ドナー体験記

骨髄移植ドナー体験記
さいしょに

ある日、郵便受けに大きな封筒が入っていました。その日から、私は骨髄移植のドナーという貴重な体験をさせていただくことになりました。
この体験の途中で、たくさんの方々のホームページを読ませていただきました。そのなかでも、同じドナー体験のホームページは特に興味深く読ませていただきました。
そして、自分の体験も形に残して、なにかのお役にたちたいと思い始めました。本当は末っ子の面倒くさがり屋、おまけにアナログ人間の機械音痴で、こんなことをするようなキャラではないのです。(メールもBBSないのは、そのキャラゆえ管理ができないからです。)

私の骨髄移植のドナー体験は、あくまでも私個人の体験です。すべてのドナー体験者に当てはまるものではありません。
また、骨髄提供をすすめる意図は全くありません。できれば、クールな目で読んでいただきたいと思います。熱いハートとクールな判断による自己決定。骨髄提供はそれが大切だと思います。

1.骨髄バンク登録

☆ 登録、ついでに献血

骨髄バンクに登録したのは献血ルームでした。
最初、なにやら書類を書いたような気がします。次に献血ルームの一角に小さな個室があって、そこでビデオを見たと思います。ビデオの内容はよく憶えていません。そのビデオを見た後、看護師さん(だったと思う)の説明を聞いて、書類に書き込みました。

10mlほどの採血があるということでした。どうせ腕に針を刺すなら献血しようということで、ついでに200mlの献血をしました。(針を刺したのは一回)
骨髄移植のドナーカードをもらいました。(いや、カードは後から郵送されてきたんだっけ??)


☆ 家族の同意

実は昔のことで、登録のときのことをあまり憶えていないのです。
印象に残っているのは「家族の同意」をやたらに強調していることでした。登録だけだから家族に話す必要もないと思っていました。しかし、あまりに強調していたので、その日の夜、連れ合いに登録したことを話しました。連れ合いの反応は「あ、そう」という程度でした。私も詳しくは話しませんでした。まあ、登録だけですからね。
特に記憶に残らない一日でした。


☆ 献血ルームは素適なところ

ただ、献血ルームは印象に残っています。きれいで、広くて、明るくて、清潔で、ベッドはテレビ付のリクライニングでした。それに、ソフトドリンク飲み放題、クッキー・ドーナツまである。すべて無料です。
「買い物して歩き疲れたら、お茶するのは献血ルームがタダでいいなあ。たくさんの若い女の子が献血していたのは喫茶店がわり?献血は献血車じゃなく献血ルーム」などと思ったことをはっきりと憶えています。
しかし、私はその後、持病の十二指腸潰瘍が再発し、そこで再び献血することはありませんでした。

2.ドナー候補に決定

☆ 大封筒届く

登録してから定期的に骨髄バンクの刊行物や葉書が郵送されてきました。(ごめんなさい。ほとんど読まずに捨ててました。)4〜5年たったある日、郵便受けに大きな封筒が入っていました。
そのなかには「あなたはドナーの候補のひとりとなりました。提供の意思に変わりありませんか?」という内容の手紙と「数ページにおよぶ問診票」「確認検査病院リスト」「『骨髄提供者となられる方へのご説明』という30ページほどの冊子」が入っていました。


☆ ビックリ、ワクワク

最初の感想は、私と同じHLAの人がいたということにビックリしました。次に湧いてきたのは、これからはじまる未知の体験にワクワクするといった感じです。よく考えると「ワクワクする」って不謹慎ですね。レシピエントさんは生命の危険を覚悟で移植を受ける決心をしているのですから。
しかし、そこに思いを寄せられるようになったのはずっと後です。このときの私の気持ちは、正直に言って「ワクワクする」だったのです。


☆ 夫の反応

連れ合いの帰りを待って、送られてきた書類を見せ、提供したい意思は変わらないことを話しました。連れ合いは変な表情をしたまま何も言いませんでした。私の性分を知っていますから、何も言えなかったのかもしれませんね。候補になっても実際にドナーに選ばれるどうかわからないことを強調し、「提供の意思あり」に○をつけました。
冊子を連れ合いに渡し、読んでもらうことにしました。


☆ 昔の針事故

私は20年ほど前、短期間、看護師をしていました。そのときに針事故を何回か起こしていました。針事故というのは、患者さんに使い済みの注射針を、誤って自分の指に刺してしまうことです。
その頃、C型肝炎ウイルスは発見されておらず、非A非B肝炎といわれていました。自分に刺してしまった針が、C型肝炎の患者さんのものだったかどうかはわかりません。
問診票には「他人の使い済みの注射針を誤って自分に刺したことがあるかどうか」という質問がありました。
そういえば看護師を辞めるとき、消化器内科の医師に「肝炎患者の血液をたくさん扱ったから、今後、献血はしないほうがいい」と言われたことを思い出しました。当時は、検査の方法はありませんでしたから。
その後、C型肝炎の検査方法が確立して、私も検査を受けました。幸い感染していませんでした。針事故のことなど思い出すこともありませんでしたから、この質問には戸惑いました。

問診票は健康状態と感染症に関する質問が中心でした。全部記入するのに20分ほどかかりました。感染症・持病・外国渡航暦のない人は数分で書けるでしょう。


☆ ナイスの時期

骨髄バンクに登録したあと、私は十二指腸潰瘍が再発ました。その後も何度か再発を繰り返し、主治医に「このペースで再発繰り返すと、10年後には通過障害だよ」言われ、一大決心しました。
ピロリ菌を除菌し、大幅に生活を改善しました。お酒禁止、暴飲暴食禁止、満腹禁止、間食禁止、塩分・脂肪をひかえ、外食をやめ、消化のよい和食中心の食事にしました。規則正しい生活、毎晩10時前に就寝、仕事も変えました。
そして、そこそこいい体調を維持していときに「ドナー候補に決定」の大封筒が届いたのです。これが一年前だったら、どうだったでしょう。提供は無理でした。潰瘍の薬を飲んでいましたから。


注:HLA
血液型ではA・B・O・AB型やRH(+)(-)がよく知られています。これらは正確にいうと赤血球の型です。同じように白血球にも型があって、それをHLAといいます。HLAの型が一致しないと骨髄移植ができません。一致する割合は、兄弟間で4分の1、非血縁者間では数百から数万人分の1だそうです。

注:レシピエントとドナー
臓器移植に際して、臓器の提供を受ける人のことをレシピエントといいます。これに対して、臓器提供する人をドナーといいます。

3.担当コーディネーターさん

☆ コーディネーターはAさん

問診票などを返送したあと、すぐ、またお手紙が届きました。「担当のコーディネーターさんはAさん」というお知らせでした。
コーディネーターというのは、ドナーと医師・病院・骨髄バンクの事務局などとの連絡調整をする人のことです。採取後も完全によくなるまで、お付き合いくださいます。


☆ 首と腰の痛みはどうですか?

ほどなく、Aコーディネーターさん本人からお電話いただきました。ごあいさつのあと、問診票についての確認がありました。特に詳しく聞かれたのは針事故のことではなく、首と腰の痛みのことでした。
骨髄バンクに登録した翌年のことです。原付バイクに乗っていて、乗用車の横っ腹に突っ込んでしまったのです。(悪いのは左右確認と一旦停止を怠った乗用車側です。)
乗っていたのは会社の原付バイクでしたが、廃車になりました。むち打ちで半年ほど病院に通いました。思うように動けなくて鬱々としていたら腰まで痛くなりました。今でも寝違えたような頸部の痛みがあるのです。

全身麻酔で挿管するし、採取時の体位がうつ伏せ、骨盤からの骨髄採取なので、肩こりや腰痛のチェックは厳しくしているということでした。


☆ レシピエントさんはどんな人?

Aコーディネーターさんは、レシピエントさんとは全く接触がないそうです。名前も顔も知らないそうですし、知らされることもないようです。レシピエントさんと知り合いになってしまうと、どうしても助けたくなって、丸め込んじゃったり、無理強いしたりしてしまうから?かな?
反対に、レシピエントさんとそのコーディネーターさんは、私の名前も顔も知らされません。ドナーを守るため、だそうです。ただ、最終同意後、レシピエントさんの住んでいる方面とだいたいの年齢、体重は教えてもらえるそうです。
体重って何で?思ったら、骨髄採取の量が患者さんの体重で決まるからだそうです。「こどもが患者だと悲しいから、おとながいいな。骨髄たくさんあげてもいいよ。」と思いました。

4.調整医師さん

☆ 確認検査病院決まる。

確認検査といって、健康診断と感染症の確認、DNAのタイプなどの採血検査があります。その検査の結果、最も良いドナーを選択・決定します。確認検査はつまり、オーディションみたいなもんでしょうか?ちがうか?
最初に送られてきた大きな封筒のなかに病院のリストがはいっていました。私は家の近所の病院を希望しました。家から自転車でいけるところです。確認検査の病院は、そこに決定!
でも、誰でも希望がかなうようではないようです。病院はどこでも混んでいるし、医師は忙しいですから。


☆ 調整医師

調整医師はB医師ということです。調整医師は最終同意までの医学的な問題に対応します。

骨髄採取を行う医師は、別の病院の別の医師です。何で最終同意までの医師と実際に採取する医師が違うのか?セカンドオピニオンじゃないけど複数の医師に診てもらうほうが確かに安心。
それに、採取をやりたくてしょうがない医師だと、うまくドナーを丸めこんじゃうかもしれない?からかな?確かに検査や手術をやりたがる、「実績積みたい」とか「手術大好き」とか「自分の得意技を披露したい」医師っていました。その医師たち、患者さん丸め込むのがうまかったー???(これは20年前のお話しです。今は知りません)


☆ おなじみの病院

その病院のすぐ近くに図書館があります。当時無職だった私はその図書館に入り浸っていたのです。お昼、自分のつくったお弁当をその病院の中庭で広げて食べたりしていました。おなじみの病院です。

5.家族の同意

☆ う〜ん、このビデオはわかりやすい!

骨髄移植に関するビデオを郵送していただきました。もらえるのかな?と思いましたが、返却して下さいと返信用封筒が入っていました。日曜日のお昼ご飯のあと、連れ合いとビデオを見ました。これがわかりやすい。


☆ 意思を尊重する。

冊子もビデオもはっきりと数字を示してリスクを説明しています。
最終同意の面接では、連れ合いに仕事を休んでもらって、同意書にサイン・捺印してもらわなくてはなりません。連れ合いの気持ちを聞いてみました。もともと無口な人なので沈黙の時間の方が多かったかな。
表情は硬い。その硬いままの表情で、最期は「本人の意思を尊重するのがいいんだろうな。」と言いました。


☆ 申し訳ない。

なんだかその表情を見ていると申し訳ない気持ちがしてきました。
「生命に関わるリスクがゼロではない」という言葉はとても刺激的に聞こえます。大変な決断をさせているような(実際、させてるんだけど)、また、私の道楽に巻き込んでしまったような(実際、巻き込んでるんだけど)。反論できない状況に追い込んでいるような気がしてきました。
連れ合いの表情を見て「理屈は抜きで、最終同意の土壇場で断るものありだから」と言ってしまいました。本当は「絶対反対しないで」と言おうと思っていたのですが。
連れ合いはコーディネートを進めてもらうことを了解してくれました。


☆ なんで家族の同意がいるのかな?

家族が最終同意書にサイン捺印しないと、本人がいくら望んでも提供はできません。外国では、本人の意思が明確であれば、家族の同意は必要ないようです。家族の同意は日本特有のもの?らしいです。そういえば、脳死のときの臓器提供もそうですね。日本ってそんなに家族中心かなあ。
なんで?と私は思います。本人の意思より尊重され優先される「家族の同意」ってなに?それよりも、本人の意思よりも強いものがあっていいの?そんなものを認めてもいいの?(あくまでも私の個人的な意見です。)

6.確認検査

☆ 検査の前に面談

病院の玄関でAコーディネーターさんと待ち合わせしました。B医師とも実際お会いするのは初めてです。
外来の診察室で面談しました。最初Aコーディネーターさんが「骨髄提供者となられる方へのご説明書」の冊子に沿って説明し、次にB医師が同じ冊子に沿って医学的な説明をしました。
このお二人の語り口、本当に“たんたん”としています。熱く語ることもなく、強く勧めることもなく、自分の判断や感情を入れず、データに基づいた客観的な話をするのみです。


☆ はじめてのインフォームド・コンセント体験

「こういうのがインフォームド・コンセント注っていうのだろうな」って実感しました。福祉関係の仕事をしていたとき、受診の付き添いをよくしました。
いかに普段の病院が説明をしないかがわかりました。日常の生活でも、こんなに時間をかけて説明を聞いたことはありません。マンションを買ったとき以来かな?

しかし、説明を詳しく聞けば安心するというものでもないですね。私は病気じゃないので決断は簡単です。「する」か「しないか」の二者択一。
しかし、自分が病気で、複数の治療法や成功率・リスクを数字で示されて、「さあ、自分で選んで」と言われたら・・・。これはつらい。「詳しいことはいいから、先生お任せします」って言いたくなります。これからの時代こういうことにも慣れておかなくてはいけないですね。

面談終了時、「確認検査の同意書」なるものにサイン。検査の結果を知りたいかどうかにもサイン。何にでもサイン、サイン、サイン。サインが多い。

注:インフォームド・コンセント(informed consent)
医療者が患者に代替案も含めた充分な説明を行い、患者の納得の上で治療を行うというものである。informed consentの訳語としては「納得同意」「充分な情報を与えられた上での合意」「説明と同意」などのものがある。インフォームド・コンセントを適切に行うことで、患者の自己決定権を尊重することができる。(弘文堂、社会福祉辞典より)


☆ 採血と診察

検査を受けるかどうか、検査結果を自宅に送るかどうかということにも同意書があることに、ちょっとビックリでした。
同意して、採血と診察です。小児科外来だったので大人用の血圧計がみつからず、看護師さんが探し回っていました。
さすが小児科医!B先生、採血上手。20ml程度の採血。


☆ 気になるのは感染症

このときは体調もよく検査結果には自信ありました。身体は完璧なはず。しかし、気になるのは感染症です。HIVは?いやいや連れ合いを信じましょう。


☆ 自転車とばすのやめよう。

交通費も出るのですが、私はその日自転車だったので支給はなし。もし、帰りに交通事故に合ったら骨髄バンク傷害保険の対象になるということです。
帰り道の夕方、トラックもガンガン走る某幹線道路の車道を自転車でカッとばしながら「しばらく自転車とばすのはやめようかな」と思ったのでした。

7.最終的なドナー候補」に決定

☆ 確認検査の結果届く。

検査の数日後に結果が郵送されてきました。感染症はすべて陰性でした、よかったよかった。


☆ 最終オーディションに合格

検査結果が届いた数日後にお手紙が届きました。「最終的なドナー候補となりました」と書いてありました。


☆ 最終同意の面接日を決める。

ほどなくAコーディネータさんからお電話がありました。提供意思の再確認と最終同意の日程の打ち合わせです。私は当時まだ無職でしたからいつでもOKです。
問題は連れ合いです。連れ合いの予定を聞きAコーディネーターさんにお知らせしました。面接日が決まりました。


☆ Hb上げるぞ!!

検査結果のすべてのデータが正常範囲内。完璧!と思ったら、Hb(血色素量)が正常範囲内ながら下限ぎりぎりだったことがちょっと不満。
これが元看護師魂に火をつけた?さっそく『貧血の人の食事』『食事で鉄分をとろう』おまけに『食品成分表』という本を買いました。そういえば昔、普通食に貝の煮付けがついているのを「貧血食」って呼んでいました。
焼き鳥のレバーたくさん食べました。貝類、豆腐、海藻、菜っ葉もたくさん食べました。もともと小松菜と油アゲの煮物が大好物で、よく食べました。一把ぐらいあっという間に食べちゃいました。
食事にテーマがあると内容が充実します。お腹の調子も体調もぐっとよくなりました。

8.「ドナー」に決定(最終合意)

☆ 面接は深刻な雰囲気

最終同意の面接には、Aコーディネーターさん、B医師、連れ合い、私、弁護士さん(第3者の立会人)の5人が参加しました。場所は確認検査を行った病院の会議室(のような部屋)でした。

冊子を見ながら、順番にAコーディネーターさん、B医師が説明しました。内容は確認検査のときの面談と同じです。私は、またまた同じ話で少々うんざりでした。
しかし、連れ合いははじめて専門家の方たちのお話を聞きます。

Aコーディネーターさんが「今日、お話を聞いてお断りになられても一向に構いません。そのための面談なのですから」とはっきりとおっしゃってから始まりました。相変わらず、説明の語り口調はメたんたんモとしています。
面談は深刻な雰囲気で、粛々と進んでいきました。


☆ 最終同意はとても大切

1時間以上かけて、詳しく説明されます。
最終同意書にサイン捺印したら、あとは撤回できません。
最終同意後、レシピエントさんは私から骨髄をもらえることを前提に、自分の骨髄機能がゼロになるまで抗癌剤・放射線を使います。骨髄をもらえなかったら生命にかかわります。最終同意は非常に重要なのです。


☆ 弁護士さん

最終同意の面接には弁護士さんが同席しました。「骨髄提供が無理じいされたものでない、自発的な意思であることを確認するため」です。
弁護士さんは、AコーディネーターさんやB医師の説明をききながら、チェックリストのような書類にチェックしていました。
説明が漏れていないか確認するマニュアルがあるようです。それにしても細かいチェックリストでした。(おいおい、私は説明も聞かずに何を見てたんだ?)

弁護士さんは連れ合いと私に2、3質問もなさいました。最終同意が撤回できないことを強調され、よく考えるようにとも促されました。
なるほど、人権を守るのは弁護士さんの仕事ですね。


☆ 連れ合いの質問

連れ合いがいろいろと質問しましが、さすが理系、質問が冷静で理論的。私は元看護師とはいえ、長く論理的な世界で働いていないので・・・社会学系の混沌とした思考回路なのです。
なるほどと感心しました。契約をするときは、こういう視点からも確かめなきゃいけないのね。勉強になりました。
そして、連れ合いの質問に対してのAコーディネーターさんB医師の答えは明確でした。様々な質問に答えられるよう万全という印象でした


☆ ドナー候補からドナーへ

さて、前にも書きました通り、詳しい説明を聞いたから安心できるというものでもありません。同意書を前に実際にサインとなると何か構えてしまいます。
マンションを購入の契約書にサインするときのようでした。ん千万円のローンを組むのも、ある意味「人生を賭ける」ようなものです。(ローンを組んだのは、私じゃなく連れ合いだけど)
連れ合いが「理屈じゃない、いやなものは嫌!」と言い出さないかとびくびくしました。しかし、連れ合いは冷静でした。
そして、クライマックス。私と連れ合いが最終同意書にサイン・捺印し、私は「最終的なドナー候補」から「ドナー」になったわけです。


☆ まわるお寿司

面談の時間はたっぷり2時間。疲れました。それにお腹が空きました。帰りに回転寿司を食べました。
私の道楽につきあわせて、会社を早退し、面談につき合って、同意書にサインまでしてくれた連れ合いに感謝感謝。お寿司もおごってもらって感謝感謝。久しぶりの外食がお腹にしみました。

9.実家の反応

☆ 実家の母には・・・・

私には遠く離れた田舎に母がおります。最終同意には連れ合いがサインすればいいので、実家の母には骨髄提供のことは内緒にしようと思いました。
しかし、Aコーディネーターさんから、入院することだし内緒はよくないのでは、というアドバイスをいただきました。
確かに、入院が長引く人もいるようです。それに、何かあったとき責められるのは連れ合いです。これは私の意思だということを実家にはっきり説明しておくべきでしょう。
しかし、直接母に話せればよいのですが、なんせ実家は遠い。電話で突然驚かすのは気が引けるし。ということで、母と同居している兄に、いい頃合に話してもらおうと思いました。


☆ 兄の反応

田舎に電話し、兄に「骨髄移植って知ってる?」と聞いたところ、なぜかよく知っていました。ドナーの話をしたところ「世のため人のためや、いいんやないか」という返事でした。
適当なときに母に話してもらうようにお願いしました。「おうおう、わかったわかった」と駆る祈りです。兄と私、似たもの同士なのでしょうか?


☆ 遺伝子か?

兄の軽いノリにほっとしていたら、兄の次男坊が私に話があるとのことで、電話をかわりました。「かぐや姫の譜面が欲しい」と。兄の次男坊は中学一年生です。「なぜ?」と聞いたら、兄が運転中にかけていたCDがよかったということです。
「どんな曲が好き?」と聞いたら「『うちのお父さん』とか『あの人の手紙』とかが好き」
おー私がこうせつが好きになったのも中学一年生。半年ほど前、私の古いフォークギターを兄の次男坊にあげました。私はギターは挫折したましたが、彼には弾いて欲しいです。
私はこの日、超超ご機嫌で電話を切りました。翌日、兄の次男坊には、かぐや姫のコード付のソングブックを送りました。

10.採取前健康診断

☆ 採取病院決定

最終同意後、しばらくして採取病院が決まりました。とても有名な大学病院でした。病院のホームページを見ると、いろいろな治療実績が公開されていました。
骨髄採取は今までに10例ほど、無菌室もあり骨髄移植の実績は多いようでした。Aコーディネーターさんが言うには「骨髄移植の実績は多いけれど、入院予約がいつもいっぱいで骨髄採取入院はあまり受け入れてもらえない病院」だそうです。

Aコーディネーターさんが間に入って、健康診断の日時が決まりました。


☆ 健康診断

健康診断当日は午後、半休をもらい受診しました。(ちょうどこの頃、パートの仕事を見つけ、無職から脱したばかりでした)時間にして1時間ぐらい。

Aコーディネーターさんが予約、受付、病院内検査ツアーの案内までやってくれ、至れりつくせりです。広い病院のなかを迷うことなく待つことなく周れました。多分普通に受診したら、一日がかりでしょう。

内科診察:問診。血圧測定。
採血・尿検査:これまでの検査の結果は使いません。すべて一から再検査。
呼吸機能検査:息をおもいきり吸ってはく検査。
心電図検査:胸に吸盤をつけて寝ているだけ。
胸のレントゲン2枚:背中から一枚と横向きで一枚。

輸血部の予約:自己血採血の予約。最近は輸血にも同意書のサインがいるのですね。「輸血同意書」にサインしました。
麻酔科予約:入院前に一回受診するそうです。麻酔科医に顔を憶えてもらい取り違えられないようにするため!らしい?


☆ 採取担当医師

採取担当の医師と初めてお会いしました。まん丸顔のC先生です。血液内科の医師らしく?あごマスクをしていました。
血液内科の教授は、名医と評判も高いようです。大学病院には教授回診というイベントがあるらしいので、なんだか楽しみです。


☆ 疲れていた私

新しい職場で、就職したばかりでした。
新しい職場の顧客(ユーザー)は高齢者です。“つわもの”も多くいます。その“つわもの”高齢者よりもっと“つわもの”なのが同僚たちです。これが想像以上につらく苦しかったのです。
同僚たちの、連日のマシンガントークの応酬に身も心も蝕まれました。疲れはてました。最悪の気分でした。
むち打ちあとの肩こりもひどく、頭痛もしました。夜、目が冴えて寝つきが悪くなり、熟睡感がなくなりました。気のせいか背中が痛いような気がして十二指腸潰瘍の再発が心配でした。
全身の筋肉痛もありました・・・・。検査結果が心配でした。
しかし、検査データには何の異常も見つかりませんでした。あっちこっちが具合悪いと文句言っているけれど、やっぱり私って健康なのよね。

11.レシピエントさん

☆ 「こうせつをただ追いかけし青き春」

採取前検査の診察日の打ち合わせを電話でしているとき、レシピエントさんについての情報をAコーディネーターさんから伺いました。
20才代の男性ということです。

20才代の頃の私は何をしていたでしょう?
こうせつの野外コンサートにはじめて行ったのが19才、その後、毎年夏こうせつを追っかけて九州に行きました。コンサートに通ううちこうせつ仲間がたくさんできて、皆でハイキング、バーベキュー、コンサートの後の飲み会で騒ぎました。そして看護師としてバリバリ働いていました。
私が知人の紹介で、連れ合いと知り合って結婚したのは20才代でした。新婚時代を美しい港町横浜で過ごしました。
私の若き日々は「こうせつをただ追いかけし青き春」でした。そして、恋をして、失恋して、また恋をして、失恋して・・・。野心を抱いて、仕事に燃えて・・・20才代は過ぎました。レシピエントさんの青春はどんな青春なのでしょうか。


☆ 詳しくは知りたくない

レシピエントさんの情報は、これ以上詳しく知りたくありませし、会いたいと思いません。
私には「骨髄を提供された−提供した」というような、濃い人間関係は負担です。苦手です。身内や知人ならともかく、赤の他人です。赤の他人との間の特殊な人間関係は好みません。顔が見えないから気楽にできたということもあります。
(これはあくまでも私の気持ちであって、他のドナーの方々はレシピエントさんに強い関心を持っておられる方もいます。)

12.自己血採血一回目

☆ 自己血ほんとに800ml取るの?

骨髄採取後の貧血を予防するため、あらかじめ自分の血液を採血し保存しておいて、骨髄採取後に自分に輸血して、もどします。私は骨髄採取日3週間前に400ml、2週間前に400ml取ると決まりました。
え?合計800ml?ドナー経験者の方々のホームページを色々見たけど、400mlか400ml+200mlというのが相場だったような。800mlも取って大丈夫なの?
C医師が言うには「結局、自分の身体に返すんだかから800ぐらい大丈夫ですよ」Aコーディネーターさんが言うには「がんばって、食べてくださいねー」でした。


☆ 無事終了

Aコーディネーターさんと病院の受付で待ち合わせ、病院の「輸血部」というところに行きました。ベッドに寝て採血しました。時間は10分ぐらいです。
日赤での献血と同じです。採血の後、30分ほど横になって休みました。前日テレビを見ていて夜更かししたので眠ってしまいました。

帰り間際、輸血部の女医さんが「がんばって食べてくださいね」とおっしゃいました。
400ml取りましたが、その後も別に何ともありませんでした。ただ、採血後はのどが渇きました。まあ、急に汗をかいたのと同じですものね。脱水になるのでしょう。身体って正直です。
帰りはスーパーでローストビーフを買って夕食に食べました。


☆ 鉄剤開始

貧血はなかったのですが、女性は正常値の下限ギリギリの人が多く、私もそうでした。
鉄剤が処方されました。フェロ−グラデュメット105mg2錠を夕食後に内服です。そう、鉄剤といえば、ウ○コが黒くなることで有名です。実際自分の黒いウ○コを見るとびっくりします。しばらくはイカスミ系の料理は食えんなあ・・・。


☆ 入院予約

Aコーディネーターさんが入院予約の手続きをして下さいました。『入院のご案内』というパンフレットをいただきました。
今日は骨髄採取22日前です。骨髄移植を受けられたレシピエントの方々のHPを読むと、人によってはもう入院している人もいるようです。
今、骨髄移植の中止の知らせがないことを考えてみると、レシピエントさんはチャレンジするつもりなのでしょう。今以降の中止の知らせはレシピエントさんの体調不良や急変を意味するような気がします。
ここまでくれば、是非、移植までいって欲しいと思います。

13.自己血採血2回目・麻酔科受診

☆ 麻酔科受診−麻酔について

麻酔科医は午後には手術に入ってしまうため、麻酔科外来は午前中だけということです。それで、この日は一日お休みをいただいて午前中に受診しました。Aコーディネーターさんと一緒です。
検査データやレントゲン写真を見て、全身麻酔に支障になることは何もないとお墨付きをいただきました。
「何かご希望はありますか?」と親切なお言葉。でも、ご希望といわれたってねぇ。「んー、しいていえば、前歯を折らないで欲しいことと、まつげを残して欲しいってことでしょうか?」と言ってしまいました。
「わかりました。歯を折らないように気をつけます。いえ、いつも折らないように気をつけているんですよ。さらに気をつけるという意味で・・・」と苦笑いされました。


☆ 麻酔科受診−採取後の痛みについて

採取後の痛みについては色々なコントロール法があるそうです。外国人(欧米人)は我慢しないで、積極的に薬を使うということです。麻薬の持続点滴で自分で量を調節できる方法など具体的に聞きました。一応私は元看護師なので、麻薬と聞いて無用に恐がることはありません。
しかし、私は欧米人でもありませんので、痛み止めはあまり使わず、痛いときは座薬を使うくらいでいいだろうと思います。
日本人らしいでしょ。


☆ 自己血採血2回目は200mlに変更

自己血採血2回目。400mlの予定だったのですが、200mlに変更になりました。1回目の自己血採血後のHbが11代でした。12以上ないと提供できないんじゃなかったっけ?ビックリしましたが、自己血採血後だから気にすることはないそうです。
でも、200mlに変更になってほっとしました。1回目自己血採血後の1週間、だるくて階段で息切れしたのです。最近の再就職で疲れが貯まったからかもしれませんが、とにかくほっとしました。
そして、鉄剤がもう1週間分出ました。鉄剤を飲んだあとは結構ムカムカします。夕食後より寝る前に飲むと若干いいようです。朝1錠、夕1錠に分けて飲んでもいいといわれました。

14.仕事のこと

☆ 仕事は?

最初、大きな封筒が届いたとき、私は就職浪人中でした。
家でゴロゴロするのも、図書館に通うも飽きたしと、仕事を探していました。新聞の求人広告に履歴書を送ったら、とんとん拍子で採用されました。
就職面接のとき自分がドナー候補になっていることを話しました。お休みをいただけるということでした。
私は子どももいないし、責任という言葉とは無縁で自由の身、毎日好き勝手しています。普通こうはいかないのでしょう。万障繰り上げて、調整してドナーになられる方も多いのでしょうね。検査や面接、入院、採取後の診察と、そんなに休んじゃいられない商売のひともいます。休業補償もないし。


☆ 念のためお手紙送る

就職面接のとき、お休みはいただけるということでしたが、口約束だけで就職後にゴタゴタするのも何だなあと心配になりました。それで、お手紙を書いて送りました。
数日後、就職先の上司からお返事をいただきました。「お手紙拝見いたしました。ご希望につきましては、了解致したく、○月○日からの勤務をお願い申し上げます。」という内容でした。


☆ 休暇のこと

手紙をくれた直属の上司が、会社のトップに、ボランティア休暇がとれないか聞いてくださいました。
その結果「それは前例がないから・・・・」と却下されてしまったそうです。
しかし、よりによって「前例がない」などと、私が最も嫌いな言葉をいうとは!!。しかし、この先は私が前例になっちゃうわけかい?年末の給料の査定の面接でトップと話す機会があるので、色々情報収集して、有給とは別の何かの休暇になるように働きかけようと思います。でも、パートだから関係ないのか??

15.入院一日目

☆ 入院(採取前々日)

午前10時Aコーディネーターさんと入退院係の前で待ち合わせ、入院の手続きをしました。
内科病棟に入院です。部屋は二人部屋でした。ジャージに着替えました。Aコーディネーターさんから「前日アンケート」を渡されました。

すぐに女医のDドクターが採血にきました。血液内科のドクターらしく、マスクをしてました。
そして「入院診療計画書」を渡されました。入院期間や入院中に行う治療、危険性について書いてありました。
「輸血同意書」にまたまたサイン。その後看護師さんから「看護データベース」という紙を渡され、記入しました。記入した内容は、症状の経過や今までに罹った病気などです。
病棟のオリエンテーションがあったり、午前中はなかなか忙しく過ぎていきました。

午後には心電図とレントゲンを再び撮りました。外来でも撮ったけど、直前のものが必要なのだそうです。


☆ 主治医は女医のD先生

外来で診察したのは男のC先生でした。しかし、入院の主治医は女医のD先生でした。D先生の上にはまだ、採取の責任者のE先生がいるそうです。さすが大学病院です。医者がいっぱいいます。
そして最前線で患者と接するのは女医のD先生のような若い先生のようです。D先生には、この後も大変お世話になりました。あれこれと気遣っていただきました。


☆ 退屈だ

病院というのは、本当に何もすることがありません。(当たり前か)私は本を4冊持ち込みました。初日の寝る前までになんと、3冊を読んでしまいました。
すべて似かよったテーマの本だったせいもありますが、病院は何たって静かなんです。読書に集中できるんです。

16.入院二日目

☆ 入院二日目(採取前日)

この日は、朝、採尿と採血(輸血のクロスマッチ用)がありました。
そして、麻酔科のドクター、D主治医、担当のF看護師さんの3人がそれぞれ術前オリエンテーションにいらっしゃいました。皆さん明日のタイムスケジュールに沿って、具体的に説明されました。

T字帯を売店で買ってくるように言われました。おお、T字帯!他のドナーの方のホームページでもおなじみです。つまりはガーゼのふんどしですね。300円でした。

夕方にはお風呂に入りました。さっぱりして涼んでいると、男性医師が現れ、私の右手にタグをつけていきました。「この標識は退院して病院の外に出るまで、はずさないでください」とおっしゃいました。タグは腕輪のようになっていて、一度つけるとはずせません。名前、年齢、病棟名、部屋番号、血液型が書いてありました。取り違えや輸血ミスを防ぐための標識でしょう。
「明日採取なんだ」とあらためて意識しました。


☆ しかし、退屈だ。

そして、持ち込んだ本は午前中にすべて読んでしまいました。
午後からはゆっくりとこうせつのCDを聞きました。就寝前に、昨日Aコーディネーターさんから渡された「前日アンケート」に記入しました。
寝る前に睡眠薬を勧められましたが、0時頃までに寝付けなかったら、ナースステーションにとりに行くと言いました。消灯は9時です。
特に不安なこともなく、寝つきもよく、途中目覚めることもなく、よく寝ました。

17.入院3日目・採取当日

☆ タイムスケジュール

前夜21:00以降 飲食禁止
前夜00:00以降 飲水禁止(剃毛はしませんでした)

 6:00 起床、洗面
 7:30 連れ合い来る
 8:00 着替え(借りた浴衣と、浴衣の下はT字帯)
トイレをすます(浣腸はしませんでした)
前投薬(肩に筋肉注射を1本)、検温、右腕に点滴開始
 8:30 手術室入室(ストレッチャーにて)
11:30 手術室退室(ストレッチャーにて)、部屋に戻る
腰の下に砂袋入れる
12:00 膀胱留置カテーテル抜去、砂袋除去、横向きになってよい許可あり。
12:15 点滴終了抜去(両手とも)、酸素終了、ジャージに着替え
飲水テスト(水を少量飲んでむせないか試す)、昼食を食べる
食後に抗生剤と鎮痛剤の処方(5日間)内服する。
13:00 トイレへ歩く、排尿あり、連れあい帰る、D主治医の診察
15:45 ガーゼ交換、検温
Aコーディネーターさんの面会ある。昨夜書いた「前日アンケート」を返す
「採取後アンケート」で色々質問を受ける。
16:30 D主治医、C医師(外来の先生)の診察


☆ 全身麻酔体験

いよいよ当日です。特に緊張するわけでもなく落ち着いていました。大学病院の手術室がどんなものなのか、きょろきょろしようと思っていました。

しかし、8時に肩に筋肉注射した前投薬(麻薬系の薬と抗精神薬だったらしい)が、強烈に効きました。注射して5分ほどたったとき、突然“ドン”ときました。「これはやばい」とベッドに横になりました。ベッドに身体が沈んでいく感じがしました。

視界が一気に狭まり目を開けているのに見えていないという奇妙な感じがしました。手足の感覚がなくなり、思わずグーパーしましたが、手は動きました。お酒に酔っているという感じとは違う、今までにない感覚です。まさに「ラリってる」っていうか・・「離人感」というか・・なんともうまく表現ができません。

前投薬にかなりラリってしまった私は、すでに記憶が定かでなくなりました。連れ合いや看護師さんたちと、ごく普通に会話していたらしいのですが、憶えていません。
憶えているのは、誰かが点滴を右腕に刺したこと、ストレッチャ−に移るときかなりふらついたこと、手術室の前?で連れ合いにバイバイしたこと、手術室の無影燈、誰かがよろしくと声をかけてきたこと・・・ぐらいです。

ぼんやりと無影灯を眺めていると、目の前にぬうっと何人かの人が現れ話しかけてきました。皆さん目深な手術室用帽子をかぶり、大きなマスクをしていて、無影灯が逆光で、しかも私はラリっていたので、誰に何を話しかけられているかわかりませんでした。

胸に心電図、おでこに脳波計?(麻酔の監視装置)、右腕に自動血圧計、右人差し指にパルスオキシメーター(血中の酸素濃度を測る機械)、酸素マスクといったモニター類があっという間につけられました。

風景は全く憶えていません。「呼吸が浅い」「HOBOさん、深呼吸してー」と誰かが繰り返し叫んでいました。もうろうとしながら「ああ、薬で呼吸抑制がきているんだな・・・」と考えていました。「酸素吸ってますよ、深呼吸してー」「ぼんやりする薬が入りますよー」という声がしました。その次の瞬間、「HOBOさーん」という声とともに、今せっかくつけたモニター類をいっせいに取りはずしはじめたのです。終わったのです。全身麻酔恐るべし。


☆ 全身麻酔からの覚醒

全身麻酔はタイムスリップという感じでした。モニター類がはずされ「終わったんだ」と思ったと同時に、強い喉の痛みと口の渇き、腰の痛みを感じました。腰が痛くて腰の位置をずらしたくて足を動かしたら、尿道の強い違和感があり、尿導カテーテルが入っていることがわかりました。

D主治医の声を聞いたような気がします。本当に採れたのか無性に気になりました。「どのくらい採ったんですか?」と聞いたら誰かが「750」と答えてくださいました。安心しました。目を開けようとしましたが開きませんでした。

次に気がついたのは、自室のベッドに乗り移るところでした。何人かが集まって私を持ち上げてベッドに移しました。腰の下に圧迫止血用の砂袋を入れられました。これがとても痛かった。あまりに痛いので、両膝を立てて腰を浮かせてしまいました。

「何時かな」と思って見ると左手にヘパリンロックされた点滴ルートが入っているのに気づき、驚きました。「これは輸血用のルートか。そうだ、輸血のルートは血管確保の点滴とは別に取るのが基本だったっけ・・。輸血は太い針をつかうんだったよだよなあ・・」何て、いまさらながら思い出しました。どうやら自己血の輸血は手術室で終了したようです。

そして、何と言っても腰の下の砂袋が痛くて痛くて苦痛でした。しばらくして尿導カテーテルをはずされ、砂袋もはずされました。横を向いたら痛みが和らぎ、ほっとしました。


☆ ふらつき、腰痛、膀胱刺激症状、排尿時痛、全身倦怠感、喉の痛み

その後30分ほどして左右の点滴がはずされました。点滴がはずれたので腕時計をしたら時間は12:00でした。いつかけたのかメガネをちゃんとしていました。ややボーとしているものの、この頃から頭がはっきりしてきて、記憶も残っています。

ベッド上に座って、飲水してむせないことを確かめ、食事もとりました。さすがに食欲はありませんでしたが、病院食を完食してしまった私って何者なんでしょう?ペットボトルの水500mlも一気に飲んでしまいました。

食後に尿意がありトイレにひとりで歩きましたが、かなりふらつきました。はじめて歩くときは看護師さん呼ぶんだったかな?と考えが及んだのはあとのこと。
膀胱炎の症状(強い尿意があるのに出ない、残尿感がある、排尿時下腹部と尿道が痛い)がありました。そして、動くと腰が痛い。あおむけになれない。喉が痛い。起きるとふらつく。なにより全身がだるいだるい。

横になると自然に目が閉じました。こうせつのCDを聞いてずっと横になっていました。いえ、だるくて起きていられないというのが正直なところです。


☆ Aコーディネーターさんビックリ

15時半過ぎAコーディネーターさんがいらっしゃいました。ジャージ姿で座っている私を見てビックリ。なんでもこの時間に面会に行くと、普通は点滴も尿導カテーテルもついたままで、寝返り禁止で寝ているのだそうです。飲水がようやく許可になっているかいないかで、若い男の子などは空腹と腰痛に耐えかねウンウンうなっているそうです。

私はカテーテル類はすべてはずされ、食事も完食し、水をがぶ飲みし、腰は動けばとても痛いけど耐え切れないないほどではなく、動かなければ大丈夫ゆっくり歩けば大丈夫で、トイレにも歩いていました。どうやら病院の方針によって違うようです。

前日のオリエンテーションで麻酔科医が、ガス(吸入)系の麻酔は使わず静脈注射系の麻酔を使うと言っていました。そのため肺や気管への侵襲が少なく回復が速かったのかもしれません。また、麻酔科医の腕がよく、麻酔の覚醒がよかったのかもしれません。

Aコーディネーターさんは「採取後アンケート」で、症状を色々聞いてから安心した様子で帰られました。


☆ D主治医のお言葉

自室に帰ってしばらくしたあとD主治医がいらっしゃいました。「無事すみました。先方さんに確かにお渡ししました。これで、一人の方が骨髄移植を受けられました。ありがとうございました」と笑顔でおっしゃいました。
これまで淡々としていた私ですがこの言葉にとても感動して、やり遂げたという充実感が湧いてきました。
レシピエントさんはこのとき無菌室で白血球1000以下というところでしょうか?午後には私の骨髄の点滴がはじまるのでしょう。

18.採取後から最後の検診まで

☆ 入院4日目(採取後一日目)

朝、採血がありました。データには大きな変化はなく、CRPという値が1.0と少し高いということでした。めでたく明日退院です。

採取翌日はとにかくだるくて寝ているだけでした。どんなだるさかというと、プールで思い切り泳いだ後、上がったら全身がずしりと重いですよね。
そんな身体の重さを感じました。子どものとき海水浴ではしゃぎすぎ、夕食が食べられないほど疲れてしまった記憶はありませんか?そんな全身の強い倦怠感です。

腰の痛みは動かなければ大丈夫ですが、あおむけと中腰になれませんでしたし、ゆっくりとしか歩けませんでした。夜は寝返りのたびに目が醒めたものの、眠れないほどではありませんでした。
喉の痛みがありましたが飲んだり食べたり話したりには支障ありません。排尿時の痛みは全くなくなり、おしっこは順調に出ました。
夕方にはガーゼをはずし、シャワーを浴びました。腰には5箇所穿刺の跡がありました。痛みを感じるわりに腫れてもいませんでした。


☆ 退院:入院5日目(採取後二日目)

午前10時にAコーディネーターさんが来て「退院時アンケート」をとられました。会計は0円です。病棟のエレベーター前まで何人かの看護師さんが見送りに来てくださいました。
Aコーディネーターさんは私の自宅の最寄駅まで送るつもりだったようです。しかし、荷物は売店の宅急便で送ることにしたし、しっかり歩けるので病院前でお別れしました。

歩くと痛みはありますが、普通の速度でスタスタと歩くことができました。全身の倦怠感は残っていますが、まあ普通に動けます。痛み止めは胃がむかむかするので、朝から飲むのを止めました。(当然主治医の許可を得てね)

昼12時ごろには無事自宅に着き、うな丼の特上をとってたべました。メールチェックをしたあとは、やはりだるくて横になりました。
夜10時、連れ合いが帰ってきて体の調子を気遣ってくれました。感謝。


☆ 採取後3日目

全身のだるさはずいぶんよくなりました。眠って目覚めるごとにだるさが取れていくのがわかります。腰の痛みは。かがむ、中腰、あお向けに寝るといった姿勢がつらいです。のどのいがらっぽい感じがあります。
パソコンに向かい座っていることができましたが、すぐ疲れるので無理せず横になることにしました。


☆ 採取後4日目

だるさは全くなし。のどのいがらっぽさが残る。腰痛というより腰の重い感じ。掃除・洗濯・料理とパワー全開。


☆ 採取後6日目

職場復帰する。普段は一日中歩き回る仕事ですが、この日は事務中心の仕事をする。全く問題なし。腰はかがむと気になる程度です。


☆ 採取後7日目

Aコーディネーターさんより電話あり。体調を聞かれる。穿刺部の痛みが少しあるだけ。他症状なし。


☆ 採取後9日目

仕事にもどるが問題なし。普通に一日中歩き回る。ただ、重いもの(50キロ程度のもの)を持ち上げたとき穿刺部は痛かった。


☆ 採取後21日目(採取後健康診断)

ときどき、椅子の背もたれに寄りかかったとき、穿刺部が当たり所によって気になるという程度です。
採取後検診のために、午後半休をいただきました。今回は私ひとりでの受診です。
久しぶりの病院で、まずは採血、外来で1時間ほど待って採血の結果を聞きました。久しぶりのC先生、相変わらずの「あごマスク」。(血液内科の医師も看護師もトレードマークのように皆な「あごマスク」をしています。)特に異常なしで、病院とはもうおさらばです。

19.採取後の母の反応

☆ 実家の母の反応

骨髄採取が終わった日の夜、痛い腰をかばいながら、病棟のラウンジの公衆電話から、実家に電話をしました。私は、なんとも思わず、気楽に電話したのですが・・・・

電話には、母が出ました。私が「ああ、お母さん、私、HOBOやけど・・・」という間もなく、突然「お前!!何してた??元気か??電話しけど留守じゃないか?なんだって、骨にドリルで穴開ける?!何をする気か!!何であなたがそんなことするのか。あなたじゃなくてもいいではないか!!・・・・・・」(標準語訳、実際は能登弁)という、マシンガンのような攻撃が返ってきました。声がわなわな震え、泣きそうな大声でした。絶対にやめさせる!!といった気迫の声でした。もう、私が口を挟む余裕がないほどです。

びっくりして、面くらいました。こりゃまずい。他の人のドナー体験記を見たけど、やっぱり家族ってこういう反応なのでしょうか??

「もう終わった、なんともない、私元気よ、明後日退院だし、何にもなく終わったから!ほら、それが証拠に今電話してるでしょ。ね、ね、こんなに元気。何聞いたか知らないけど、たいしたことない、ちょっと大げさな献血みたいなもんだって。じゃあね。」ガチャン(電話切る)。

電話を切って、ドキドキしました。そして、何だかぐったりしてしまいました。さっさと寝ることにしました。いままでの私の人生、子供の頃はあまり手のかからないいい子だったようですが、高校を出てからはとにかく好き勝手してきました。東京にも出てきてしまったし・・・。いつも無言でただ心配顔で見守っていてくれている母。思い起こせば、私はその心配顔を振り切って生きてきました。またまた、同じ事をしてしまいました。

骨髄提供については後悔してないし、多分、母のあの反応が先にあっても、私は提供したでしょう。「ごめんなさい、こんな娘を持って・・。でも、仕方ないよ、受け止めて・・」と、消灯後の暗い病室で目を閉じて、いつものごとく自分勝手な理屈を心の中で繰り返しました。

次の日の夜、再度、実家に電話しました。今回の母は落ちついて話ができました。「不思議なもんやねえ、親・兄弟とも合わないのに、見たこともない何十万人の一の他人でなければならんなんて・・・。」といっていました。兄に説明を聞いたのだと思います。元気のない声でした。

母が骨髄提供の話を聞いた時は、私はもう入院していました。連絡が取れずにひたすら心配していたようです。兄は黙っていようと思っていたらしいのですが、甥っ子の部活の試合の応援で、母と姉が東京に出てくることになり、私に連絡を取ろうという話になったため、言わざるを得なくなったようです。私も、私の連れ合いも、兄も、冷静でいられたことが、母となると難しかったのです。それが母というものなのかもしれません。

とにかく、後遺症もなく、無事に終わったことを告げました。

20.いろいろ考えたこと

☆ 昔のことを思い出す。

看護師時代のことは、最近では思い出すことも少なくなっていました。今回、ドナーとなりいろいろ思い出しました。
そして、自分の友人・身内で亡くなった人、病気や障害を持つ人のことが頭に浮かびました。60歳で亡くなった父親、1歳で白血病で亡くなった友人のこども、癌から生還した親戚のこども、20歳で骨肉種で亡くなった大学の同ゼミのK君。思うに、友人や身内が病気になっても自分にできることって少ない。祈ることしかできないですよね。


☆ 20年前の無菌室治療

私が看護師をしていた頃は、癌の患者さんはバタバタ亡くなりました。今でこそ手術・抗癌剤・放射線などの治療が進んで、長期生存の方も多いと聞きます。
しかし、20年前(1980年代)特に内科に入院してくる癌患者さんの予後は絶望的でした。当時は病名を告知しませんでした。苦痛を緩和する方法もわずかでした。正体のわからぬ敵にじわじわと追い詰められ、苦しんで亡くなっていく人ばかりでした。

看護学校を卒業後、最初の職場が血液・消化器疾患病棟でした。私は、無菌室治療を受ける患者さんたちをこの目で見ています。骨髄移植ではなく、無菌室を使った抗癌剤治療でした。
当時、骨髄移植という治療法があると聞いて、医師にそのことを質問したら「骨髄がゼロになるまで抗癌剤と放射線でたたく、その後、点滴で移植」というじゃありませんか。
「信じられない!」と思いました。なぜって、白血球数1000以下の状態って、本当に想像を絶する状態でしたから。「ゼロになるまでたたくって?想像もできない」と思いました。今は治療の苦痛や副作用を抑える方法がいくつかあるようです。しかし、当時はそのようなことはほとんどなく、とにかく抗癌剤の副作用はひどいものでした。感染も深刻でした。
大変な治療をして、ようやく寛解・・・でも、数ヵ月後には再発・・・そんなことを数年繰り返し、若者がバタバタと亡くなっていました。


☆ 同じHLAの人に思いをはせる。

そう、私と同じHLAという記号が同じの何万人分の一の人。そして、その人は今病気なのですね。インターネットで闘病記などを読みました。20年前に比べれば、癌の治療は格段の進歩です。(癌治療の大変さは今も昔もあまり変わらないようです。)

骨髄を移植しても必ず助かるとは限らない。移植の前処置は苦しく命を賭けて行う。自分の骨髄がゼロになるまで抗癌剤や放射線でたたくなんて、本当に恐ろしい。誰かが言っていたけど、「医者は成功率何パーセントというけれど、患者にとっては0か100」。移植後も様々な危険が待ち受けています。

土壇場で患者さんの急変でコーディネート終了というのもあるようです。他に私より条件のいいドナーがいるのだったらいいけれど、患者さんの体調不良でドナー中止っていうのは悲しいですね。


☆ 憂うつなこと

採取前、一番憂うつなのは全身麻酔と挿管でした。(挿管というのは、気管に管を差し込んで呼吸させる処置のことです。)
あの物言わぬ動かぬ物体に自分がなるのかと思うと複雑でした。看護学校のとき手術室実習で全身麻酔を見ました。挿管は看護師時代に嫌というほど見ました。麻酔事故の事例も知っています。

また、医療ミスはもっと恐いです。最近、何でそんな事故が?というものがありました。患者取り違え、輸血ミス、人工呼吸器の事故、院内感染・・・・。なんだかね。
いままで他人ごとだったことが、突然、自分の身近な問題になりました。


☆ 小さな(重い)プレッシャー「風邪をひかない」

最終同意のあと、生活上の注意のパンフレットをいただきました。「市販のものも含めて薬を飲むときは相談してください」という項目もありました。それじゃ風邪もひけません。また、交通事故に遇わないようにとか、いろいろと考えてしまいました。こういうことも、ちょっとしたプレッシャーで、正直、重い負担感がありました。

風邪をひかないようにするにはどうしたら?手洗いとうがいは仕事上習慣になってるけれど、ひくときはひきます。そのとき頭に浮かんだのが、こうせつが以前にテレビで言っていた風邪をひかない工夫です。最終同意後、私は「マスクをして寝る」と「タオルをマフラーみたいに首に巻いて寝る」ことにしました。マスクとタオルは本当にいい!乾燥した日でも、朝のどが痛くないのです。私はいつものどから風邪を引きます。風邪の予防には本当によいようです。骨髄の採取後もこの二つは続けています。

また、最終同意のあとは原付バイクと自転車に乗らなくなり、慎重に行動ました。体調管理を兼ねてのウォーキングが移動手段になりました。早寝早起きに禁酒、毎日プルーンを食べ、歯医者に行かなくてもいいように口腔ケアにも心がけ生活しました。


☆ 一番つらかったのは?

最後に、思い返して、一番つらかったのなにか・・。

体がしんどかったのは??自己血採血の1回目の後の一週間ぐらいです。貧血状態のようになってしまい酸素不足で、階段の昇り降りで息切れしました。仕事をしていたせいか、だるくてしんどかったです。「だるさ」だけを比べれば、採取後のだるさのほうがとても強かったのですが、採取後は仕事を休んでいましたし、横になることができました。つらさという点では、自己血採血一回目の後のほうがえらいつらかったです。


☆ 痛みは?

痛みは、やはり痛かったです。採取直後の穿刺部の痛みについては、止血用に当てていた砂袋が硬くてそれはそれは痛かった。苦痛で顔がゆがみました。(ベッドの上に20×40センチくらいの大きな砂袋を置いて、骨髄を取るために刺した腰の部分がその砂袋に当たるように仰向けに寝ている状態。砂袋が穿刺部に当たって圧迫し止血する)それがあまりに痛かったので、砂袋をはずした後の痛みが大したもののように感じないくらいでした。

これまでの人生で痛かった経験は、保育園時代に釘が足の裏に刺さったとき、胃炎の痛み、十二指腸潰瘍の痛み、アイロンの足に挟んで指を骨折したとき、階段を踏み外し転落して足の甲を骨折したとき・・・。採取直後の砂袋が当たっているときは、それらに匹敵する痛みだったと思います。 
しかし、砂袋はすぐにはずされました。その後は、食後の痛み止めだけで大丈夫でしたし、痛み止めの座薬も勧められましたが使うほどではありませんでした。

最後に、退院時の別れ際にAコーディネーターさんが「我慢できない最高の痛みを想像して、それを10とすると、採取後の痛みはいくつぐらいですか?」と聞かれました。そのときはとっさに「えーっと、3?5?」などと答えてしまいました。
しかし、帰りの電車の中でよく考えると、砂袋が当たっていたときは3ぐらい、はずしたら1ぐらい・・だと思います。私は「耐え切れない痛み」ということで、ガン末期のコントロール不能の痛みを具体的に思い出してみました。それから比べると・・・。1以下かもしれないと・・帰りの電車の中で考えました。私は痛みには強いのかもしれません?

また、尿道の痛み、のどの痛みなどもありました。振り返っても、採血は合計何回したでしょう?針を刺すちっくとした痛みから、冷や汗がにじみ出るような痛みまで、骨髄提供は常に痛みとともにあると思います。


☆ 気持ちがしんどかったのは?

心がしんどかったのは??やはり、全身麻酔に対する不安です。ただ、たぶん不安がピークになったであろう採取直前には、術前の注射が効いてラリっていたので、いつの間にか終わったという感じです。

他のドナー体験記では、採取前に情緒不安定になったという記述をいくつか見ました。私はあまりそういうことはありませんでした。採取前日の夜も睡眠薬を勧められましたが、飲まずに快眠しました。
うんと昔のこととはいえ、看護師として病院で働いた経験は大きかったと思います。

21.入院便利グッズ

☆ のど飴・のどぬーるスプレー

全身麻酔のあと、とてものどが痛みます。私は意識的にのど飴を持っていってわけではありません。しかし、のど飴が鞄の中にあってよかったと思いました。全身麻酔後のふらつく足で売店に買いに行くのも大変です。前もって買っておくとよいと思います。

のどぬーるスプレーは、のどから風邪をひく私の愛用品です。乾燥した病院ののどの痛みに最適です。ジャストポイントに消毒薬が噴射され気持ちがよくて癖になります。ただ、全身麻酔のあとは超しみるので注意しましょう。


☆ 耳栓・アイマスク

私は二人部屋でした。同室の方はとても具合が悪い方で、排泄もベッドサイドのポータブルトイレでした。24時間点滴しており、空気清浄機と酸素吸入を常時使用していました。日中うとうと眠りながら、うわごとのように声を出していました。咳もしていました。 
起きているときは少しお話もしましたが、白血球が少なくベッドの間のカーテンをずっと閉めたままで、カーテン越しの会話でした。

入院するとどんな方が同室者かわかりません。いびきの問題もあります。また、以外に気になるのが、天井のエアコンや空調の音です。
私のベッドは二人部屋の廊下側にありました。ベッドにはカーテンがあるものの、どうしても夜は廊下の灯りがもれてきます。
私は神経質ではありませんが、耳栓とアイマスクをすることで安心して眠ることができたように思います。


☆ 本・CD

あたりまえのことですが、病院は本当に何もすることがなく退屈です。私が入院した病棟は重症の患者さんが多く、自室から出ることができない方ばかりでした。廊下にもラウンジにも人がおらず、同室の方も具合が悪い方でしたので、話し相手も見つかりませんでした。

病院や病棟、同室者にもよるのでしょうが、退屈しのぎのグッズが必要でしょう。静かな環境で集中して本を読んだら、一日で3冊読んでしまいました。話し相手がみつかれば、人とのふれあいを優先して過ごすのがよいと思います。

ちなみにパソコンは持ち込み禁止でした。
採取後は、とにかくだるかったのでCDがよかったです。病院なので癒し系の音楽がいいかもしれません。ちなみに私はこうせつの『心の虹』というアルバムをエンドレスで聞いていました。アルバムタイトルでもある「心の虹」という歌がとても好きとうこともありますし、採取後の自分の気持ちととてもマッチしていました。


☆ テレホンカード

病院は携帯電話禁止です。心配してくれた人に採取後電話をかけるのに使いました。特に実家への電話はすごい勢いでテレホンカードの数字が減りました。


☆ しょうゆ・ふりかけ

病院のまずいお米と薄味のおかずに対抗するため、初日に売店で買い求めました。栄養士さんごめんなさい。でも、さすがに病院の食事は素晴らしく、5日間の入院で2キロも体重が減りました。普段、いかに油と炭水化物を取っているかがわかりました。

22.手紙と感謝状と遺伝子診断

☆ レシピエントさんからの手紙

骨髄提供後、数ヶ月したころ、骨髄バンクを経由してレシピエントさんの手紙が届きました。とても丁寧なお礼の手紙・・・。このお手紙の感想を正直に書いていいものか・・・実は少し悩みました。

レシピエントさんからのお手紙を読んでの私の感想は、「とても複雑」でした。手紙は一度読んだきり引き出しの奥にしまって、その後は一度も読んでいません。

骨髄バンクから「ドナー候補の一人」というお知らせをいただいたときの正直な気持ちは−前にも書いていますが−「これからはじまるであろう未知の体験にワクワクする」でした。体験記を全編読んでいただくとわかると思います。その「ワクワク感」が始まりから終わりまで一貫して感じられると思います。そして私は骨髄移植直後、D医師のねぎらいの言葉に感激し充実感を味わいました。

ぶっちゃけていうと・・・

「レシピエントさん、あなたが無菌室で点滴した赤い液体を“どこかの工場で製造された医薬品”だと思ってください。それに私のために“一生賢明有意義な人生を生きる”とか“がんばる”なんていうのも、私にはとても重たくてダメです。ご遠慮したい・・。
私への感謝などというお荷物は捨ててください。あなたの命はあなた自身のもの。あなたの人生を”わがまま”に”気まま”に、時には”無駄”に生きてください。そのほうが、私にとってはありがたいし、楽なんです。」

(上記は私の個人的な感想であって、多分、多くのドナーの方とは相容れない感情です。多くのドナーの方はレシピエントさんやその家族の手紙に感激し、感謝し、心の支え、宝物にしておられます)


☆ 手紙のお返事

ドナーは一度だけレシピエントさんに手紙を書くことができます。私は上記のような感想を直接レシピエントさんにぶつけてはいません。返事自体書いたのかどうかもここでは明かしません。返事を書いたのかもしれないし、書かなかったのかもしれないし・・・。


☆ 厚生労働大臣からの感謝状

自分が骨髄を提供したことなどすっかり思い出さなくなったある日、大きな筒状の荷物が届きました。これが大きい!!大学、高校の卒業証書より大きい。今までにもらったことのない大きさの賞状でした。賞状を見ての正直な感想は「何じゃこりゃ??」です。う〜ん、感謝状自体を否定はしないけど、この大きさは何?別のところにお金をかけたらどうだろうか??(この感情は、多分、多くのドナーの方と共通するものではないでしょうか。)


☆ 遺伝子診断

骨髄提供後、骨髄バンクから色々な刊行物が届きました。それと色々なアンケートも届きました。ある日、届いたアンケートに私は驚愕しました。本当に驚いたのです。そしてひどく悩みました。

「最近の遺伝子診断の進歩の結果、レシピエントが発病や再発した病気が“レシピエントの細胞由来による病気”か“ドナーの細胞由来による病気か”の診断が、病気によっては可能になりました。ついてはメドナーの細胞由来による病気モがわかった場合、あなたにお知らせしますか?

遺伝子診断の結果が陽性でも、必ず発病するというわけではありません。
下記の3つのうち、一つにマルをつけて返送してください。
1.どのような場合でも知らせて欲しくない。
2.治療法が確立されている病気の場合のみ知らせて欲しい。
3.治療法が確立されている病気、確立されていない病気、に関わらず知らせて欲しい。」という内容でした。

これは悩みました。何度も読み返して、頭を抱えて悩みました。以前に福祉関係の仕事をしていたときに出合ったユーザーの方々の姿が頭を駆け巡りました。そして、「3.治療法が確立されている病気、確立されていない病気、に関わらず知らせて欲しい。」に○をつけました。


☆ 再登録

骨髄提供後一年間はドナー登録は保留となります。提供後一年たって「再登録しますか?」というお手紙が、骨髄バンクから届きました。
そして、私は、あまり悩まず考えず「再登録」に○をつけました。

なぜ骨髄バンクに登録したのか

☆ 骨髄バンク登録のきっかけは・・・・「憶えていない」

生命の危険がゼロではないことをなぜするの?多くの人はこの答えを聞きたいのではないでしょうか。

骨髄バンクに登録したきっかけ、実は、憶えていないのです。私は主義主張や宗教的な動機、特別な信条があるわけでもありません。(南こうせつの追っかけは主義主張信条ではありません。ただの中毒です。)

特別なことといえば、元看護師ということでしょうか。

しかし、元看護師だからというのは違うと思います。例えば、看護を含む医療従事者や福祉、教育の従事者と友人になってみるとわかります。反対にだからこそ自分はやらないし、人にも勧めたくないという場合もあると思います。

骨髄バンク登録のきっかけは、何も考えていなかったというのが本当のところでしょう。


☆  「出会い」

登録のきっかけは憶えていませんが、なぜ途中で断らなかったのか?

「出会い」という言葉がぴったりのような気がします。私は骨髄バンクという場で、HLAという記号が同じのひとりの人と「出会い」ました。

骨髄提供は、たまたまそのときの自分が「できる」ことでした。人は一人ひとり違いますから、骨髄提供を「できない」人もいるでしょう。でも、違うときに、違う場で、違う何かを必ずしていると思います。それぞれ皆が「出会い」を大切にしていると思います。出会ってしまうと、断れないものじゃないでしょうか


☆ 「道楽」

あと、表現はおかしいですが「道楽」ともいえるかな?理解できないことは「道楽」という言葉で納得するのがいちばんです。(これはあくまでも私の話であって、他のドナーの方々は使命感を持って提供されています。)

ところで、私の最大の「道楽」、南こうせつの追っかけもなかなか人に理解されません。周りにはさだまさしさんと区別がつかない人も多い(キャラがかぶっていることは認めるけど・・・)。連れ合いの「道楽」はクルマです。日本の高速道路を猛スピードで走るのは、骨髄提供よりも危険な道楽・・・・?。


☆ 「性格」もあるかな

それに「性格」もあるでしょうか。私は小さなことをくよくよ考えるくせに、大きなことはあまり深く考えません。
職場の知人数人に「よく決断したわね」と言われました。そう、知人たちにとって骨髄提供は“決断”してやることなのですね。「え?決断?私、決断なんていつしたっけ??」

このとき、自分があまり深く考えていないことに気がつきました。私は骨髄提供という未知の体験に”ワクワク”はしましたが、“決断”などしていません。(これはあくまでも私の話であって、他のドナーの方々は深く考え悩んだすえ“決断”して提供されています。)


☆ 「漠然」と

私の田舎では浄土真宗が日常の生活や文化にとけこんでいます。私は特別な信仰心は持っていません。
ただ「漠然」と、”この世”とは別に“あの世”があって、将来、先に行った父や祖父母、友人たちと“あの世”で再会するために、今、この世で何かをしておかなければいけない、と感じています。

多分日本人の何分の1かの人が、私と同じような感覚をもっているでしょう。このような感覚は明確なものでなく、「漠然」というところがミソですね。


☆ 実家の「文化」だね。

こうやって骨髄提供の動機を振り返ってみると、「憶えていない」「出会い」「道楽」「性格」「漠然」という言葉がでてきます。

私が骨髄提供をするといったときの兄の反応「世のため人のためや、いいんじゃないか?」このような言葉がとっさに出てくる、実家の「文化」が大きいのかと思います。
そういえば、実家の人間は皆、人のお世話(ときには大きなお世話だったりする?)をするのが大好きです。これはボランティア精神でも何でもなく、ただ地域に溶け込んで楽しんでいるだけです。
私はそれが嫌で田舎を飛び出しました。しかし、私的に人をお世話しない代りに、対人援助の職業を選択してしまいました。とほほ。
だから、何も考えずに骨髄バンクに登録し、深く考えずに骨髄を提供できたのだと思います。

感謝の言葉

骨髄バンクの皆様、病院の皆様、職場の皆様、そして私の家族、特に連れ合いと母にはお世話・心配をかけました。ありがとうございました。

そして、レシピエントさん。あなたとはお会いしたこともありませんし、これからもお会いすることはないでしょう。あなたは今、どのような状況にあるのでしょうか。骨髄移植後どのような結果であっても、私の骨髄が、あなたの意義深い人生をさらに深いものにする、少しのお手伝いをしたとねがいたいです。

病気と真正面に向き合い、骨髄移植にチャレンジした、勇気あるあなたを尊敬しています。骨髄提供という貴重な体験の機会を与えていただきました。ありがとうございました。

おまけ
私の体には骨の髄まで「南こうせつ」がしみこんでいます。骨髄移植のあと、あなたは南こうせつファンになってしまったかもしれませんね。しかも、重症の中毒ファンに。

おわりに−ともに生き、いのちを愛する−

最期に、ボランティアについての詩を引用させていただきました。
「いのちを愛する」ってそういうことなのかなと思います。


ボランティアのこころ   (高島 巌 著『いのちを愛する−ボランティア読本3』)


もてるものが、もたないものにではない

しあわせなものが、ふしあわせなものにではない

しあわせなものも、ふしあわせなものも

ともに考え、ともに学び

ともに生活しあうことなのだ

最初

いわゆる奉仕活動として、はじまった

次に

社会連帯意識をもとにしての、地域福祉活動へと、その輪をひろげた

そして、いまやそれは

ボランティア自身が人間としての生き方を

しんけんに問いなおす哲学にまで発展し高められた

つまり、ボランティアのはたらきは

だれかが、だれかに、どこかで、なにかをすることだけではない

だれでも、どこでも、いつでも、できる「こころ」のはたらきなのだ

したがって

人間は、皆ボランティアする権利をもっているのだ

学生も、社会人も、役人も、主婦も、老人も

そして、それは人間だけに、許された、楽しき権利でもあるのだ

だれでも、どこでも、いつでもできる

「こころ」のはたらき

これが、ほんとうの意味での社会福祉への道

ボランティアへの道なのだ

この道には

はじめはあっても、終わりはない

いつまでも、どこまでも

つづいていく道なのだ
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