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ドナー体験記



私が、骨髄移植というのを知ったのは、不幸な出来事を報じたラジオニュースから
でした。その時私は自営業でラジオを聞きながら仕事をしていました。
その出来事というのが、骨髄移植をした提供者が麻酔事故により死亡したと
いうものでした。
それまで、白血病やその治療法の骨髄移植のことは耳にしたかもしれませんでしたが、
この事故のことで骨髄移植のことを意識しだしました。
その当時、献血を50回近くやっていました。健康な自分が、
事故や病気にあった人たちを助けられるなら、手助けしたいと思っていました。
そのニュースを聞いたときに、白血病の治療には骨髄移植が必要なことと、
しかし一方で患者を助けることと引き換えに提供者が負わねばならないリスクが
あることを考えさせられました。自分ならどうするのか?
それは骨髄移植財団が生まれる前のことです。
そして財団が誕生し、骨髄移植についての情報がたびたび伝えられるようになりました。
当時、私は結婚していて、まだ幼い子供が二人いました。
骨髄のドナーになって万が一のことが起きたらと考えると、保険が必要でした。
しかし、その当時の骨髄移植で死亡保険金は5千万円でした。
その時点では、私はドナーになることを決断できませんでした。
それから、数年経ちました。子供が3人になったものの、末っ子も小学生になりました。
なによりドナーに登録することを決断させたのは、死亡時の保険金額が1億円に増額され、
そして、仕事量が減ってきて時間に余裕ができたことです。
2000年にドナー登録しましたが、最初どこで登録するのかを知りませんでした。
献血ルームにはよく行っていたものの、そこではおこなっていないようでした。
(現在は受付しています。以前はスペースが狭かったからかもしれません。)
CMで見たフリーダイヤルに電話して教えてもらったら、
福島県の場合は保健所で受け付けているとのことでした。
早速、保健所へ出向き登録手続きをしました。
ビデオを見せられてから、検査のため少量の血液を採る。
針を刺されるのは献血で馴れているので、かえってこれだけでいいのって感じでした。


登録してからわかったのですが、登録には制限年齢があって、
せっかく登録しても50歳の誕生日が来ると登録取り消しになってしまうのです。
自分では若いつもりでいたので、献血にしても骨髄移植にしても
年齢制限のことなど考えたことはありませんでした。
登録時は48歳で、あと1年半くらいしか残っていませんでした。
でも、ドナーが少なく、移植を希望される患者さんが多数おられると
聞いていましたので、白血球の型が合えば、すぐに移植へと
進んでいくのかなって思っていて、1年半もあれば、登録が
無駄にはならないだろうという気持ちでした。
しかし、ドナーの依頼の通知がくることなく、登録が抹消されました。
その後、ドナーになる資格を失ったものの、骨髄移植関連の報道
には目が向いていたのだと思います。
また、本田美奈子さんの死によって、多くの方が白血病や
骨髄移植について知ることになったのではないかと思います。
そして、ドナー登録の年齢が引き上げられ、50歳の制限が55歳になりました。
そのことを知ってすぐに再登録しました。
でも、制限緩和になってから2〜3か月経っていたでしょう。
5歳年齢が緩和されて再登録可能になる人たちは多くいたと思いますが、
そういった人へ何故すぐに連絡してこないのでしょうね。
広報も十分だったとは思えませんが・・・。


しかし、再登録するまでの間に私の事情も変化していました。
自営業の仕事が先細りになったので就職して会社員となりました。
自分の都合で休みを取れない環境になったわけです。
それでも、適合する患者さんが現れたら、ドナーになろうと思っていました。
そして、その時が来たのです。
2007年のある日、大きな封筒が郵便受けに入っていて、
骨髄移植推進財団の名前がありました。
えっと思って、何が書かれているのかすぐに封筒を開いて見ました。
移植の候補者に選ばれたので、今後の手続きや、移植候補者に
なることの意思の確認でした。
それに病歴や生活習慣などについて設問したアンケート依頼です。
これに回答する前に、先ずひとつクリアーしなければなりませんでした。
まとまった休みをとらなければなりませんので、翌日、社長に事情を
話して協力を得られるようお願いしました。幸いに、社長はすぐに理解して、
応援してくれました。ドナーになるなんてすごいねーとまで言ってくれて、
会社の朝礼では、私がドナー候補になったことを社員に話してくれて、
なんと金一封までくれました。
そのようなことで、私は財団へドナーの確認書とアンケートを返送しました。


この後、コーディネーターさんとお会いして、いろいろと話を伺うことに
なるのですが、わたしはこのようなホームページも見たことがなく、
骨髄移植の実際については何も知らないのでした。
数日して、コーディネーターさんから携帯に電話があり、
市内の病院でコーディネーターさんと医師の面接を受ける日程が調整されました。
その病院は移植を行う病院ではないのですが、移植実施病院は
福島県では県立医大のみになるため、検査等の便宜のため、
数か所、別の病院を指定しているようです。
医師による問診や血液検査があって、2〜3時間はかかります。
私の担当医は緊急の用のため2度中座してしまったので、
そのようなことも含んでおいたほうが良いと思います。
こういった確認や検査の日程は平日に行われました。
私が勤める会社は土日、平日を交代で出社しているので平日の休みは
取りやすかったです。ただし、忙しい仕事でしたので、
コーディネーターさんと約束した日を優先して休日に指定し、
残りを仕事というようにしていきました。
私は、タバコは吸いませんが、晩酌をします。
献血の血液検査結果をみると肝機能も悪くありません。
ただ、血圧の低いほうが、たまに100をギリギリ超えてしまいます。
献血の際も2〜3回計って90台が出てから採血します。
コーディネーターさんも血圧を確認することとなっているらしく、
何回も計り直ししました。
移植のことを考えると高血圧の薬は飲めないなと思っていました。
このときは仕事が忙しく、睡眠時間が少なくなっていたので、そのせいがありました。


ドナー候補者のいろんなデータが患者さん側の担当医に伝わった上で、
その担当医が候補者数人の内から最も適当な人と考えて
最終候補者を選ぶのだと思います。
コーディネーターさんが言っていましたが、他にも候補者がいれば、
私のような高齢の者が選ばれることはないだろうとのことです。
ところが、私が最終候補者になったのです。
じつは確認・検査があってから、最終候補者選定までの間が
予想外にあいてしまいました。
私には、患者さんの都合により採取実施日が延びていると連絡がありましたが・・・。
最終候補者になり、家族同意と本人の最終意思確認の通過儀礼があります。
私の家族は、妻とは離婚していたため、母親が同意書にサインしました。
母親は心配症ではありますが、私の決めたことにはしぶしでも納得して
くれるので問題はありませんでした。


骨髄を採取する病院と、患者さんがいらっしゃる病院は別にする
という決まりがあるそうです。
したがって、患者さんがドナーの近辺の病院におられると、
その病院以外のところで骨髄採取をおこなうことになります。
わたしの場合は、コーディネーターから採取病院を福島県立医大か
東北大学の付属病院でどうかと提案がありました。
どちらも骨髄採取に実績がある病院です。
福島県内のドナーでも仙台市の東北大学付属病院へ行かれる方も
少なくないとのことでした。
コーディネーターさんは、骨髄移植推進財団の各地の拠点に所属されている
ボランティアの方です。
私が住む郡山へは仙台市から車で来てくださっています。
そのこともあり、また、術後のことを考えると車より電車でと思い、
あとは駅からのバスの利便の良さを比べると仙台市のほうが良いと思いました。
あとは病院側と患者さんの移植予定日の調整待ちで、日程が組まれます。
たいがいは、3泊4日です。
東北大学では、火曜日入院で、金曜日の退院となります。
採取日が決まると、それに合わせて、手術の安全を図るための検査や、
自己血の採血をする日も決まります。
入院の1か月前にはその入院する病院で、麻酔科の医師の問診があり、
再度血液の検査や肺活量、心電図の測定などがあります。
また、2〜3週間前に自己血の採血があります。
採血量は、骨髄の採取量から決まります。
骨髄採取量は患者さんの体重により必要量が決まり、
それが、ドナーの体重で決まる骨髄の採取許容量の範囲内であれば
それが採取量になります。私の場合、患者さんの体重が40数キログラムのため、
骨髄採取量は600ccとなりました。
当初、採取量は約1000ccと聞かされていたので、思ったより
少なくて安心しました。
そのため、自己血の採血量は400ccで、採血も1回で済みました。
採血の日に指定の場所へ行くともう一人いました。
その方は、特別な血液の持ち主らしく、たびたび要請があって、
大学病院で献血しているそうです。
何度も、仕事を休んで献血されているそうで、
自分の都合のつく時間に献血している私と違い、とてもすごいなあと尊敬しました。


自己血の採血をする頃には、患者さんは、骨髄移植のために
自分の造血幹細胞を殺していく前処置にかかります。
そのため、これが始まると自身の免疫力が低下し、骨髄を移植しない限り
回復する手立てはありません。
つまり骨髄が移植されなかったら、患者さんは死を迎えるしかないのです。
この間に、ドナーが事故にあったり病気になったりして
手術日までに回復しなかったら、患者さんの命が危険になります。
私は、手術日まで禁酒することにし、自動車を運転する際には、
十分安全運転に努めました。
仕事で自動車を運転することもあったのですが、自分が事故を起こすだけでなく、
もらい事故にも気をつけようと周囲に気を配りながら運転していたので、
しまいには、なるべく外出する用事を出来るだけ少なくなるようにしました。


いよいよ入院の日がきました。
午後2時頃までに入院すればよいので、郡山駅までバスで行き、
新幹線で仙台市へ、そして駅前で昼食を食べてからバスで病院へと向かいました。
入院病棟のナースステーションへ出向いて病室へと案内してもらいました。
手術時に使うT字帯を売店で買っておくこととか、
入浴や食事の時間などの説明を受けます。
その後、看護婦さんが体温を測りに来て、さらに病棟の先生が様子を見に来ます。
検査の担当医の方とは別の先生です。手術担当の看護婦さんも来てくれます。
そのほかはすることはなく、健康体なので退屈します。
本を持っていくとかすると良いでしょう。夕食は思ったよりおいしく、完食しました。
病室は個室が空いてなければ大部屋になると聞いていましたので、
個室を用意していただいたことに感謝しました。入院した病棟は小児科で、
廊下で車いすに乗った子どもを目にしました。
これまで大病をしなかった自分が、それだけでも幸せなのだとつくづく実感しました。
この病棟にも白血病やガンと闘っている子供たちがいることでしょう。
私がドナーとなる患者さんは、大人の女性ですが、
お子さんがいらっしゃるとのことで、お子さんのためにも
お母さんが健康になることが出来れば良いなと思いました。


朝目覚めてから、手術室へ行くまでは何もすることがありません。
体温を測りに看護婦さんが来るくらいです。
病院の売店も8時になるまで開きません。売店が開くのを待って新聞を買いました。
9時になり、病棟の先生や看護婦さんと手術室へ向かいます。
車いすを用意してあったのですが、健康な体で車いすを
押してもらうのは気がひけるので、歩いていきました。
しかし、手術着を着て歩いていく姿のほうがかえって目立ってしまいました。
手術室の前は親族の方などが、手術室へ入る患者さんを見送るために
大勢いらして、そこへ、歩いて手術室へ向かう私は変に思われたでしょう。
手術室の前室に入ると、昨日挨拶にこられた看護婦さんがいらして、
ストレッチャーに上がるよう促され、麻酔導入の注射をします。
そして、手術室へ運ばれ、麻酔ガスのマスクをあてられ、
数をかぞえてくださいと言われましたが、1.2と数える間もなく意識がなくなりました。
次に目を覚ましたのは、病室に運ばれ、○○さんと呼ぶ声と共に
頬っぺたをパシリとされた時です。
もう終わったというより、何も覚えていない間に済んでしまうのか
という全身麻酔のすごさに感心しました。
まだ、腰の部分の麻酔が効いているので、痛みは感じませんが、
体を動かす気力もありませんでした。
腕には点滴の針と尿道にはカテーテルが入っています。
意識がない間に全てやるべきことがやられていました。
医師からは骨が硬くて骨髄採取に案外時間がかかりましたと言われました。
看護婦さんからは、今はまだ麻酔が効いていますが
後で痛くなったら座薬をいれますので、呼んでくださいと言われました。
手術前の緊張が一気に解けて、ベッドの上で再び眠りに入りました。
夕食後も、眠っていたら、10時頃から傷口周辺が痛みだしたので、
座薬をいれてもらいました。


翌朝にはひどい痛みはなくなり、体調は戻りつつありました。
ただ、点滴とカテーテルが入っていました。
看護婦さんが様子を見にきた時にカテーテルを外してくれるよう
頼んでみたら、すぐに外してくれました。
もっと早くに頼めば良かったかなあと思いました。
点滴も終了次第、外してもらいました。
自由に動けるようになり、売店に出かけたりしておやつを買ったりと、
まだ多少傷口が痛むものの、無事に手術が終わって良かったなあ
という思いと、患者さんへの移植がうまくいってくれますようにという願いで、
普段はあまり感じない充足感で、病院での休日を楽しんでいました。
ただ、廊下に出ると病気の子供や、その子を見守る親御さんたちがいらして、
病気と闘わねばならない家族を間近に見ると、
また、さらに自分が出来ることはやっていかねばという思いでした。


退院の日となりました。
もう、普通に歩いてもズキンとくることもなく快方に向かっていました。
看護婦さんから消毒薬剤を受け取り、使い方を教えてもらいました。
他に、抗生物質の内服薬を受取り、退院しました。
傷口周辺は多少盛り上がっていましたが、
バスや新幹線に乗っても痛みを強く感じることもなく、
時折鈍痛はありましたがこんなものだろうなという思いでした。


2週間後に、また同じ病院で検査を担当していただいた先生のところで
血液と尿の検査を受けました。
また、東海大学の研究室で骨髄移植の実施成績のデータを
取りまとめているとのことで、そのために血液を採取して送ることに
協力してもらえるか依頼があって承諾しました。
その頃の体調は、多少盛り上がっていた傷口も左側はだいぶ治っていました。
右側のほうは固くなっていて、時々強くはないものの痛みがあります。
骨が硬かったため力を入れて針を刺したためでしょうか。
しかし、退院の翌日から仕事をしていましたが、デスクワークには支障は
ありませんでしたし、骨が硬いというのはある意味健康なのでしょう。
実は、祖父や父も骨太でそういう体質を受け継いだのでしょう。
献血をしても事前の検査ではねられることがないのも、
骨が丈夫で造血幹細胞が活発なのでしょうね。
後日、血液検査の結果を知りたいと思ったので、コーディネーターさんに
連絡して送ってもらうようお願いしました。
その結果は通常の献血をした際の結果とほとんど変わりありませんでした。
2週間でほぼ元の状態近くまで造血機能が回復していました。


私が退院してすぐに、骨髄移植推進財団を経由して患者さんから
お手紙をいただきました。
そこには、その患者さんが移植治療を決意するまでのお気持ちと、
私への感謝の言葉がつづられていました。そのお手紙を読みながら、
ぼろぼろと涙がこぼれました。
きっと、前処置にはいる前にこのお手紙を書いておかれたのだろうということと、
きっと不安な気持ちは私以上であっただろうにと想像して泣けてしまいました。
また、小さなお子さんのために健康になろうというお気持ちで
病気の治療を頑張られているとのことでした。
私も返事を出すことにして、身元や住所がわからないような内容にして、
財団あてに送りました。患者さんからいただいたお手紙は、私の宝物です。
後に厚生労働大臣の感謝状が贈られてきましたが、このようなことを
するならもっと患者さんにたいしての支援を増やしていただきたいものだと思います。
病院の先生から聞いた話だと、白血球の型が一致するということは、
5000年位昔では患者さんと私の祖先は、相当に近い血縁関係に
あったのだろうということでした。そうすると5000年を経た現代において、
遠く離れながらも助け合う関係が再び生まれたことになります。
非常に感慨深いものになりました。


骨髄移植から1年以上が経ちました。
歳のせいか血圧が高めになってきているので、降圧剤を服用しながらも、
献血を依然と同様に続けています。
現在は献血基準も1種類の降圧剤だけであれば採血可能になっています。
移植から半年は献血できません。
といってもそこまで待たなくても十分回復していると思うのですが。
その後4回献血しました。
一時2種類の降圧剤を服用していたので、間隔が空いてしまいました。
思えばコーディネートが始まった時には、55歳の誕生日が間近になっていました。
まさにすべりこみセーフで、このような例はコーディネーターさんも
珍しいと言っていました。
財団に登録して10年位何も連絡がこないという方も多くいらっしゃるとのことです。
私には今回の骨髄提供が最後になりますが、
ドナーに登録するまで慎重になりすぎて、登録が遅くなったことへの反省や、
年齢制限の緩和がもっと早く実現すれば良かったのにという思いがあります。
財団へのドナー登録は地方によって人口比率に違いがあります。
私が住む福島県は登録人口比率が高いとのことです。
一方都市部では、人口の割に登録人数は少ないそうです。
しかし、東京ではボランティア団体が休日での登録会をおこなっているとのことです。
ボランティア団体の活動が活発なのはやはり都会ならではのことと思います。
コーディネーターの中には男性の方もおられ、ドナーの経験者も
いらっしゃるとのことなので、私もできうる限りそのような活動をしたいと思っています。


白血病の治療で骨髄移植が成功して、健康を回復される方の率は約半分と聞いています。
私が骨髄を提供した患者さんが、今どういう健康状態にあるかは伺い知れません。
容態の回復まで2年を要する場合もあるそうです。
まだ、つらく長い治療を続けている最中かもしれません。
しかし、骨髄移植が数多くおこなわれ、研究が進んで、より良い治療結果が
得られるよう、骨髄移植という医療にかかせないドナーが
これからも多く出てきていただきたいと切に願うばかりです。
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