終えて、下書きを書き終わったところで彼氏が登場。
夕食の時間までしゃべって、この後ヒマなんじゃない?と聞かれたが、
患者さんの手紙を完成させて、病院内を徘徊してるヨと言った。

思ったよりも忙しい一日となった。

手術翌々日・退院後



おっと、これは赤い「パンツ」ではなく、パジャマ替わりのフリースなのです。
(下着は隠しました(^^;)鏡を振り返って撮影したのでこれが精一杯(^^; 
手術の痕の大きさは、写真ではわかりにくいけど、
50円玉の穴よりひとまわり小さいくらい。
左右3つずつで、非常に見づらいけど、左右対称ではなかった・・・(^^; 
向かって左側はアーチを描いてるが、右側は(見づらいけど)直線だワ。。。
二人の先生が右と左それぞれ担当してくれたそうです。
半年位すればほとんどわからなくなるそう。 
でも勲章みたいに思えるので残っててほしかったりもする・・・)
・・・安産型の体型のせいか、採取部位が小さく見える・・・



手術翌々日、何事もなければ退院する日だ。

朝6時、採血のため起こされる。もう何度採血されたことか。
今日はY先生が採取部位の消毒と、血液の値をチェックする。

朝食後、Y先生現れる。
採取部位を「押すよー」と言って、指圧するように押したみたいだった。
押されると痛いが、声をあげるほどでもない。
「もう何も貼らなくていいけど、ちょっと心配でしょ」と言って、
またガーゼがついているカットバンのようなものを貼ってくれた。

血液の値も、白血球の値が基準より高かったが骨に穴をあけたのでこれ位は
想定内とのこと。
鉄分があいかわらず低いが、骨髄を採取したので仕方がない感じだった。
鉄剤をまた処方された。

次に病棟の受付事務らしき人と看護師さんが入ってきた。
「今日退院されますよね、これ病棟からのお手紙ですので読んでください。」
と封筒を渡された。
「???」なんだろう、と思って開封してみたら、
二つ折りの可愛いキャラクター入りのカードだ。

中を開けると、
「善意の贈り物をありがとうございました」という内容の文が書いてあり、
片側には骨髄液が入ったパックの写真が!!!
「頂いた骨髄です」
と書かれていた。

なんだかうれしくて涙がこみ上げてきた。
生理前後は特に涙もろくなるので、ボロボロ涙が出てきてしまった。
何の涙だったかはよくわからないけど。。。

これは私の宝物だ。

退院は午後一番という事にして、コインラインドリーで洗濯・乾燥をすませる。
お昼ごはんを病院で頂くと、患者さんの負担分が増えちゃうのか確認したところ、
食事は一日単位で計算されるので大丈夫との事だった。
ありがたく「タダ」で頂ける最後のご飯を食べた。
3泊4日の病院の食事の中で初めてお肉が出てきた。
それまでは魚中心だったので、少しうれしい。

バンクのコーディネーターのTさんが迎えにきてくれた。
患者識別用の腕輪を外してもらって、自由の身となった。
キレイで快適だった病室ともお別れ。
少し寂しかったが、これ以上患者さんの負担額を増やすわけにはいかない。

コーディネーターさんが荷物を持つのを手伝ってくれて、バスに乗った。
バスの座席まで荷物を運んでくれて、すぐ後に他のドナーさんが待っているからと
見送られることになった。
私の体調が何事もなければ、コーディネーターさんの顔が見れるのも最後になる。

なんだか燃え尽き症候群といったら大げさだが、バスが発車した後に
また涙がこぼれた。ようするに私は涙腺がゆるいんだな。。。
次に病院に来るのは、3週間後だ。
移植コーディネーターのSさんは、それまでにも具合が悪くなったら
連絡くださいね、と言ってくれた。
私は、退院日の時点でほとんど普通に歩けるくらいなので、
それはないだろうと思っていた。
普通にしてると痛みは感じられず、前かがみになるとお尻の皮膚が
ひっぱられて少し痛い、という感じだ。

・・・


●退院後に出た症状

自宅に戻って鏡を見ると、採取部位ではなく、お尻の割れ目の延長線上に
茶色いものが見える。
汚れかな?と思ってウェットティッシュでぬぐってみたが、とれない・・・
アザのようだ。
採取部位と同じように押すと痛い。
これはなんなんだ?
スポーツクラブなどの公共のところでシャワーを浴びると絶対注目される
・・・と心配になった。
採取部位じゃないから、皮膚科に行ったほうがいいのかな?と思ったりもした。
しかし自分でどこかにぶつけた覚えもないので、病院に電話してしまった。

移植コーディネーターのSさんに症状を話し、しばらく待つ。
保留音はなく、かるく受話器をおさえているようだ。
病院の医局は忙しそうな雰囲気に聞こえた。
Y先生ではなく、手術したもう一人の先生が電話に出てくれた。
「骨盤に針を刺したので、手術と関連があると思いますが、
だんだん薄くなるものと思われます。3日くらい経っても薄くならなければ、
是非診察をさせて頂きたいのでいつでもご連絡ください。」
というようなことを言われた。

バンクコーディネーターのTさんからのフォローアップの電話を頂いたときにも
アザの事を話した。
とても心配していた。
が、3日間たつと急速にアザが薄くなり、黄色に変化した。
なんだ、何も騒ぐ事はなかったんだ。
病院に電話する必要もなくなった。

皆さん心配かけてすみませんでした。。。

術後健診

手術から3週間後に予定していた術後健診。
健診といっても、採血して採取部位を先生に見せて終わりである。

骨髄ドナーとしての最後のイベント(?)となる。。。
そう思うとちょっぴり寂しい感じ。
居心地良い病院だったし。

血液の値や採取部位は異常なし。
先生に、手術前を百パーセントとすると今どれくらい? と聞かれた。
私は痛みはほとんどなくなっていたが、手術前にしていた腹筋運動が
しにくくなっていた
(上体を起こす時にちょうど採取部位が床に当たって痛い時がある)為、
『90くらい』と答えた。

あとになって、もう少し高めに行ってもよかったかな?と後悔した。
精神的には手術前以上に満たされていたので、
『身体的には今は90だけど、精神的には130です。』
と答え直したかった。

先生に、今度病気になったらお願します、と言ったところ、
『病気なんて、なるもんじゃないよ』
と言われた。
その時の顔の表情が、とてもとても苦しそうだった。
その表情は忘れられない。
健康には十分注意して過ごそう、と改めて誓った日となった。

術後半年

月日は流れ、骨髄移植手術から半年以上が経った。
もう献血をしてもよくなった(術後半年は献血をしてはいけない事になっている)。
フリードリンク目当てだけど、献血しに行こうと思う。
ヒールの靴で痛くなった足の休憩所としても利用できるので…

ある日、厚生労働大臣の名義で感謝状が送られてきた。
宅急便で、カレンダーを丸めたような形だった。
ちゃんとした黒い筒に入っていた。
ドナーとしては、
『こういう物にお金を使うより、病院に無菌室等の設備を増やし、患者さんがベストな環境で治療に専念できるようになることに使ってほしい』
と思う。

ブログの更新を怠っていた間に、患者さん側の方がこのブログを見つけて下さり、
嬉しかった。
しかしながら、骨髄移植を受けた事を後悔されている現実があり、
とても複雑な思いでいる。

「骨髄移植は100%の治療法ではない」と、どこかのページに書いてあった事を
思い出した。
採取した細胞が患者さんの体内で『生着』しても、その後に感染症などにかかり、
悲しい事になってしまわれた方がいらした。
心よりご冥福を祈ります。

年も変わり、そろそろこの体験記も締めくくりの時が来た。

骨髄バンクのコーディネーターさん、
病院でお世話になったお医者さん、
看護師の皆さん、
いろいろとありがとうございました。
それから職場の方々、一週間も続けて休みをとらせて頂き、ありがとうございました。
さらに自分の両親、骨髄ドナーになる事を承諾してくれてありがとう。

この貴重な体験は、何人もの人々に支えられたんだなぁと思う。
ひとつ、患者さんがその後、元気になられたかどうか、それだけがまだ闇の中である。

術後アンケートで、患者さんの移植後の状況を知りたいかどうかの質問があったので、
「簡単にでも知りたい」にチェックしておいた。
昔は、患者さんの経過を知ることが出来たようだが、
今は一切ドナーには知らせないようになっている・・・ウゥ〜、知りたい!!
でも、悲しい結末だったら知るのがコワイかもしれない・・・・・・・・・・・。

唯一、知ることができるきっかけなのが、「手紙」のやりとり
なのだが・・・・・・・・・。
術後一年以内に、2回まで、名前など個人情報は載せずに、という条件で
手紙のやりとりが出来る。
私は手術の翌日に書いてしまったので、返事を待つしかない。
あまり恩着せがましくならないように書いたのが失敗だったかな?
まぁ、無事に生きていてもらえたら、それでいいと思う。
以上で体験記を終わらせて頂こうと思う。
つたない文章を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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